
見沼は埼玉県さいたま市東部にあった沼沢地で、
約6000年前の縄文海進の運動によってできた。
“井沢弥惣兵衛”の新田開発によって消滅したが、
沼好きには無視できない場所である。
この見沼と“氷川神社”との関係は深い。
さいたま市高鼻の氷川神社と、同市中川に鎮座する同社、
また同市三室の同社は見沼の縁辺にあり、
かつては舟で行き来する領域内であったと考えられている。
氷川神社は元々水神の性格を持っていたのであろう。
「氷川」の語源は、「ヒ」は氷の古語、
「カワ」は泉を表現したと一説に言われているし、
また高鼻の神池は水が湧き出ており、
見沼の水源になっていた。
つまり、見沼は聖なる沼ということになろう。
ここに住む古代の人々は、見沼は生活に欠かせないものであり、
一方で信仰の対象だったのである。
そんな聖なる沼には何が生息するのか?
井沢弥惣兵衛の前に現れた竜神の化身など、
古くから竜神が棲む伝説は多く伝わっているが、
一つに“片目の魚”がある。
その名の通り、見沼のコイはどういうわけか片目であるという。
氷川神社の由来書にも「片目鯉」の文字が見える。
このコイは見沼に多く生息しており、
これを獲る者は一生盲目になるという。
片目は神によってなされた刻印であるのと同寺に、
見沼の聖性を高めるものと言えよう。
“片目の魚”伝説は日本全国多く分布している。
なぜ片目なのか?
片目はいわば通常ではない異端とされる。
不思議な力を宿し、恐れられる存在であった。
“柳田國男”は次のように述べている。
何か最初から目の二つある者よりも、片方しかないものをおそろしく、
また大切に思うわけがあったので、
それで伝説の片目の魚、片目の蛇のいい伝えが始まり、
それにいろいろの昔話が、あとから来てくっついたものではないか。
(『日本の伝説』より)
つまり、氷川の神に仕える見沼のコイは、目が二つあってはならない。
なぜならコイは選ばれし存在であり、異端者である。
ゆえに一般と区別するために、片目とされたのだろう。
こうした考えは現代も生きている。
アニメやマンガの世界で、特殊な能力を持つ者は隻眼であることが多い。
昨日の記事で、ぼくの右目が花粉症で二重になり、
よって羽生城主の霊が見えるようになるかもしれないと書いたが、
これも片目伝説の思考によるものである。
隻眼は異端者の刻印という考え方が、
古くから日本人の心に根付いていると言えよう。
前述したように、見沼は消滅した。
寛永6年(1629)の溜井を経て、
享保13年(1728)に新田へと変わった。
別名見沼たんぼといい、石高を上げたのである。
その場所から、さいたま新都心のビルを望むことができる。
もし隻眼のコイの主がいまでも生きているとしたら、
その光景はどう見えるのだろう。
もともと移り変わりの激しい場所である。
これも時代の流れだと、
儚い泡沫を浮かべるのかもしれない……

氷川神社(埼玉県さいたま市高鼻)
約6000年前の縄文海進の運動によってできた。
“井沢弥惣兵衛”の新田開発によって消滅したが、
沼好きには無視できない場所である。
この見沼と“氷川神社”との関係は深い。
さいたま市高鼻の氷川神社と、同市中川に鎮座する同社、
また同市三室の同社は見沼の縁辺にあり、
かつては舟で行き来する領域内であったと考えられている。
氷川神社は元々水神の性格を持っていたのであろう。
「氷川」の語源は、「ヒ」は氷の古語、
「カワ」は泉を表現したと一説に言われているし、
また高鼻の神池は水が湧き出ており、
見沼の水源になっていた。
つまり、見沼は聖なる沼ということになろう。
ここに住む古代の人々は、見沼は生活に欠かせないものであり、
一方で信仰の対象だったのである。
そんな聖なる沼には何が生息するのか?
井沢弥惣兵衛の前に現れた竜神の化身など、
古くから竜神が棲む伝説は多く伝わっているが、
一つに“片目の魚”がある。
その名の通り、見沼のコイはどういうわけか片目であるという。
氷川神社の由来書にも「片目鯉」の文字が見える。
このコイは見沼に多く生息しており、
これを獲る者は一生盲目になるという。
片目は神によってなされた刻印であるのと同寺に、
見沼の聖性を高めるものと言えよう。
“片目の魚”伝説は日本全国多く分布している。
なぜ片目なのか?
片目はいわば通常ではない異端とされる。
不思議な力を宿し、恐れられる存在であった。
“柳田國男”は次のように述べている。
何か最初から目の二つある者よりも、片方しかないものをおそろしく、
また大切に思うわけがあったので、
それで伝説の片目の魚、片目の蛇のいい伝えが始まり、
それにいろいろの昔話が、あとから来てくっついたものではないか。
(『日本の伝説』より)
つまり、氷川の神に仕える見沼のコイは、目が二つあってはならない。
なぜならコイは選ばれし存在であり、異端者である。
ゆえに一般と区別するために、片目とされたのだろう。
こうした考えは現代も生きている。
アニメやマンガの世界で、特殊な能力を持つ者は隻眼であることが多い。
昨日の記事で、ぼくの右目が花粉症で二重になり、
よって羽生城主の霊が見えるようになるかもしれないと書いたが、
これも片目伝説の思考によるものである。
隻眼は異端者の刻印という考え方が、
古くから日本人の心に根付いていると言えよう。
前述したように、見沼は消滅した。
寛永6年(1629)の溜井を経て、
享保13年(1728)に新田へと変わった。
別名見沼たんぼといい、石高を上げたのである。
その場所から、さいたま新都心のビルを望むことができる。
もし隻眼のコイの主がいまでも生きているとしたら、
その光景はどう見えるのだろう。
もともと移り変わりの激しい場所である。
これも時代の流れだと、
儚い泡沫を浮かべるのかもしれない……

氷川神社(埼玉県さいたま市高鼻)
見沼と氷川神社の関係は、とっても深いですよね。見沼は、男躰と女躰の神が通る、神聖な水路であると信仰されていたそうです。社殿前の神池とボート池が、見沼の最後の姿になってますね。戦国時代の寿能城は、見沼を要塞に利用していたのだと思います。野田線の大宮公園駅と大和田駅の間を通ると、低く窪んでいるのが分かり当時を想像できる気がします。片目鯉の伝説も興味深いですね。たしか神池に鯉がいました。
もう卒業式はお迎えになったのでしょうか。おめでとうございます。普通に働きながら学校に通うのは、体力的にもきついですしご自分のはっきりした目的意識がなによりも奮いたたせたのでしょうね。全く頭がさがります。
9年ぶりに来日しているBOB DYLANのライブを観てきました。流行や世間に全くブレないBOBは自分の‘道‘を持っているのだと強く感じました。そして一生歌い続けるのだろうと。
見沼は消滅してしまいましたが、
太古から人々の生活に密着していましたね。
幼い頃から氷川神社には行っていたのですが、
「見沼」という視点で見たとき、
全く別の神社に見えたのを覚えています。
大宮公園もそれまでよりももっと好きになりました。
片目の鯉以外の伝説もとても興味深いです。
おかげさまで、学校は無事に卒業しました。
なんとか初志貫徹したことにホッとしています。
鉄は熱い内に打てといいますが、
流れとタイミングというのはありますよね。
いまはそのことを実感しています。
おお! BOB DYLANのライヴへ行ってきたのですね。
ジャスにはまっている友人も足を運んだようです。
チケットはすぐに完売だったとか……
>BOBは自分の‘道‘を持っているのだと強く感じました。
そういう人物にとても憧れます。
その「道」があるから「BOB DYLAN」なんでしょうね。
とてもかっこいいです。