水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

若狭神宮寺-2

2020-01-22 | ├ 福井(ひとり旅)

 

若狭神宮寺つづき。

 

 

 

 

 

 

では、表門(桃山時代再建)より中へ。

 

 

 

趣のある手水鉢。

 

 

周囲の緑が美しくて、
本当に癒される。

 

 

 

 

若狭神宮寺 本堂(重文)

 

 

1553年、朝倉義景により再建された建物です。

 

 

若狭神宮寺は、若狭彦・若狭姫姫神社の神願寺として成立。
長尾山を神体山とする、天台宗の古刹です。

縁起によれば、元正天皇の勅命により714年に創建されたとされ、
鎌倉初期には、若狭彦神社別当寺神宮寺と改名しました。

 

 

天台宗・・。

こちらでも書いたけど、私の好きなキーワードのひとつです。

 

 

 

神宮寺では、
毎年3月2日、奈良の東大寺二月堂へ香水を送る
「お水送り」神事を行っています。

 

 

春を告げる行事として有名な、東大寺二月堂の「お水取り」。

 

 

752年、インドの渡来僧・実忠は、
二月堂建立の際に修二会を催して、全国の神々を招きました。

遠敷明神は漁に夢中になって遅刻してしまったため、
お詫びに、本尊に供える御香水を、若狭から送ることを約束。
二月堂の下から、清水が湧き出したと伝えられます。

 

 

以来、1260年以上に渡り、
「お水取り」の伝統行事は続いています。

3/12の深夜に二月堂境内にある「若狭井」という井戸から、
ご本尊に供える御香水を汲み上げるのですが、
これに先立つ3/2に、若狭神宮寺では「お水送り」を行います。

 

 

お水送りは、神宮寺の井戸(閼伽井)で汲みあげた聖水を、
遠敷川(おにゅうがわ)の鵜の瀬まで運んで注ぎ込むという神事で、
この時注がれた聖水は、
南方およそ90キロ先にある二月堂の若狭井へ
10日間かかって届くとされています。

 

 

「お水送り」神事では、鵜の瀬までおよそ2キロに渡って
松明行列が続きます。

動画で拝見しましたが、
聖水を送るため、先頭の大松明の後ろを何百もの松明が続く様は、
圧巻としか言いようがありません。

松明行列には、一般市民、観光客なども参加できるようなので、
機会があればぜひ参加してみたいなあ・・。

 

 

 

さて、この「御香水」。

ただの水ではなくて、
「水銀」絡みなのでは?という説もありますね。

 

 

確かに、
東大寺の大仏建立における水銀汚染や、
遠敷(おにゅう)と丹生(にゅう)のつながりなど、
水銀を連想させるものは幾つも出てきます。

 

若狭はかつて、その大部分を遠敷郡(もとは小丹生)と称し、
県内の越前市なども丹生郡と呼ばれておりました。

「丹生」とは、「辰砂(シンシャ)」が採れる土地のことで、
辰砂(水銀朱/硫化水銀)は、水銀を含んだ赤褐色の鉱石鉱物です。
(水には溶けにくいけれど、加熱して蒸気として分離した水銀蒸気は有毒。)

 

 

古い鉱山は、和歌山・奈良・四国などの中央構造線沿いに多く、
採掘した辰砂を水銀朱に精製する技能をもつ人々や、彼らが住む採掘地は、
「丹生」と呼ばれました。

水神・水銀鉱床の神である丹生都比売大神を祀る神社も、
中央構造線沿いの水銀鉱床地域の分布する場所に広がっています。

 

 

神さんが遅刻したお詫びに、清らかな水を贈った・・という逸話も、
何かをオブラートに包むための比喩なのか分かりませんが、
地下水脈説はまだしも、若狭の川の水が奈良にワープする訳はないので、
記紀と同様、そこにはきっと何かがあったのでしょう。

 

 

 

本堂の裏。

神社や寺院では、必ず裏に回る。
個人的大好きポイントです。

 

 

 

 

寺由緒書きによれば、
『この地方を拓し国造りした祖先が遠敷明神(若狭彦命)』で、
その発祥地は、根石の白石であるとのこと。

 

 

そして『遠敷明神の直孫・和朝臣赤麿公』が、8世紀初め、
『紀元前の銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表し、
長尾明神(那伽王明神)として長尾山上に祀り』、
その下に神願寺を創建。
翌715年、勅願寺となったことに始まるとされます。

 

 

その秋には根来白石の遠敷明神を神願寺に迎え、
ここを神仏両道の道場とします。

鎌倉期になると、将軍・源頼経により七堂伽藍二十五坊が寄進され、
神願寺は「根本神宮寺」と改号し、若狭彦神社別当寺神宮寺となりました。

 

 

個人的に気になるのは、やはり
『銅鐸をもった先住のナガ族の王を金鈴に表し長尾明神として・・』
のくだりです。

 

 

那伽(ナガ)は、蛇・龍。

どうしても、
海人族(あまぞく
)  や、海神族(わたつみぞく)が浮かびます。

 

 

海人族(海人部)は、
航海、漁労、海上輸送などに長けた、古代の集団のこと。
有力氏族では、安曇氏、宗像氏、和邇氏、尾張氏、三輪君系などが該当します。

インド・中国起源とか、インドネシア(南島系)起源とか、
色々あるんだけど、
銅鐸、銅矛を用い、龍蛇信仰を持つのが特徴。

 

 

ちなみに、私の父方は後者、
約6,000年まえに渡来した、南島系の海人族。

そう考えると、
直系先祖の龍蛇信仰も、私の 龍・銅鐸好きも、
かなり年季入ってるかもしんない(笑)。

 

 

若狭彦神社(遠敷明神上社)の御祭神:彦火火出見尊も、
若狭姫神社(遠敷明神下社)の御祭神:豊玉姫命も、
バリバリの海人族。

よって、
先住民の那伽族(海人族)の首長、あるいは奉じた神を、
神宮寺の背後の長尾山に祀って神体山とし、
海人系の神(彦火火出見尊・豊玉姫命)を勧請して、
若狭彦・姫神社に祀った。

・・ということで良いかしら?

 

 

・・って考えながら歩いてたら、足元に大きな蛇が。
まあなんてタイミングのいい(笑)。

1枚目はちょっとブレブレ。

 

 

お散歩するかの如く、
神体山である長尾山(多田ヶ岳)の方向へ
ゆっくり移動していきました。
 

かーいいわ (←爬虫類好き。)

 

 

 

 

こちらは、神宮寺で購入した鈴。

もちろん、金の鈴に降臨した那伽王にちなんでいます。

 

 

三輪さんの竜馬鈴とともに、
神社巡りの際は必ず持参している、
本当の意味での「御護り」です。

 

 

 

なお、神宮寺(別当寺/宮寺)とは、
神仏習合思想に基づき、神社に附属して建てられた仏教寺院や仏堂のことで、
神事を仏式で行う場所。
要するに神祇のためのお寺です。

平安時代には、ほとんどすべての神社に神宮寺が置かれました。

 

 

その逆が「鎮守社」で、
寺院に付属して建てられた祠のこと。
お寺のための神社です。

 

 

名前が似ているので神宮と神宮寺を混同しがちですが、
両者は全くの別物なのです。

 

 

身近に神宮寺という姓の方がいるけど、
寺社関係の苗字だなんて、個人的にめっちゃ羨ましいわ・・(笑)。

 

 

その3へつづく・・。

 


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