こんにちわ、「くまドン」です。
今回からは、4月の山陰海岸の続きで、鳥取県から兵庫県側の山陰海岸に話は変わります。
前回、山陰海岸に来た時は、国道のバイパスを建設中でした。すでに8~9年経っていますので、鳥取市から兵庫県の浜坂までの海岸線の道路が国道から外れ、生活用道路になっていることも多いです。
通行する車(ほとんど地元車)も少なく、のんびりとした雰囲気でいられます。
下の写真は、兵庫県西端にある居組(いぐみ)の集落の近くにある「七坂八峠」と呼ばれる場所です。
ここは、竹田城(百名城)のブログで有名なkainaka-2さんの撮影ポイントです。

砂浜に打ち寄せる波も静かで、いかにも雰囲気の良い漁港という感じです。

下の写真は、kainaka-2さんのブログにあった写真を見て、マネして撮影した写真です。
(kainaka-2さんに、写真をブログに載せる許可を快諾してもらいました。ありがとうございます。)

前回の浦富海岸で夕景撮影した後に、宿に戻る途中で撮影した写真なので、空は真っ暗でした。
この国道178号線(旧道)は「但馬漁火ライン」とも呼ばれ、夜の海に浮かぶ漁火(いさりび)は、山陰海岸の風物詩(ふうぶつし)となっています。たまたま偶然、車が1台通りかかりました。
宿は海岸沿いの浜坂温泉宿でしたので、お風呂に入って、ぐっすり眠れました。
そして、翌日の朝は寝坊しました・・・・・(汗)
この時期は朝の写真を撮影しようとすると、朝4時起きになるので、起きるのが大変です。
宿の朝食まで1時間程ありましたので、宿のすぐ近くにある城山公園に行ってみる事にしました。
城山公園の駐車場から眺めたも諸寄(もろよせ)港と千束断崖(諸寄西海岸)の風景です。

諸寄港は、江戸時代から明治時代にかけて日本海を北前船(きたまえぶね)の「風待ち湊」として賑わった港です。

城山公園と呼ばれる名前からわかるようにこの場所は、海上交通を確保する為の海城・芦屋城でした。戦国時代に塩治(えんや)周防守が居城していた城です。安土桃山時代の天正8年(西暦1580年)の羽柴秀吉(はしばひでよし、後の豊臣秀吉)の但馬(たじま)攻めで落城しました。秀吉が山陰方面を但馬から鳥取城に攻め進んでいく過程の話です。
下の写真の山の頂上に芦屋城跡(標高175.7m)があります。

朝食まで少し時間があるので、時間のある範囲で先端の矢城が鼻灯台まで歩いてみる事にしました。
ほぼ横水平に進む楽な道です。

最後は、車で城山公園に向かう途中に撮影したトビ(トンビ)です。トリミング(画像切り取り)ありです。

山陰海岸は、漁港が多いので、あちこちに飛んでいるトンビの小群を見かけました。
城山公園の遊歩道の写真の続きは、次回とさせていただきます。
(1)前回のブログは、以下の通りです。(ブログ右欄のカテゴリアーカイブで「旅日記」をクリックすると、一覧が表示され、一覧の先頭(一番下)にあるので、これをクリックしてもブログが開きます。)
「旅日記011 山陰海岸(1) 浦富海岸の夕景」
(ブログ左欄の「カテゴリーアーカイブ」の「旅日記」をクリックしても、先頭(一番下)に過去ブログ一覧が表示されます。これをクリックしても、見る事可能です。)
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
暑い日が続いていますが、外に出かける時は熱射病などにお気をつけください。
日本プログ村に参加しています。良ければ、「ポチッ」応援お願いします。(携帯からは無効ですので、不要です。)

今回からは、4月の山陰海岸の続きで、鳥取県から兵庫県側の山陰海岸に話は変わります。
前回、山陰海岸に来た時は、国道のバイパスを建設中でした。すでに8~9年経っていますので、鳥取市から兵庫県の浜坂までの海岸線の道路が国道から外れ、生活用道路になっていることも多いです。
通行する車(ほとんど地元車)も少なく、のんびりとした雰囲気でいられます。
下の写真は、兵庫県西端にある居組(いぐみ)の集落の近くにある「七坂八峠」と呼ばれる場所です。
ここは、竹田城(百名城)のブログで有名なkainaka-2さんの撮影ポイントです。

砂浜に打ち寄せる波も静かで、いかにも雰囲気の良い漁港という感じです。

下の写真は、kainaka-2さんのブログにあった写真を見て、マネして撮影した写真です。
(kainaka-2さんに、写真をブログに載せる許可を快諾してもらいました。ありがとうございます。)

前回の浦富海岸で夕景撮影した後に、宿に戻る途中で撮影した写真なので、空は真っ暗でした。
この国道178号線(旧道)は「但馬漁火ライン」とも呼ばれ、夜の海に浮かぶ漁火(いさりび)は、山陰海岸の風物詩(ふうぶつし)となっています。たまたま偶然、車が1台通りかかりました。
宿は海岸沿いの浜坂温泉宿でしたので、お風呂に入って、ぐっすり眠れました。
そして、翌日の朝は寝坊しました・・・・・(汗)
この時期は朝の写真を撮影しようとすると、朝4時起きになるので、起きるのが大変です。
宿の朝食まで1時間程ありましたので、宿のすぐ近くにある城山公園に行ってみる事にしました。
城山公園の駐車場から眺めたも諸寄(もろよせ)港と千束断崖(諸寄西海岸)の風景です。

諸寄港は、江戸時代から明治時代にかけて日本海を北前船(きたまえぶね)の「風待ち湊」として賑わった港です。

城山公園と呼ばれる名前からわかるようにこの場所は、海上交通を確保する為の海城・芦屋城でした。戦国時代に塩治(えんや)周防守が居城していた城です。安土桃山時代の天正8年(西暦1580年)の羽柴秀吉(はしばひでよし、後の豊臣秀吉)の但馬(たじま)攻めで落城しました。秀吉が山陰方面を但馬から鳥取城に攻め進んでいく過程の話です。
下の写真の山の頂上に芦屋城跡(標高175.7m)があります。

朝食まで少し時間があるので、時間のある範囲で先端の矢城が鼻灯台まで歩いてみる事にしました。
ほぼ横水平に進む楽な道です。

最後は、車で城山公園に向かう途中に撮影したトビ(トンビ)です。トリミング(画像切り取り)ありです。

山陰海岸は、漁港が多いので、あちこちに飛んでいるトンビの小群を見かけました。
城山公園の遊歩道の写真の続きは、次回とさせていただきます。
(1)前回のブログは、以下の通りです。(ブログ右欄のカテゴリアーカイブで「旅日記」をクリックすると、一覧が表示され、一覧の先頭(一番下)にあるので、これをクリックしてもブログが開きます。)
「旅日記011 山陰海岸(1) 浦富海岸の夕景」
(ブログ左欄の「カテゴリーアーカイブ」の「旅日記」をクリックしても、先頭(一番下)に過去ブログ一覧が表示されます。これをクリックしても、見る事可能です。)
今回は、これで終了とさせていただきます。
くまドンのブログに訪問していただき、ありがとうございます。
暑い日が続いていますが、外に出かける時は熱射病などにお気をつけください。
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