クニの部屋 -北武蔵の風土記-

郷土作家の歴史ハックツ部屋。

昭和40年代の羽生から

2023年12月27日 | 近現代の歴史部屋
年明け早々に講師の仕事があり、その仕込みをする。
昭和40年代の羽生の商店が載っている本を読み、パワポとレジュメを作る。

当時は個人商店が多く、被服や布帛を扱っている店が多い。
旅店も少なからずあり、現在とは別の勢いを感じる。
朝の羽生駅を写した古写真には、改札口を出る多くの女性たちの姿があり、埼玉県内で言えば大宮駅の光景のようだ(ちょっと言いすぎかな)

東北から北埼玉へ働きに出てきた若い人も多かったという。
羽生の町中には2つの映画館があり、駅前にはボーリング場もあった。
束の間の休息、娯楽施設で息抜きをした人も多かっただろう。

インターネットもなかった時代。
化粧品を買いに行くにも個人商店だったろうし、人と人との距離がいまより近かった。
在宅勤務やテレワークといった勤務形態など、想像もしていなかったはず。
冬休み中の子どもたちを見ていると、彼らが職業人になったとき、いまの我々が想像もしていない働き方をしているのだろうかと思う。
それとも、働くという概念そのものが変わっているかもしれない。

2023年がもうすぐ終わり、また年を重ねる。
ドラマ「オヨビでない奴」(TBS)を観ていた小学生の頃が遠ざかる。
このドラマには植木等が出演し、「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」と歌い、主人公は「無責任男」の男子中学生(高橋良明)だった。
その数年後、流れたCMには「24時間、戦えますか」と歌っていた。

昭和後期と令和の働き方も隔世の感がある。
そもそも、僕らが小学生の頃は、親世代と似た景気(あるいはそれ以上)の中で働くものと思っていた。
まさか、ロストジェネレーションなどと呼ばれるとは思いもしなかった。

昭和40年代の商店の古写真には、右肩上がりの勢いを感じさせる。
それなのに、いま目に映る景色はどうしてどこか重く、疲れているように見えるのだろう。
昭和はもはや歴史の領域になっているが、「オヨビでない奴」の第20回のタイトルのように、「明るく楽しく調子よく」の心を思い出してもいいのかもしれない。
コメント (4)
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