水早 -mizuha- 神社と写真と一人旅。

カメラ片手にゆるり神社めぐり。
公共機関&徒歩での日帰り参拝記録をメインに綴っています。

島根県⑦ 熊野大社-2

2017-06-04 | ├ 島根(ひとり旅)

 

熊野大社ラスト。

 

 

 

 

 

 

境内に足を踏み入れて、まず一番に目が行った建物がこちら。

 

 

舞殿

 

 

やっぱいいわー。

この様式美にはいつも惚れ惚れしてしまう。

 

 

もとは拝殿だった建物で、1973年に舞殿として移築されたもの。

 

 

一見、柱だけの開放型に見えますが、

 

 

可動式の壁?があるんだね。

 

 

モロ好みです。たまりません。

いつかこの中でお昼寝したい。(*´Д`*)

 

 

 

澄んだ空気と、ひらひらと舞う蝶々や黒トンボに癒されながら
帰りの時間までゆっくり境内を散策。

 

 

拝殿の左手、荒神社

 

 

御祭神:素戔嗚尊

相殿神:高龗、闇龗、闇罔象

 

 

高龗(たかおかみ)、闇龗(くらおかみ)、闇罔象(くらみずは)だなんて、
個人的には最高の社じゃないですか。

水神さんオンパレードわーい。

 

 

こちらは、明治になって熊野村内にあった多数の荒神、水神、氏神を
合祀したものだそうです。

 

 

 

背後に並ぶこの石祠たちが、
元の地に鎮座していた神さん方なのかな。

 

 

傍らに小さい子もいるし。

なにこれかわいー。ちびっこ牛さんだー。

 

 

社殿の右横奥に湧き出ている御神水は頂くことができます。

古来より神饌や御水として使われている神水で、
近くで湧き出ている清水を引いてきたものだとか。

 

 

 

鑽火殿(さんかでん)

四方の壁が檜の皮で覆われた、萱葺き屋根の建物。

ちょっと珍しいこの建物は、
1915年から行われている「鑚火祭(亀太夫神事)」の舞台となる場所で、
火をおこす神具の燧杵・燧臼が奉安されています。

 

 

毎年10/15に行われる「鑚火祭(亀太夫神事)」は、
熊野大社における最も有名な神事です。

この日、熊野大社を訪れた出雲大社の宮司(出雲國造)は
出雲大社の「古伝新嘗祭」で使用する燧臼・燧杵を授かりますが、
この受け渡しの神事は「亀太夫神事」と呼ばれます。

出雲大社が熊野大社に納める神餅の出来ばえに対し、
亀太夫という下級神官が、出雲大社の神官へ口やかましく苦情を言い立てるという、
どう見ても熊野大社の立場が上な、一風変わった神事となっています。

この熊野と出雲の立場の差が表しているのは、
出雲國造の本拠地がここ
意宇郡から出雲の地へ移ったという歴史的背景と、
祀られている主祭神およびそれを奉じる一族の力関係。

祭祀の場は出雲の地へ移っても、源流はここ意宇。
そもそも、熊野大社のほうが格上だったのでしょう。

 

 

祓所

 

 

とくに周囲に注連縄が張られているわけじゃないけど、
たぶん中へは入れないと思うので、望遠で。

奥にある石の祭壇は、祓いの神が降臨されるための依代です。

 

 

参拝客の休憩所、環翠亭そばにある池には
美しい鯉がのんびり泳いでいました。

 

 

きれいやなー

 

 

 

帰り際にふと目に入った杉の大木。

一瞬、“木から毛が生えてる!?”と思って二度見しちゃったよ

 

 

正体はカラスの羽。

なんでこんなふうに刺さってんの??

落ちてた羽を誰かが拾って刺したんだろうか・・とあれこれ考えながら、
境内をあとにしました。

 

 

 

いつしか空も明るくなって、
澄んだ空気が神域の清浄さをいっそう際立させていました。

 

 

 

突然の通り雨で最初はどうなるかと思ったけど、
無事に参拝を終えられてよかった。

ここへ来るまで暑さでバテそうだったんで、
おかげで結構涼しくなって体力的にも助かりました。

 

 

 

熊野の神さん、ありがとう。

 

 

 

では、再びバスに乗って移動します。

 

 

つづく。

 


(熊野大社 御朱印)

 

 

 


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