老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

東京 ⇔ 京都の二地域居住の意味(その3)

2018年02月07日 | 東京⇔京都・二地域居住 & ノマドライフ

(「その2」から続く)

2011年3月に福島第一原発で事故が発生した際、

もし臨界事故にまでいたれば、

首都圏はむこう何百年も人が住めない土地になる、といわれたものだ。

メディアでも、大阪の豪華ホテルが東京のセレブの親子連れで満杯、、、、

といったような報道でにぎわっていた。

私の周囲でも、同時期(2003年)に京都にマンションを購入した知人は、

原発事故発生直後から落ち着くまでの間京都に避難していたし、

縁者をたよって西日本に疎開していたという例も、

子育て世代の女性を中心にけっこう多かったのを記憶している。

私自身は当時ある会社の役員(常勤)をしていたこともあって、

福島の原発事故発生後もずっと東京にいたのだが、

いつでも京都に移れる準備だけはしておこう、、、、

そう想いながら、

原発事故の状況を刻々と伝えるテレビ画面に見入っていたものだった。

( 続く )

( 追記 )

冒頭の写真は、六本木ヒルズを真下から撮ったもの。

当時は、高層ビルの建ち並ぶ東京の街が放射能汚染で廃墟となった様が

何度も脳裏をよぎったものだったが、、、、、

下は、2011年3月11日~4月11日の期間について、

読売新聞東京本社発刊の朝夕刊の紙面から、

東日本大震災に関連したページを抜粋した特別縮刷版。

後から振り返って(整理されて)書かれたものとは異なり、

明日をも知れぬなか、刻々複数の事態が進行していた当時の状況を

リアルに追体験できる。

読売新聞特別縮刷版 東日本大震災 1か月の記録
クリエーター情報なし
読売新聞社

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