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K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

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晩ご飯に作った料理・道端に咲いているお花の写真などのブログです。

ドレスデン 運命の日

2007-06-04 21:33:31 | 映画
2007年6月4日(月)晴れ

娘のプレゼントのチケットで「ドレスデン、運命に日」を日比谷シャンテシネで観ました。


第二次世界大戦の終末、1945年2月、連合国軍のイギリスがドイツにダメージを与えるために選んだ都市、ドレスデンの空爆を中心とした映画でした。かなりの時間を費やして激しい空爆による炎の海を描いていました。戦後生まれの私は体験していませんが1945年の東京大空襲を、ナチスによるロンドンの空爆を、また、ドイツのヴィルツブルクのイギリス軍の空爆もこのようだったのかと、空爆の無差別殺戮の恐ろしさが戦争を知らない世代、地域の人々に迫ってきました。21世紀にはいっても、アフガン攻撃、イラク攻撃で空爆が激しく行われました。空爆の無差別殺戮は歴史的な事件ではありません。
ローラン・ズゾ・リヒター監督は「・・・戦争の多くが、エゴイスティックな考え方のごく少数の指導者によって引き起こされ、多くの文化、多くの人間の命が失われます。それら指導者が戦争によって得ようとしたことは、払われた犠牲とは比べものになりません。戦争から人間が学べることがあるとすれば、それはただ一つ  いかに戦争が無意味であるかということだけなのです」
ドイツの東西統一後の1993年に、夫は娘と息子を連れて夏休みに旧東ドイツのツアーに参加しました。フラウエン・キルヘ(聖母教会)は1945年に崩れたままだったとのことでした。崩れ落ちた教会の石に番号をつけていたそうです。私は仕事の都合でいけなかったので、1997年に夫はツアーで周った都市に私を連れて観光しました。その年には、番号のふられた石は整然と棚に並び、教会はすっぽり養生に包まれていました。その後、ドレスデンに縁がありまして、1999年に2週間のドイツ語コースに参加、そして、2001年夏にも観光で5日ほど滞在しました。その都度、フラウエン・キルへの近くを通りましたが、ちっとも再建は進まず、いつも養生の中でした。ドイツ人の仕事はとても精密なのでしょうと・・
・・・。映画「ドレスデン、運命の日」のエンディングは2005年10月に完成した「反戦」と「和解」のシンボル、フライエン・キルヘ(聖母教会)のドキュメンタリー映像で、観るものに希望と反戦を伝えました。


今日は私の誕生日なので、帰りに中野坂上のジーゲス・クランツで「ドレスデン」を買ってきました。シャンテシネは銀座なので美味しいお菓子屋さんがたくさんありますが・・・・
ジーゲス・クランツの洋菓子はドイツの都市名や人名で呼んでいます



不都合な真実

2007-02-28 21:32:22 | 映画
2007年2月28日(水)

『不都合な真実(An Inconvenient Truth)』2006年アメリカ映画をシャンテシネで観てきました。(水曜女性1000円を利用しました)
この映画はクリントン大統領時代の副大統領アル・ゴアが取り組んでいる地球温暖化問題のスライド講演の様子とアル・ゴア氏の生い立ちのフィルムを並行させながら構成したドキュメンタリーです。私の記憶のなかのゴア氏は、1997年の国連気候変動枠組条約第三回締約国会議(京都会議)で、アメリカと日本が非協力的だったので議定書採択が難航すると、ゴア副大統領が急遽、日本に飛んで、京都メカニズムを取り入れ、議定書採択にこぎつけたということ、2000年の大統領選挙での不可思議なゴタゴタで敗北してしまったゴア氏、このときは本当に残念に思ったということです。
今回の映画で、地球温暖化への取り組みは1960年代の大学の授業(ハーバード大・ロジャー・レヴェル教授、大気中の二酸化炭素量に注目し1957年から測定を始めた。この測定は以前に行う人はいなかった)に衝撃を受けて、地球温暖化に取り組むようになったとのこと、70年代後半から連邦議会下院議員を三期、1984年から1992年にクリントンから副大統領を指名されるまで上院議員を務め、環境保護関連の法案提出に尽力していたということを知りました。さらに、1989年4月3日、当時6歳の息子でアルバート君がボルティモア・オリオールズの開幕戦から帰る途中交通事故に遭い、瀕死の重傷を負ったことでゴア氏の人生観の変化がおこったということです。大統領予備選に向けてクリントンに対抗する基盤作りよりも息子の回復を見守ることを選び、その間に環境保護を訴える本(Earth in the Balance 邦題:『地球の掟』)の執筆を行なったことを知りました。ゴア氏は1ヶ月生死をさまよった後、回復した息子が大人になった時の地球環境を考え、地球温暖化問題に取り組む決意をしたとのことでした。どうやら副大統領時代のゴア氏が京都議定書をまとめるために日本にやってきたのはライフワークの一環だったようです。彼の環境保護は本物だったのです。2000年の大統領選に敗北は彼にとってかなりの打撃だったようですが、その後は、地球温暖化問題に邁進したようです。熱意、行動力、経済力、知名度を生かし、温暖化の影響をうけている世界の各地域を調査して周り、とりわけ、原潜に乗り込んで北極の海底の調査、南極を訪問した時の映像は温暖化問題のプレゼンテーションにインパクトをあたえました。二酸化炭素の増加と気温の変化のデータは地球温暖化の事実を説得する力がありました。映画が進行する中で、ゴア氏は戦争についてどのように考えているのかしら、温暖化対策をどのように実現する方針なのかしらという私の疑問は膨らみました。それらを映画は全て語っていました。戦争については昔の弓矢や剣の戦いではなく強力な破壊力兵器が使われるので、戦争はやらないほうがよい。また、温暖化対策は、一人ひとりの生活の中で省エネ等を行うことで、1970年の排出量にまで下げられる、と、とても分かりやすい解説で現実的なものでした。地球と金塊を天秤にかけたイラストの説明はスムーズに温暖化対策へと導いていました。地球環境を重視すると経済はダメになる、経済重視すると地球環境は守れないという考え方は両方とも間違っている、というのがゴア氏の考え方です。地球環境を守れば経済も活性化して進展するという説です。例えばトヨタやホンダはアメリカの自動車メーカーより売り上げがいい理由は、燃費がよく、環境を考える車作りを推進しているから売れるという説明でした。
温暖化対策は国の問題ではなく人類の問題として、国境を越えて取り組みたいというゴアの言葉が印象的でした。
このようにゴア氏の考え方は人々が実現可能なことを示しているので、多くの人の共感を得る所以となっているのだなと思いました。
映画の最後に、自然を考える立候補者に投票を、もし、そのような人がいなければ自分で立候補を・・・・・是非、この映画を観ることを薦めてくださいと、終わりました。
1997年採択の京都議定書は2005年ロシアが批准して発効となりました。当時の私の思いをホームページに書きましたので、お時間がありましたら読んでください。(その文の中の太陽光は太陽光発電のことです)←クリックしてね


六ヶ所村ラプソディ

2007-02-09 22:11:27 | 映画
2007年2月9日(金)晴れ

ポレポレ東中野で「六ヶ所村ラプソディ」をみました。
詳しいストーリーは公式HPをご覧ください。←クリック
青森県六ヶ所村とその周辺の人々が、地方自治体の組織の中で国策に沿った再処理工場稼動という厳しい環境の中で、推進派として生計を立てようと歩む人、反対派と推進派の対立をやめ共存して生きる時期がきたのではないかという人、反対派として子孫への負荷を作らぬように努力していこうと頑張る人々の姿を、偏ることなく描くことで、時と場所を超え人類の生き方をえがきだしました。私はかなり前から脱原発を考え、自分自身の生き方としてエネルギーを少なくと心がけた生活をしております。その私がこの映画を観ていると、六ヶ所村の人々が再処理工場誘致以前から国策に翻弄され、たどりついた生計の手段が再処理工場だったということに正面から対立する気持ちを失いかけ、一体、原発をどうしたらよいのかしら・・・。ところが、再処理工場での大先輩のイギリスのセラフィールが映し出されたところで、コレを教訓になぜ出来ないのだろうか、再処理工場を受け入れるのは間違っていると確信しました。セラフィールの再処理工場周辺住民の小児白血病は標準の10倍とのことですが、再処理工場との因果関係は証明されていないということです。再処理工場からの排水で、アイリッシュ海の海産物、特にロブスター・エビ・海藻類は放射能が濃縮されている調査結果がでているということです。漁師の話だとイギリスでは海草を食べないし、魚は余り食べないが、日本人は魚や海草をたくさん食べるので、再処理工場の稼動前の海産物の汚染を調査する必要がある。それをしないと再処理工場稼動後の汚染の変化を国に示すことが出来ない。という言葉にハッとしました。一体どうなっているのだろうか?日本では調査しているのかしら?
さて、映画の登場人物で心に残ることをあげてみます。反核運動歴はすでに16年の菊川慶子さんは チュウリップ栽培を中心に食料は自給に近い生活をしています。「生活を楽しみながら反対運動を続けたい」と、物質的には豊かとは思えない生活のようですが、実にゆったりと素敵な表情で生きていました。苫米地ヤス子さんは六ヶ所村の隣町、十和田市で完全無農薬のお米を作っています。今までお米を買ってくれていた客に再処理工場が稼動すると、工場から吹き降ろすやませ(風)のため稲が汚染されることを消費者に知らせたら買わないと言われたとのことです。苫米地さんは再処理工場について中立派だったが、放射能の危険性を教えてくれた先生が、中立は賛成のことですよ。の言葉に、中立でいることはらくだが、キチンと意思表示をする反対派になったとの話に、ひきつけられました。
さて、ホントに再処理工場は必要なのか?使用済み核燃料からプルトニウムを取り出し、それを原発の燃料とするための工場です。プルトニウムはウランより不安定で少量を吸い込んだだけで人命を落とす危険なものです。しかも、ウランの臨界の時にゴミとして出てくるもので自然界にないものです。このように危険なものなので、普通の原発では燃料として使えないので、高速増殖炉の燃料とします。燃えきると(核分裂ですので炎が出るわけではありません)鉛が残ると、どこかの本で読んだ記憶があります。高速増殖炉はフランスでスーパーフェニックスと呼ばれ夢の増殖炉といわれるものがありましたが度重なる事故で断念しました。世界で高速増殖炉を成功させた国はありません。日本では「もんじゅ」が高速増殖炉ですが、コレも事故がおこって、動いていません。ところが、日本は「もんじゅ」を断念しないのです。「もんじゅ」の維持費は年間100億円かかるということです。ということで、世界の流れは再処理工場閉鎖のなかで、なぜなぜ、稼動させようとしているのでしょうか。プルトニウム=核兵器の原料です。世界で一番プルトニウムを保有(他の国は使用済み核燃料そのままにしてプールで冷やしています。再処理工場でプルトニウムを取り出す作業はとても危険で爆発(核分裂)の危険があります)している日本は、世界で最も危険な国なってしまうのではないでしょうか。



バルトの楽園

2006-07-17 21:40:08 | 映画
2006年7月17雨時々曇り



現在『バルトの楽園』が上映されていますね。

私は昨年の2月に鳴門のドイツ館を訪れました。

きっかけはイラク攻撃をしている米英がアブグレイブ収容所で、

人権を無視するひどい行為の映像が報道されましたので、

第一次世界大戦の捕虜収容所跡を見学したくなりました。

日本は第一次世界大戦時に、日英同盟を結んでいたので、

連合国側としてドイツに宣戦布告しました。当時ドイツは

中国の山東半島のチンタオをアジアの軍事拠点にしていましたので、

日本軍はチンタオのドイツ軍を攻撃し、勝利しました。

そのためドイツ兵の捕虜を日本各地に収容しました。その一つが鳴門の

坂東俘虜収容所だったのです。戦争が終わるまでの

2年余りの収容所生活でのドイツ兵は坂東の人々にさまざまな技術などを

教えることによって、交流が深まり、『ドイツさん』と呼ばれていたようです。

その後、満州事変・日中戦争・太平洋戦争と戦争状況の中で、

収容所のことは忘れ去られていたようですが、

1970年代に、収容所跡地にドイツ館ができました。

という訳で、映画『バルトの楽園』は観なければと、

丸の内東映に出かけました。映画はドイツ兵の2年余りの収容所生活

をテーマにしたもので、収容所の所長さんに焦点を合わせ、

若いドイツ兵が故郷ののお母さんに手紙で境遇を知らせるという展開でした。

元会津藩士を父とする、坂東俘虜収容所の所長松江は敗者の気持ちを尊重し、

ドイツ人にとってよい所長さんだったことを強調していましたが、

この話を始めて知った人には少々分かりづらかったのではないかしらと思いました。

所長さんが流暢なドイツ語を話したと言うことは、脚色でしょうか

ドイツ兵の土木技術の指導などの場面があると、

説得力のある作品になったのではないかと思います。

所長さんがドイツ橋を渡る場面でカメラが止まりましたが、

説明無しでは、橋を作る技術をドイツ兵から伝授されたということは

わからないような気がしました。

十分に書けませんでしたので、私の旅行記のページを読んでいただけたら

嬉しいです。クリックしてください、とびま~す



ナルニア国物語

2006-03-13 20:41:54 | 映画
2006年3月13日曇り 

ぽかぽか陽気のあとの寒さ、寒の戻りと言うのでしょうか。雪が舞ったということですが、気が付きませんでした。
今日は映画『ナルニア国物語』第1章ライオンと魔女を観ました。全編、ワクワクドキドキ・・ファンタスティックな素敵な作品でした。いたるところCGを駆使した映像もみもので楽しかったです。原作は1950年代のイギリスのC.S.ルイスの児童文学『ナルニア国物語』ですが、私は未読です。物語の舞台は第二次世界大戦下、ドイツ軍のロンドン空襲から始まりました。ペベンシー家の父は戦場へ、4兄弟姉妹は疎開先のカーク教授の屋敷で「廊下を走らないように」「さわがないように」と女執事に厳しく注意されて憂鬱な生活を始めます。ある日、末っ子のルーシーが、空き部屋の大きな衣装ダンスに入ると、突然、雪に覆われた森に出ました。そこは人間の言葉を話す不思議な生き物たちが暮らす「ナルニア国」だったのです。美しく冷酷な“白い魔女”によって、100年もの間、春の訪れない冬の世界に閉ざされていました。逆らう者を石像に変える“白い魔女”の恐怖の世界だったのです。「ナルニア国」で4兄弟姉妹と森の救世主のライオンや森の生き物たちによる白い魔女から森を奪回する大冒険談が始まります。物語の構成は予言・裏切り・犠牲・復活と聖書をベースに、ギリシア神話に登場する、上半身人間、下半身馬のケンタウロスが戦争の場面で強さを発揮していました。ヨーロッパ人の教養の根底、聖書とギリシア文化の要素のファンタジーでした。そしてもう一つの楽しみは、カーク教授の屋敷の佇まい、屋敷内のどっしりした家具類、トーストと紅茶・・などなど、イギリス・イギリスがいっぱいの作品でした。

今日の1品は洗って切っただけです。わかめ・きゅうり・昆布〆サバ・ブロッコリーの新芽


もう一品銀だらのかまを甘辛く煮てみました。
初めてやってみましたが、美味しかったですよ。
作り方
鍋にだし汁を2cmくらい入れ沸騰させる
酒・みりんを少量加える
砂糖(オリゴ糖を大さじ1杯にしました)・醤油を・・・しょうがの薄切りを入れ
魚を並べて、落し蓋をして、中火で煮汁がなくなるまで煮る
煮汁がなくなるまで煮る時の醤油の量は薄いかなの方が、仕上がりがいいようです
初めから美味しいという味ですと、辛い仕上がりになるようです。