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くまドン旅日記

写真が趣味です。自然の風景、旅行、歴史に興味を持って撮影を続けています。

旅日記018 山陰海岸(8) かすみ丸遊覧船

2014年08月10日 09時30分37秒 | 旅日記
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回も、4月の山陰海岸の続きで、香美町(かみちょう)の香住海岸(かすみかいがん)の海岸風景からです。

 山陰海岸には、浦富海岸(うらどめかいがん)、浜坂、香住の3カ所に遊覧船があります。
 前回、「くまドン」が山陰海岸を訪れた時は、浦富海岸と浜坂の遊覧船に乗る事はできたのですが、香住の遊覧船は、午後から海が荒れて、他にお客さんもいなかったので、乗る事ができませんでした。
 とりあえず、香住漁港に到着したので、遊覧船・かすみ丸の乗船所に行って見ることにしました。
 乗船所に着くと、最悪のタイミングで、乗船の岸壁から離岸して、遊覧船が出発する所でした・・・・・・
 たまたま、岸壁にいた他のかすみ丸の方が、「かすみ丸に乗船ですか?」と声をかけてくれまして、「はい」と答えて、特にコース希望も特になかったので、どれでもOKと答えた所、一度、出港しかかった遊覧船を戻してもらえました。
 「くまドン」は運良かったというか、人数が増えた結果、遊覧コースが短いコースから、中間距離のコースに変更になったようです・・・と言う分けで、他のお客さんにも歓迎してもらいました。(後で調べた所、予約がいるみたいな感じ)

 遊覧船は長・中・短の3コースがあり、遊覧船の燃料費がかかるので、5名以上(長距離の3コースのみ10名以上)で運行です。当然ですが、距離が長くなるほど、遊覧時間が長くなり、料金がアップします。
 (年末・年始を除き、荒天を除き、お客さんの人数が揃えば、毎日運行です)

 遊覧船は、快適に速度を上げ、港はドンドン後ろに遠ざかります。


 左手には、但馬(たじま)の山並みが連なります。結構、標高があって、どっしりしてますね。

 4月とはいえ、高い山には残雪(?)らしき白い部分が見えたりもします。

 中間距離の2コースとはいえ、見応えは十分にありました。高い岸壁や海蝕洞が次から次へと現れていきます。
 山陰海岸は、陸からでは絶対に見えない風景が多いので、遊覧船は結構お得なのです。
 長くなるので、一枚だけ載せます。「鷹の巣島」と呼ばれるアメリカ先住民の酋長(しゅうちょう)さんの横顔に似ている岩です。

 他にも見る所が多く、見ていて飽きませんでした。希望する人数さえ揃えば、長めのコースはお勧めです。

 かすみ丸は、昭和40年代に遊覧船の夫婦の娘3人が船舶免許を取り、遊覧船の家業を継いだ事から、「三姉妹船長」として有名な観光船です。さらに、初代・三姉妹船長の娘3人が、母親と同様に船舶免許を取り、2代目・三姉妹船長となったそうです。現在は、(3姉妹)×(2世代)=6人の船長がいる事になります。
 下の写真は、かすみ丸操船中の2代目船長の一人です。

 9年程前に香住漁港のかすみ丸乗船所を訪れた時は、外海は白波が立っているが、静かな漁港の乗船所で、小学生らしき数人の子供達の遊び相手になっている初代・三姉妹船長の姿を思い出し、月日の流れを感じずにはいられない「くまドン」でした。(その時に遊んでいた子供たちが、2代目の船長達とは限らないのですが・・・・)

 かすみ丸は、実は3隻もあるんだそうで、すごいですね!

 写真奥の3隻で、定員は85名/81名/50名用があり、お客さんの数とコースで使用する船が決まるそうです。

 香住漁港の風景です。

 大きな集魚灯が特徴の漁船です。


 続いて、遊覧船・かすみ丸に乗っている時に説明のあった場所に向かいます。下の写真は岡見公園です。

 漁港から海岸道路を行くと、岡見公園に着きますが、昔は陸地から離れた離島だったそうです。
 岡見公園の西(左)側を見ると断崖がありますが、かすみ丸の船長の説明で、この上に城跡があるとのことでした。

城跡への道が無いかと思いましたが、海岸に降りて行く道だけでした。断崖には洞門があり、道は洞門対岸の波打ち際まで降りることができます。
 この城は、「塔の尾城」と言う名前らしく、室町(南北朝)時代に築かれた城で、長氏という一族の城でしたが、安土桃山時代の天正8年に、羽柴秀吉(はしばひでよし、豊臣秀吉)の但馬攻めで落城したとのことです。
 (三方が断崖の堅城とはいえ、織田軍の数と比較すると、落城やむなしか・・・・・)
 城への登城口はないかと探していると、八坂神社がありましたので、寄ってみる事にします。

 祭神は、
 須佐之男命(すさのおのみこと)
 櫛稲田姫命(くしいなだひめのみこと)・・・スサノオノミコトの妻、ヤマタノオロチ伝説に出てくる娘
 綿津見大神(わたつみのおおかみ)・・・・海の神

 龍の立派な彫物がありました。

 石段の途中には、多くの石柱が並んでいました。良く見ると、昭和40年代の石柱もあり、ほとんど毎年のように立てているような感じで、不思議に思いました。町から階段を登ってくる年輩の方いましたので、お聞きすると、町の人が一定の年齢になると、お金を出して、石柱を立ててきたそうです。町の人・一人ひとりの歴史だったのです。

 すでに参道の階段は石柱で一杯でしたが、これからは、どうするのかを町の人達で考えているという話でした。
 ついでに、「塔の尾城」の登城口について聞きましたが、坂下の町から登っていく道が二つあり、その中の一つが城跡への登り口だそうです。時間がなくなりそうなので、登城はあきらめましたので、細かい事は忘れましたが、地元の方に確認した方が賢明です。

 この場所は、桜の花が、まだ静かに咲いていました。

 次回も、さらに東へと山陰海岸を進んでいき、香住海岸から城崎(きのさき)方面へ進んでいく話となります。

(1)前回のブログは、以下の通りです。(ブログ右欄のカテゴリアーカイブで「旅日記」をクリックすると、一覧が表示され、一覧の先頭(一番下)にあるので、これをクリックしてもブログが開きます。)
 「旅日記011 山陰海岸(1) 浦富海岸の夕景」
 「旅日記012 山陰海岸(2) 居組・諸寄の漁港」
 「旅日記013 山陰海岸(3) 浜坂・城山公園」
 「旅日記014 山陰海岸(4) 御火の浦」
 「旅日記015 山陰海岸(5) 余部崎灯台」
 「旅日記016 山陰海岸(6) 餘部鉄橋」
 「旅日記017 山陰海岸(7) 鎧駅」
 (ブログ左欄の「カテゴリーアーカイブ」の「旅日記」をクリックしても、先頭(一番下)に過去ブログ一覧が表示されます。これをクリックしても、見る事可能です。)

 今回は、これで終了とさせていただきます。
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旅日記017 山陰海岸(7) 鎧駅

2014年08月09日 09時30分18秒 | 旅日記
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回も、4月の山陰海岸の続きで、香美町(かみちょう)の海岸風景からです。餘部鉄橋(あまるべてっきょう)近くで、海岸道路が国道に接続する手前のの西川沿いに伊伎佐神社(いきさじんじゃ)があります。

 祭神は(いさなぎのみこと)です。この伊伎佐神社の始まりは不詳ですが、社伝によると、西暦706年(飛鳥時代)の文武天皇(もんむてんのう)の時代まで遡ってしまいます。

 この付近も、野鳥が結構いましたが、前にも書いたように野鳥は警戒心が強く、野鳥は素人の「くまドン」では、全く歯が立ちませんでした。
 その中で、一種類だけ、大柄で、のんびりしていて、少しは近づけ、撮影が可能だった鳥がいました。
 下の写真のイソヒヨドリ(♂)です。それでも、背景がハイ(高)コントラストでピントが合わなかったり、動きでぶれたりで、3回目の撮影チャンスの出石城(いずしじょう、兵庫県・豊岡市)で、やっと撮影に成功した写真です。

【イソヒヨドリ(磯鵯、留鳥)】
 オスは頭から背中にかけて暗い青色で、腹は赤みのあるオレンジ色です。
 名前から判断できるように、日本では磯や港など海岸周辺がメインの生息地域で、内陸部でも生息しています。
 岩場の隙間を好むので、城跡のような場所は、イソヒヨドリにとっては住みやすいようです。兵庫県の城跡で、何度も見かけました。
 さらに、都市化に順応して、生活範囲を広げ、住宅地やビルのある所で見かけることができる鳥になりました。実は東京ベイエリア(湾岸地帯)でも観察されているようです。
 他の国のイソヒヨドリの仲間は、標高2,000~4,000mの高山の岩石地帯に生息する鳥らしく、海岸地帯にいる日本のイソヒヨドリの方が珍しいのか?


 余部駅の隣の駅が、鎧駅(よろいえき)ですが、無人駅で、電車が来ない時は、誰もいない駅です。
 撮影し易いのか?テレビドラマなどの舞台に使用されたこともある駅です。

 5月のGW(ゴールデンウィーク)には、この港の上を「鯉のぼり」が一列に泳ぐことで有名な場所です。
 一番線ホーム(現在は未使用)からの眺めは最高です。

 今回は、時期が早く、まだ、鯉のぼりは泳いでいませんでした。昔、鎧駅に来た時は、GW中でしたから、鯉のぼりは泳いでいたのですが、天気は曇りと、なかなかタイミングが合いません。

 前回、餘部鉄橋が廃止になる前は、余部駅から鎧駅までの往復を電車で乗るのが流行していました。この時は、鯉のぼりはありましたが、天気は曇りでした。
 平成19年(2007年)までは、上り下り別ホームでしたが、平成20年のダイヤ改正で、海側のホームの停車設定がなくなり、単線化工事が行われ、現在では陸側のホームのみ使用となっています。

 観光客への配慮から、景観が良い海側の1番線ホームへの出入りは可能となっています。
 停車する電車の本数は少ないが、平成22年ごろに余部駅~鎧駅間に遊歩道ができたらしいです。
 (時刻表の確認が必要ですね)

 次回も、さらに東へと山陰海岸を進んでいき、香住(かすみ)地区の話となります。

(1)前回のブログは、以下の通りです。(ブログ右欄のカテゴリアーカイブで「旅日記」をクリックすると、一覧が表示され、一覧の先頭(一番下)にあるので、これをクリックしてもブログが開きます。)
 「旅日記011 山陰海岸(1) 浦富海岸の夕景」
 「旅日記012 山陰海岸(2) 居組・諸寄の漁港」
 「旅日記013 山陰海岸(3) 浜坂・城山公園」
 「旅日記014 山陰海岸(4) 御火の浦」
 「旅日記015 山陰海岸(5) 余部崎灯台」
 「旅日記016 山陰海岸(6) 餘部鉄橋」
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旅日記016 山陰海岸(6) 餘部鉄橋

2014年08月08日 07時55分43秒 | 旅日記
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回も、4月の山陰海岸の続きで、香美町(かみちょう)の餘部鉄橋(あまるべてっきょう)の風景です。
 余部崎灯台からの道をさらに行くと、香住(かすみ)方面の海岸線が見えてきます。

 岬の先端の断崖には、地層がはっきりと見えます。

 国道178号線が近づくと、JR山陰本線の餘部橋梁(あまるべきょうきょう)が見えてきます。

 現在の余部橋梁は2台目で、前回の8~9年前頃に来た時は、初代の赤い餘部鉄橋が架っていました。
 その時は、翌年から鉄橋の架け替え工事が始まるということで、GW中だった事もあり、大勢の写真家が撮影していました。たしか、テレビ局のカメラを担いだ人もいましたね。
 現在でも、初代・餘部鉄橋は、近代土木遺産として、その一部の姿を残しています。

 初代・餘部鉄橋は、明治45年に完成した鋼製トレッスル橋です。
 JR山陰本線の東側路線では、最後に開通した区間です。
 山が海に迫る山陰海岸の地形は明治の土木技術では、かなり難所だったようです。

 昭和61年12月に日本海からの最大風速約33m/sの突風にあおられ、回送中の電車が橋下に吹き飛ばされ、橋下の工場や民家に落下、鉄道関係者と工場の人を含め、死亡6人・重傷6人の大災害となりました。
 列車転落事故後に、安全の為、風速規制が強化されたことから運休や遅延が相次ぐようになり、2台目・餘部橋梁に架け替えが決まりました。鉄橋下には、慰霊碑(いれいひ)の聖観世音菩薩像が建てられています。
 下の写真は、餘部鉄橋から香住方面に伸びる海岸線ですが、山の中腹に鉄道線路が続いています。

 昔、「くまドン」が初めての鳥取旅行で寝台列車に乗った時に、朝早く車内放送により目が覚めて見た景色が、この場所からの日本海の景色でした(当時は車内放送で教えてくれて、しばらく停車していました)。当時は事故の事も知らず、朝早かった(朝5時ごろ)ので、しばらく車窓から曇りの日本海を見て、すぐ眠りについてしましましたが、懐かしい思い出でもあります。

 次回も、さらに東へと山陰海岸を進んでいき、香住方面の話となります。

(1)前回のブログは、以下の通りです。(ブログ右欄のカテゴリアーカイブで「旅日記」をクリックすると、一覧が表示され、一覧の先頭(一番下)にあるので、これをクリックしてもブログが開きます。)
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 「旅日記012 山陰海岸(2) 居組・諸寄の漁港」
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 「旅日記014 山陰海岸(4) 御火の浦」
 「旅日記015 山陰海岸(5) 余部崎灯台」
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旅日記015 山陰海岸(5) 余部崎灯台

2014年08月07日 07時55分51秒 | 旅日記
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回も、4月の山陰海岸の続きで、香美町(かみちょう)の余部崎灯台の風景です。
 のんびり、車を走らせて進んでいくと、色々な景色が見れました。
 まず、「くまドン」の車が近づいてきても、全く気付かず、道路でエサ探しをしているタヌキ(狸)です。

 撮影ついでに、のんびり数分間も待ちましたが、こちらを全く気にせず、路上でエサ探しです・・・・・・・・
 やっと、道端の草陰に隠れてくれたので、通り過ぎることができました。
 続いて、「不老の水」と呼ばれる水場です。

 ひたすら、山陰海岸の断崖美が続きます。(海上の船から見た方が良く分かりますが・・・)

 やっと、余部埼灯台(あまるべさきとうだい、御崎灯台)につきました。

 灯台の先にある伊笹岬には、青々とした日本海が広がっていました。
 前回、この岬に来た時は曇りでしたが、8~9年ぶりの風景です。

 岬の桜は満開でした。


 壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)で敗れた平家(へいけ)の落ち武者が住んだという伝説が残る場所です。
 余部崎灯台から少し東に進んだ所に御崎の集落があり、平家伝説の名残りとして「百手(ももて)の行事」が行われる御崎平内神社(ひらうちじんじゃ)があります。
 下の写真は平内神社の入口にある「お地蔵さま」です。

 この地には平家蕪(へいけかぶら)と呼ばれる蕪が自生していて、食糧に困った平家の人達を救ったという伝説も残ります。

 この村の出身の矢引俊龍和尚は、幕末の「桜田門外の変」で暗殺された江戸幕府の大老(たいろう)・井伊直弼(いいなおすけ)の導師だったそうです。

 次回も、さらに東へと山陰海岸を進んでいき、餘部鉄橋(あまるべてっきょう)の話となります。

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 「旅日記014 山陰海岸(4) 御火の浦」
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旅日記014 山陰海岸(4) 御火の浦

2014年08月06日 07時55分45秒 | 旅日記
こんにちわ、「くまドン」です。

 今回も、4月の山陰海岸の続きで、海岸の風景です。

 切りたつ断崖

 下の写真・右奥の岩に海蝕洞(かいしょくどう、海食洞)があります。

 道路を進んでいくと、次の港が見えてきました。

 海岸沿いの漁村にも、人々の生活を示すお地蔵様があったりします。

 石碑の「御火の浦(みほのうら)」と言う地名は、漁火(いさりび)に由来するとされています。
 (ほとんど駐車できる所がありません。平日の昼間で、たまたま偶然1台も車が通りませんでした。)

 三尾漁港(みおぎょこう)です。

 この付近には、世界最大級の洞門「釣鐘洞門(つりがねどうもん、国の天然記念物・名勝)」がありますが、遊覧船からの見学となります。
 漁港にも小さな海蝕洞(?)がありました。

 下の写真の奥に見える島は、「三尾大島」です。

 上の写真の下に見える大きな岩に青い鳥が飛んできました。
 遠いので撮影は無理かと思いつつ、コンパクトカメラの超望遠550mmぎりぎりで撮影してみました。
 小さいので、分かり難いのですが、下の写真の真中やや下、岩の左中段の部分にいます。

 さらに、縮小率を下げて、トリミング(画面の切取)をしてみました。カワセミです!

 カワセミは川・池・湖だけでなく、海岸にも生息しますので、不思議ではないのですが、青い海をバック(背景)のカワセミは初めて見ました!
 当然のことながら、自然あふれる海岸線ですから、野鳥の鳴き声はいたるところで聞こえてきました。

 この付近が、新温泉町(しんおんせんちょう、浜坂と新温泉が合併した町)と香美町(かみちょう)の境界付近です。次回は、さらに東へと山陰海岸を進んでいきます。

(1)前回のブログは、以下の通りです。(ブログ右欄のカテゴリアーカイブで「旅日記」をクリックすると、一覧が表示され、一覧の先頭(一番下)にあるので、これをクリックしてもブログが開きます。)
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