くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

名所江戸百景005 第79景 芝神明増上寺 桜満開

2013年03月29日 20時06分03秒 | 名所江戸百景
 こんにちわ、「くまドン」です。
 インターネットの接続が不調になって、全くつながらなくなりました。仕事もあり、3日間アクセスができませんでした。本日、業者に連絡して対処方法を聞いて、やっと接続が回復しました。
 桜が咲いている間に少しでもプログを更新しようとしたのですが、プログ開始早々、いきなりズッコケ状態です。それでも、散り始めとはいえ、東京の桜は、まだ咲いています。桜が咲き終わるまでに、少しでもプログを進めていきたいと思います。
 前回は上野の桜で、寛永寺の話をしましたので、今回は芝公園にある増上寺(ぞうじょうじ)を取り上げてみたいと思います。増上寺は浄土宗の寺院です。

 天正18年(1590年)、徳川家康が江戸入府の時に、たまたま増上寺の前を通りかかり、慈昌上人(じしょうしょうにん、源誉存応上人)と対面したのが菩提寺となるきっかけでした。
 この当時の増上寺は現在の四谷駅近くの麹町・紀尾井町付近にあったのですが、家康に気に入られ、日比谷へ移り、さらに江戸城を拡張することになった為、家康により慶長3年(1598年)に現在の芝へ移されました。

 増上寺は徳川家の菩提寺ですから、徳川将軍15人中6人(2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂)が眠っています。寛永寺と同じ6人になっています。
 寛永寺との菩提寺をめぐる経緯は「上野の桜①」で書いた通りです。

 太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟、五重塔などの多くの遺構を失うことになりました。焼失せずに焼け残った遺構は重要文化財に指定されています。
 戦前、霊廟は増上寺境内の別の場所にありましたが、空襲で焼失してしまい、現在は本殿右の安国殿裏にある徳川家墓所にまとめられて墓塔が建てられています。


 行く途中の右側に水子地蔵が奇麗に並べられています。


 下の絵は、名所江戸百景「第79景 芝神明増上寺」です。


 絵の右側にある建物が芝大神宮、左側にあるの門が増上寺です。手前には増上寺の参拝客が歩いています。その後ろにいるのは、増上寺の托鉢(たくはつ)のお坊さんです。
 増上寺は徳川家の菩提寺ですから、当然、手厚い保護で江戸時代は繁栄して、僧侶の養成・学問を担当する関東十八檀林(かんとうじゅうはちだんりん)の筆頭となり、京都の知恩院(ちおんいん)とともに浄土宗の名高い寺となりました。関東一円の浄土宗の寺からお坊さんが多数修行に来ていたことになります。

 JR浜松町駅や地下鉄大門駅からに西歩いて行くと、下の写真の門が見えます。この門が上の絵に描いていある増上寺の表門である大門です。昭和になって道路整理の為、江戸時代の門より大きく作り変えた為、門の下を車が通り抜けます。手前の交差点を右に行くと、芝大神宮です。この大門が増上寺の表門でしたから、江戸時代の増上寺の広さを感じることができます。


 そのまま歩いて行くと、絵の大門の後ろに描かれた中門である三解脱門(三門、重要文化財)があります。江戸時代は増上寺境内にありました。戦争の空襲による消失をまぬがれた江戸初期の建築様式の面影を残す門です。三解脱門とは三つの煩悩「むさぼり、いかり、おろかさ」を解脱する門のことだそうです。
 増上寺は東向きが正面の為、お昼過ぎには逆光になって撮り難いです。撮影は午前中の早い時間に撮った方が良いです。


 三門を通り抜けると、増上寺の大殿と一緒に東京タワーが見えます。桜は散り始めでした。ほぼ、満開状態でした。

 現代の芝といえば、最初に、思い浮かぶのは東京タワーでしょう。スカイツリーができた現在も東京タワーは東京のランドマークとして健在です。逆に江戸時代といえば、高層建築物はありませんから、お寺や神社がランドマーク的存在であり、宗教的な参拝と同時に観光地にもなっていたわけです。
 このプログは名所江戸百景「くまドン版」を作ることが最初の目標になっていますので、「くまドン版」では、このようなランドマーク的存在は、積極的に取り入れていきたいと思います。

 上の全景を入れた写真でも良いのですが、これでは、工夫がありませんので、広重の名所江戸百景の特徴でもあるフレーミングして撮ります。
 写真の「フレーミング」とは、撮影中に望遠レンズなどで広い画像を切り取り構図を作画することを意味します。できあがった画像を切り取っても同じような結果を得られますが、この場合は「トリミング」と言います。
 
 まず、撮影ポジションを移動して、左側に桜近づき、増上寺と東京タワーを入れて撮ってみました。

 くまドンのカメラは絵画調のフィルタ機能がありまして、写真と見比べると面白いので、二枚同時でお見せします。


 今度は右側の桜に近づいて、さらに変化をつけられないかと工夫してみました。撮影してみると、桜の花が陰になって暗くなるので、ストロボを強制発射(日中シンクロ)に変更して撮影しました。桜の露出が後ろの背景の明るさと一致しましたので、下の写真を「第79景 芝神明増上寺」に対応する「くまドン版」の景(確定)とさせていただきます。

 絵画調

 念のため申し上げますと、くまドンのカメラはストロボは自動発光ですので、ストロボの光量を調整できません。距離が近すぎると、桜の花は白飛びしてしまい、距離が遠すぎると花は暗くなります。

 増上寺境内は桜が多くありますから、その他にも、いろいろ撮れます

 屋根だけでも絵になります。


 徳川の時代が終わり、明治になると、神仏分離政策の為、芝公園が増上寺の敷地内に造られました。戦後は、政教分離の為、宗教色のない公園として、芝公園が増上寺を取り囲むように分離されます。

 増上寺の表門を出て南(右)に進むと下の写真の「台徳院霊廟惣門」(たいとくいんれいびょうそうもん、重要文化財)があります。二代秀忠の霊廟へ続く門です。

 戦前、霊廟は増上寺境内の南側にありましたが、これも空襲で焼失してしまい、現在は本殿右の安国殿裏にある徳川家墓所に墓塔が建てられています。

 この惣門は、現在は、下の写真で東京タワーの右側に建っている「ザ・プリンスパークタワー東京」の敷地内だそうです。(都内のホテルの敷地としては、ものすごい広さなのですが・・・)

 その他の消失を免れた重要文化財の門として、増上寺の北側に「二天門」があります。こちらは東京プリンスホテルの敷地内ですが、歩道から見ることができます。

 敷地内を歩いて行くと、徳川家の菩提寺なのですから、当然かもしれませんが、ここにも徳川家康(東照大権現)をまつる東照宮がありました。この辺も桜の撮影に向いている場所でした。

絵画調



絵画調


 のぼり旗の家康の文字の下に二代秀忠の夫人「お江」という文字が見えます。くまドンが撮影したのは、2012年ですから、NHK大河ドラマ「江~姫達の戦国」(2011年放送)の影響が大きかったようです。


 さらに歩いて行くと、「円山随身稲荷大明神」(まるやまずいしんいなりだいみょうじん)』があります。この付近は芝公園の一部です。

 正面は小高い丘のようになっています。登っていくと「芝丸山古墳」と表記された説明板があります。一応調べて現地に行ったのですが、古墳のことを知った時は「まさか、東京のど真ん中に古墳があったとは・・・」という思いでした。


 下の絵は名所江戸百景「第53景 増上寺塔赤羽根」です。


右に大きく赤い塔が見えますが、増上寺にも五重塔があったそうです。正確な位置は不明ですが、丸山古墳か、ザ・プリンスパークタワー東京の付近に五重塔はあったようです。川の左側に民家が綺麗に並んでいますが、江戸時代は、ここまで増上寺の敷地内でした。
 真ん中に川が見える川が「渋谷川」です。現在は首都高速が川の上に通っています。絵の中で渋谷川に架けられた橋が赤羽橋です。現在はコンクリート橋です。橋から渋谷川を見ると、屋形船があり、こんな所にも船宿があるのかと知りました。この橋のすぐ隣にある交差点は、東京タワー撮影の定番となっています。

 桜の写真ばかり選ぶと偏った百景になりますので、「第53景 増上寺塔赤羽根」に対応する「くまドン版」の景は、別の時期に東京タワー周辺で狙ってみたいと思います。とりあえず、上の写真を仮景とさせていただきます。

 これで、今回は終了です。ありがとうございました。


 日本プログ村に参加してみました。今一つ「くまドン」プログがどの分類に当てはまるのか判りませんが、時間のある方はどれか「ポチ」と押してください。
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