老後は京都で !

京都の町中(堺町六角)と東京(青山)を気ままに行き来する二地域居住を実践中。 

尾形光琳と京都

2008年10月20日 | 江戸時代の京都

尾形光琳は、1658(明暦4)年、京都の大呉服商・雁金屋の次男として生れている。

琳派の祖とされる、本阿弥光悦が、1558(永禄元)年の生まれ、だから、光琳と光悦の間には、100年の開きがあることになる。

琳派のもう一方の雄、俵屋宗達は、生没年不詳とされるが、光悦とは(ともに京都で活躍した)同時代人だから、光琳との年の差は、やはり、100年近くあるのだろう。

光琳の祖父は、光悦と親交があり、幼い時から、光悦や宗達の作品に囲まれて育ったという光琳の才能は、元禄バブルのなかで、花開く。

随分、放蕩な生活をしたらしい。

有名な「東山衣装競(ひがしやまいしょうくらべ)」の逸話などを残しつつ、しだいに、先祖伝来の財産を食い潰し、1704(元禄17)年、光琳46歳の秋、江戸に下る。

しかし、江戸の水は、光琳には、合わなかったのか、その後も、しばしば、京都に戻り、1709(宝永6)年、京都に戻ってから、1716(享保元)年に没するまで、京都を離れることはなかった。

尾形光琳も、また、京都をこよなく愛したアーティストといえる。

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