水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

若狭彦神社 <福井県小浜市龍前>

2020-02-12 | ├ 福井(ひとり旅)

 

福井旅つづき。

 

 

 

 

 

 

若狭神宮寺をあとにして、駅方面へ歩くこと約20分。

 

 

わーい到着。

 

 

若狭彦神社

 

 

若狭国一宮、式内社。 別称:遠敷明神。

 

 

明神」とは、神社の社格・神格である「名神」が転化したとされる言葉で、
仏教側から見た、神さんの尊称です。

なので、「明神」という神号が残っている=神仏習合色が濃い。

また、明神号と同じく、権現号も仏教(密教)がらみの神号で、
権現とは、「神という仮の姿で現れた、仏」を意味します。
(神々は、仏や菩薩の権化であるという、本地垂迹思想に基づくもの。)

 

 

「若狭彦神社」を上社、「若狭姫神社」を下社とし、
二社を総して「若狭彦神社」と称します。

 

 

御祭神:若狭彦大神(彦火火出見尊)

 

 

一の鳥居を抜けて参道を進むと、
いい感じの杉が二本そびえていました。

 

 

おぉ。この杉が二の鳥居なのですね。

やーんステキ。

 

 

 

 

 

杉の鳥居から、一の鳥居をのぞむ。

 

 

 

静寂に包まれた参道を歩きます。

 

 

 

境内に、
こんな風に囲われていたり、
四方ぐるっと注連縄が張られている場所があったら、
それはもれなく祓所です。

その名の通り、お祓いをして清める場所。
(祭典の前に、神職さんが自身を祓うための場所であることが多い)

 

 

伊奈波神社月夜見宮石上神社物部神社などのように常設されている場合のほか、
例大祭の時の熱田神宮日吉大社みたいな、祭典時に出現するケースもあります。

ここや熊野大社みたいに注連縄張ってない祓所も含め、
とても神聖な場所なので、中へ入るのはやめときましょう。

 

 

 

神橋の先にある楼門。

 

 

あかん、めっちゃタイプ。

 

 

楼門随神門)(県指定有形文化財)

 

 

1743年造営の、
入母屋造平入、桧皮葺、素木造の八脚門です。

 

 

左右には、それぞれ4軀の随神像が安置されていますが、
この随神は、御祭神の降臨時に随従した吉祥八人と伝わります。

 

 

要は、
若狭彦神・姫神(として崇められた権力者)とともに当地域に現れた、
8名の随従者(臣下)のことでしょう。

 

 

内側から。

 

 

見れば見るほど好みの楼門だわ

 

 

そして、いつもの大好きショット。

 

 

社伝によれば、
若狭彦大神が根来村白石の鵜の瀬にある巨巌の上に降臨し、
次いで若狭姫大神が降り立ったといいます。

 

 

714年、白石に若狭彦神社が創建され、翌年に現地へ遷座。
旧社地には現在、白石神社(現:境外末社)が鎮座しています。

 

 

 

そもそも若狭へ来たのは、
ネットで見たこのアングルに一目惚れしたから

石段と芝の組み合わせが最高に好きな自分には、
こんな基壇、好物以外の何ものでもない。

 

 

やっぱ直線とシンメトリー好きだわ~。

 

 

あ、基壇で思い出した。

大昔に訪れたメキシコのテオティワカン遺跡。
壮大なピラミッド群の姿が超好みだったんだけど、
アレって、基壇の積み重ねに見えなくもない・・。
(しかもシンメトリー&直線的)

あれから30年近く経って、しかもこんな所で
遺跡好きの原因の一つが明らかになるとは(笑)。

こーいう系に惹かれる気持ちは高校生頃からブレてないわけで、
ある意味、年季入った趣味趣向なんだな。

 

 

で、この6基の礎石を抱くこの場所が何なのかというと、
昭和20年の雪害で倒壊した、入母屋造平入の拝殿跡なんだそう。

 

 

幻の拝殿を見たかったと思うと同時に、
この光景が最高過ぎるんで、現状でもう十分幸せです。

↑基壇跡でダッシュするお子さん。

わかる、わかるよその気持ち。

人目さえなければ私もやりたかったよ。

 

 

神門中門)(県指定有形文化財)

 

 

1803年造営の、
切妻造平入、桧皮葺、素木造の四脚門。

 

 

 

 

本殿(県指定有形文化財)

 

 

1802年造営の、三間社流造

 

 

本殿の屋根の上には、内削ぎの千木と10本の鰹木の姿が。

内削ぎ&偶数は、御祭神が女神の時に多い形状ですが、
こちらの御祭神は比子神。男神です。

外削ぎ&奇数=男神、
内削ぎ&偶数=女神
っていうセオリーが必ずしも当てはまる訳じゃないという、いい例ですね。

 

 

 

 

みな人の 直き心ぞ そのままに
神の神にて 神の神なり

 

 

宇多天皇の御子である敦実親王が、
若狭彦大明神から告げられた御神託、「四神の御歌」です。
 

 

 

 

本殿の右側に、
末社 若宮神社

 

 

御祭神:鸕鷀草葺不合尊

祭神のウガヤフキアエズ神は、彦火火出見尊と豊玉姫命の御子神であり、
のちの神武天皇の祖神ですね。

相殿神:蟻通神・大山衹命
大正年間に、蟻通神社・山衹神社を合祀したので、
その御祭神が一緒に祀られています。

 

 

蟻通神社と聞いてまず思い浮かべるのが、奈良の丹生川上神社の旧称でしょうか。

丹生川上神社から勧請されたと思われる同名の神社が、
和歌山や大阪にありますが、やはりこちらもそうなのかな?

 

 

 

夫婦杉

同じ根から生えた二本の杉ですが、このような相生の杉は神社でよく見かけます。
夫婦和合の霊験あらたかな御神木として崇められていますね。
とても立派な杉です。

 

 

 

 

手水は、「伏水の幸」と名付けられた御神水です。

決して涸れることなく湧き続ける水なんだそう。

 

 

 

ご神紋「宝珠に波」

宝珠は、潮の満ち引きを自在に操る珠で、
山幸彦(彦火火出見尊)が龍宮で手に入れた潮盈珠・潮乾珠にちなんでいます。

 

 

誰もが一度は見聞きしたことがあるであろう、
山幸彦と海幸彦の神話。

 

要約すると、

①猟師・山幸彦(弟)と、漁師・海幸彦(兄)が、
 互いに猟具を交換。
 ところが魚釣りに出かけた山幸彦は、
 借りた釣り針を失くしてしまう。

②塩椎神のアドバイスで「綿津見神宮(竜宮)」へ行ったところ、
 海神(大綿津見神)に気に入られて娘の豊玉姫(=若狭姫神社の御祭神)と結婚。

③竜宮で3年のあいだ楽しく暮らした山幸彦は、
 失くした釣針と「潮盈珠・潮乾珠」を姫にもらい、
 和邇(ワニ=鮫)に乗せてもらって地上へ帰還。
 攻めてきた海幸彦を玉の力で懲らしめ、忠誠を誓わせた。

④その後、豊玉姫は陸に上がって、
 御子(鵜草葺不合尊)を産むが、
 出産の際に姫の正体が八尋和邇だと知った山幸彦は、
 怖くなって逃げ出してしまう。(←なんてヤツ。)

 

 

子供の頃は、日本昔話的なお話なのね~とか思ってたけど、
これ、
天孫族が隼人族(熊襲)を平定・服従させた闘争劇の神話化なのね。

日本には、勅撰の正史である日本書紀や、
最古の歴史書とされる古事記などがありますが、
古事記は神話的要素が強くておとぎ話っぽい印象ですよね。
でも、ほのぼの~(or残酷)なお話の裏には、
実は歴史が隠されていたりするわけです。

ただ、国家が公式に作るものは、おおかた歴史の勝者が編纂するので、
当時の権力者目線の、都合のいい話になっちゃってますけど・・。

 

 

隼人族:海幸彦(火照命〈古事記〉/火闌降命〈日本書紀〉)=隼人の阿多君の始祖
天孫族:山幸彦(火遠理命〈古事記〉/彦火火出見尊〈日本書紀〉)

 

若狭姫神社の御祭神でもある豊玉姫の正体は、八尋和邇(やひろわに)。

和珥氏(和邇氏)は、おそらく同じ海人族の安曇氏と同族で、
祖神が綿津見豊玉彦命。
その娘神である豊玉姫命も、和邇族。

 

 

そういえば、若狭神宮寺で戴いた
その名も「ワニ鈴」と言います。

『神体山で鈴の音が7日間も鳴り響いていたため、
若狭神宮寺の開祖が天神に祈った。
すると金鈴が振ってきたので、
これを当地の地主神の那伽王(ナガ王)として祀り、
御神体とした。』

その金鈴を模したのが、ワニ鈴なのだそうです。

 

八尋ワニの豊玉姫(海人族)と、山幸彦(天孫族)の結婚は、
「異類婚姻譚」の典型であり、
異部族どうしの政治的結び付きを意味します。

いわゆる「見るなのタブー」を犯した結果、別離や不幸に向かうのも、
大物主さんの蛇婿入り伝説と同種。

 

 

とすると、ナガ王が降りたという金の鈴「ワニ鈴」は、
単に豊玉姫の八尋ワニから命名したかもしれないけど、
もしかしたら、
渡来した 新・権力者(若狭彦神)に随伴した巫女(若狭姫神)とナガ王との、
婚姻ないしそれに準ずる関係を象徴するものだったりして・・とか考えてみる。

若狭彦神と山幸彦(火遠理命/彦火火出見尊)をイコールにするのは無理があるので、
新・権力者が彦火火出見尊系列の誰かだったのか。

単に、
明治の廃仏毀釈で明神号を大っぴらに使えなくなった時に、
祖神の名を担いだだけなのかもしれませんが、
他部族による侵略時において、
先住の部族が和合を受け入れて帰順すれば、
異類婚姻話や地主神として名を残してもらえたりします。
他方、抵抗して滅ぼされると、熊襲だ土蜘蛛だといって貶められる。

若狭彦神が何者であるかは別として、
ナガ王は大人しく帰順した前者だったのかな・・。

 

 

ナガ(ナーガ)は龍蛇神ですし、
ワニ族の龍蛇、鰐信仰と被るんで、いずれにせよ、
地主神(旧統治者)も、若狭の神(新統治者)も、
どっちも海人族だったってことで。

 

 

正体を夫に覗き見られ、ブチ切れて育児放棄しつつも、
妹を養育係に寄こしたり歌を詠み交わしたりする豊玉姫神・・。

その神話の裏側にあるのは、
夫婦ゲンカという名の、
天孫族と海人族の軋轢なのでしょうか。

 

 

ということで、健気な姫神に会いに下社へ向かいます。

 

つづく・・。

 


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