「ピエロ」の独り言

四国の山の中、久万町に住む「ピエロ」。人は皆「道化師」です。独り言を掲載します。

伊予と赤穂の関係。

2011年12月15日 16時32分27秒 | Weblog

【今日の写真】 写真は、散歩道の道外れの「クラマゴケ」の中に生えていた「テングツルタケ」でしょうか、はっきりとはしません。何しろ「キノコ」は種類も多く、形も判別するのは大変ですから、おおよそということになります。

 【今日のお天気と身の回り】
今日も、高原特有の気象パターンで、昼過ぎからはやや雲がありましたが、青空です。
何時ものお薬を貰うために「診療所に出かけました。待ち時間に、JAで「灯油」をかいいれました。1450くらいの値段で、安いと感じました。
我が家に帰りついてから、3ヶ月に一度の「血液検査」の採血をするのを誰も気が付かないで忘れてしまったので、次回とすることになります。


【愛媛県関連】(毎日新聞)
『松山義士祭:赤穂の二士、興聖寺で供養 /愛媛』
 赤穂浪士2人の遺髪が納められている興聖寺(松山市末広町)で14日、松山義士祭があった。供養と地域の発展を目的に末広町内会が主催し、今年で48回目。法被を着た町内関係者など約30人が、刀や太鼓を手に伊予鉄道松山市駅周辺を練り歩き、同寺で法要が営まれた。
 遺髪が納められているのは赤穂浪士の大高源吾、木村岡右衛門の2人。1703(元禄15)年12月14日の吉良邸討ち入り後、2人を含めた10人が、江戸の松山藩邸に収容された。2人の切腹を介錯した松山藩士宮原久太夫が遺髪を松山に持ち帰り、同寺に墓を建てたと伝えられている。
 同寺の2人の墓の前にはたくさんの花などが添えられ、大勢の人が浪士をしのんでいた。


*昨日の14日は「赤穂浪士討ち入りの日」松山にはこのほか道後公園の外堀土手に「赤穂藩」から贈られた「はぜの木」が植えられているということです。

【体調関係】 (私) 今日は、「診療所」のドクターと話をして、痛みが局所化すれば「神経ブロック」という方法もあるのですが、との事でした。今は痛みを我慢できますのでもっと様子を見てみるようにお答えしました。(妻) ドクターが触診して、坐骨骨折などはないということがわかりました。  



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