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K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

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晩ご飯に作った料理・道端に咲いているお花の写真などのブログです。

ちょっと遅ればせばながら5月3日は憲法記念日

2017-05-08 22:29:45 | 日本国憲法
2017年5月8日(月)晴


4月25日にデジカメをどこかで落とした、と書いたので、みなさまにご心配していただきました。
ひょこっと思いがけないところから出てきました。


私、まだガラです。

コンパクトデジカメの中でもかなり小ぶりのカメラなので見失うことも度々です。
このデジカメ4台目です。最初の3台はフジフィルムを使っていました。どれもちょこっと壊れ、修理しても1万円以上かかるので買い替えていました。3台目が壊れたた時にはすぐ買う気になれず携帯で撮って、PCに送信していたら、通信料金が9,000円くらいになってしまって、びっくり。思わず5,000円もしないこのカメラをamazonの画面でクリックして買ったものです。軽くて小さいのはいいんですが、室内の画像がイマイチのカメラなので、新しいのを欲しいな、という時期でした。まだしばらく使います~~~


さて、5月3日の憲法記念日のニュースで安倍総理のビデオメッセージを見てい、びっくり
「・・・・2020年に施行・・・・」
えっ
憲法第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

憲法を遵守、擁護しなければいけない内閣総理大臣が言ってはいけない言葉、憲法に抵触するメッセージではないか。

改憲の内容に踏み込むと、これもびっくり。
2つ挙げた項目は改憲ではなく加憲ではないか。
第9条の1・2項を残し3項として自衛隊を明記と高校の無償化

第9条に関しては国民を馬鹿にしているのではないか?今後の議論で矛盾を解消するために2項を削除へ導く布石に思えてならないです。
高校無償化を憲法改正の目玉にしたのは腹立たしいです。民主党政権での無償化を自民党政権で元に戻したではないか。それに国際人権規約では中等教育(中学校・高等学校)の無償化が定められているので、先進国ならば高校が無償化実現は当たり前のことであるし、法律で十分実施できると思うのですが。


今日の国会で安倍総理は一言も憲法に触れることはなく、あのメッセージは自民党総裁として議論を盛んにするためだといい切った。それでは憲法改正議論を押し付けているではないか。


日本国憲法成立にかかわった人々が平和国家を作ろうという熱意でできた憲法を知れば憲法に向き合う気持ちが変わってくると信じます。また、70年前にできた憲法を時代に合わないという人がいるけれど、アメリカでは建国当初の憲法(1787年)に加憲ということですべて生きています。憲法がないイギリスでは1215年のマグナカルタからすべての法が現在でも生きています。
後ろ向きな戦前回帰の憲法改正ではなく理想を掲げた現憲法で平和国家を実現したいな~~



振り子

2015-09-17 23:38:45 | 日本国憲法
2015年9月17日(木)


いつも時間が足りない、とバタバタですが、月曜からいつも以上に大忙し・・・
ボブママが体調不良、月火とタヌキにボブちゃん家に泊まってもらい、私は仕事の後でボブちゃん家に通いました。そんなわけで、お祭りの準備をしなければならないタヌキだったので、今日も仕事の後でボブちゃん家へと予定していましたが、タヌキのお祭りのお仕事(奉納者のお名前をパソコンで出力)は水曜日に完了できたので、今日はタヌキが行ってくれました
今まで、ボブママは元気だったんだな~~急性胃炎だったので育児疲れかな。今はもう元気のようです。

安保法案の強行採決の様子見ました。国民の命と財産を守る必要な法案という説明のみで憲法違反に対しても真摯な答えはなし、野党の質問に対しても答えは総理自身もくるくる変わり、まともな説明なしのまま委員会の強行採決
憲法は国民の人権保障の実現をめざすもの、大きな権力を握る為政者の権力はここまでよ、と為政者の権力を制限するものですよね。その憲法を遵守できない安倍政権は立憲主義を崩壊させ、歴史を後戻りさせたような人の支配の様相です。無血クーデターですかね。安倍総理はすでにメディアをコントロールしていたとのことですので、議席を多数獲得した党は恣意的政治ができる手本になりそうな恐怖を感じます。
振り子は必ず戻ってきます。パワーオブバランスでは国民の命と財産を守れません。

まだ、参議院本会議で採決されてないので、制定はされていませんが、仮に制定されたら、国民はこの法律を使わせないように不断の努力をすることかな。この法律が廃案にならないなら、安易に使えないように安保法案を縛る法律を制定することかな。

通勤路の靖国通り  気温が低くなったので、雨にしょぼんとしたヒマワリヒマワリさんの季節じゃないって感じ



近所のスーパーでは安いお魚でも料理に合わせて調理してくれます。刺身用アジをフライ用にしてもらい、フライにしたら、美味しかった~~TVの番組で見たとおりに小麦粉に粉チーズを混ぜ、揚げ過ぎず





  


訃報 ベアテ・シロタ ゴードン

2013-01-05 22:52:51 | 日本国憲法
2013年1月5日(土)曇

3日付けの朝日新聞でベアテ・シロタ・ゴードンさんの死を知りました。ベアテさんに関しては1990年代後半くらいから知られるようにななりました。日本と深いかかわりをもつ女性ですが、多くの人には知られていないと思いますので、今日はベアテさんについて書きます。
ベアテさんはお父様のレオ・シロタ氏のピアノ・コンサートのために1929年にご一家で来日しました。ベアテさん5歳の時でした。レオ・シロタ氏はリストの再来と言われたピアニストでした。
1929年というと、アメリカでおこった恐慌が世界を巻き込んでしまった世界恐慌の始まりの年です。来日中に世界恐慌がはじまったので、レオ・シロタ氏のその後のヨーロッパでのコンサートがすべてキャンセルになってしまいました。それくわえ、ヒトラーのユダヤ人迫害がはじまっていました。シロタ氏はユダヤ系だったので、そのまま日本滞在にすることになってしまいました。それから10年後、ベアテさんは15歳の時に単身アメリカへ留学しました、大学に在学中に太平洋戦争が始まったので、日本在住のご両親との音信は途絶えてしまいました。そのため仕送りもなく、アルバイトをしながら大学を卒業し、タイム誌に入社しました。両親に会うために日本に帰りたいと思っても、日本は敗戦後の連合国軍の占領下だったので、一般の人が自由に日本に入国することはできませんでした。そこで、GHQのスタッフとなり1945年暮れに日本へ渡りました。ベアテさんは日本に帰国直後にレオ・シロタ氏が日比谷公会堂で演奏していると知り、会いに行ったのですが、ピアノ演奏後、すぐに軽井沢(戦争末期に日本在住の外国人は軽井沢へ強制疎開させられていた)戻ってしまい会えずじまいでした。ですが、このことで、両親の所在をつかみ、再会することができました。

GHQ最高司令官マッカーサーは1945年10月に幣原内閣に憲法改正を示唆しました。そこで松本烝治を委員長する憲法問題調査委員会が政府内に設置されました。しかし、なかなか改正案だできませんでした。(その年の暮には民間の憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」は政府とGHQに提出されました。)しかし、憲法問題調査委員会での草案はでき上がらず、2月に入り毎日新聞が政府案(以下松本案と書きます)の一部をスクープしてしまいました。松本案は大日本帝国憲法に近いものだったので、密かにマッカーサーはGHQ民政局に日本国憲法の草案作成の命令を下しました。ベアテさんは民政局のスタッフとして人権条項を担当しました。東京中の図書館で世界中の憲法を集め(ワイマール憲法・ソ連憲法なども)、得意の語学力を生かし(7カ国語を駆使)それらを参考に(女性には人権が認められていない日本社会をよく知っていた)日本の女性に必要な項目を十分に盛り込んだ草案を作成しました。それが現在の憲法の第24条です。

第二四条【家族生活における個人の尊厳と両性の平等】
• 1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
• 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
ベアテさんの長女のニコルさんによると、最期の言葉は日本国憲法に盛り込まれた平和条項と、女性の権利を守ってほしいと新聞は伝えていました。

最後に、ベアテさんが守ってほしい平和条項と女性の権利の条文の精神を今一度考えてみたいです。


DVD「私は男女平等を日本国憲法に書いた」・映画「シロタ家の人々」などを参考に書きました。
2013年1月3日付けの社説・天声人語にまとまって紹介されています。
(社説・天声人語と重複部分もありますが、そこには書かれてない部分を書きました)


お読みになってくださって、ありがとうございました



かなり前にベアテさんについて書きました。よろしかったらクリックしてください。

ベアテ・シロタ・ゴードン その4 








文化の日

2011-11-03 23:37:47 | 日本国憲法
2011年11月3日(木)文化の日 曇


一日曇りでしたが11月とは思えない暖かさ



午前は家族総出、といってもタヌキと母と私ですが・・・
実家の庭の木の剪定や草むしり・・・










まだ、鼻先にはどくだみの臭いが
庭の半分もできませんでしたが、45Lのゴミ袋10コに枯葉などを詰めました。
枝は別に束ねてあります。腰が痛い









冷蔵庫にある材料でできるレシピに出合ったので早速作ってみました。
旬のレンコンの料理「きのことレンコンのごまみそ煮」
レシピのアドレスはhttp://www.nhk.or.jp/shutoken/recipe/6ken/index.html




レシピではきぬさやですがインゲンを入れたので、レンコンとインゲンを同時に入れました。

薄味だったので、それぞれの材料のうまみが際立っていました。
久しぶりに取り出した器はお祝いごとのような感がします。
今日は「文化の日」なので、ちょうど良かったな。





毎年、同じことを書いているようですが文化の日の名称についてお考えになったことがありますか。
1947年11月3日に日本国憲法が公布されました。翌年の1948年に祝日法が公布施行され、11月3日を「文化の日」としました。祝日法では日本国憲法の施行日5月3日(1948年)を憲法記念日としました。なぜ、公布の日を「文化の日」としたかは、この憲法の三大原理の1つが平和主義だからです。ずばり、平和日ではなく文化としたのは平和のシンボルは鳩が一般的ですが、文化も平和のシンボルだからだと私は思います。11月は秋真っ盛り「実りの秋」「芸術の秋」ですね。

最近読んだものに、政府(憲法調査委員会:委員長松本)がこの憲法の草案作りのさなか、1946年1月に当時の総理幣原喜重郎はプライベートでマッカーサーを訪問した際に「日本の戦争放棄・・・」を言ったとのこと。
この時、マッカーサーは腰を抜かすほど驚いたとか。(『マッカーサー回想録』)

1946年2月1日に毎日新聞が日本政府の憲法草案をスクープすると、その内容は大日本帝国憲法(明治憲法)の字句を変えただけで中身は旧態依然でした。そこで、マッカーサーは日本政府から憲法草案を渡される前にGHQにマッカーサー三原則を示し、日本国憲法の草案作りを命じました。三原則の1つに、
・・・・・(略)・・日本は、紛争解決の手段としての戦争のみならず、自国の安全を維持する手段としての戦争も放棄する・・・(略)…とあります。


幣原喜重郎もマッカーサーもこの件に関してこれ以上の資料はなく、すでに故人なので、真実は?ですが、戦争放棄は幣原喜重郎発というのは彼の言動から納得しちゃいます。



憲法記念日

2011-05-03 23:51:21 | 日本国憲法
2011年5月3日(火)曇 夕方から雨 憲法記念日



ゴールデンウィークの後半に入りました。
日中の高速道路は大渋滞したようです。タヌキとコッコーも29日30日と関越道と上信越道を利用しました。29日の下り線は渋滞に巻き込まれましたが、止まってしまうことはなかったので、いつもより1時間くらい長かったかな、というくらいでした。30日の上り線は練馬の料金所を出たところで後方は30Kの渋滞のニュースに、ホッとしました。因みに、29日に関越道手前の目白通りのガソリンスタンドSelfのレギュラーは 144円/1Lでした。


国道18号バイパス 軽井沢・中軽井沢間も渋滞でした。 
雲の下は浅間山の山麓です。


昨夜、アメリカがオサマ・ビンラディンを殺害したとのニュースを聞いて、、イスラム法は復讐法なので報復の連鎖がまだまだ続くのかと、、、、アメリカも恐い国だな、と、複雑な気持ちです。



オサマ・ビンラディンの殺害、ユッケの食中毒での死亡、被災した方々の仮設住宅の問題などで、今日の憲法記念日は目立たないニュースになってしまったようです。



例年通り護憲派、改憲派は別々に集会を開きましたが、地震・津波・原発事故という未曾有の危機に両者の主張にも昨年までにはない変化が出て来ました。
改憲派は憲法を改正して緊急事態への対応規定を新設し、首相の指揮権を明記すべきだとする決議を採択しました。
これに対して共産党の志位委員長は「政府が非常事態に対応できていないのは、憲法のせいではない。(改正論は)憲法にぬれぎぬを着せた火事場泥棒だ」と強調しました。
社民党の福島党首は福島第1原発事故について「放射性物質が人々の平和的生存権、幸福追求権を脅かしている」と訴え、緊急事態条項の論議を「とんでもない。制限より被災者の権利回復が大事」と批判しました。

確かに、この憲法は敗戦によって平和を希求すること、と、明治憲法は法律の範囲内の人権だったので、国民の権利が強調されています、が、「この憲法では緊急事態に対応できない」ので憲法改正というのは短絡過ぎると思います。
政治がうまい古代ローマ人は緊急事態には独裁官を設置して対応するように規定しました。その任期は半年とする独裁者出現を嫌うものでした。
このことから、改憲派の決議した「緊急事態への対応規定を新設し、首相の指揮権を明記すべきだ」というのも一理あると思いますが、改憲の必要はないと思います。アメリカ合衆国の憲法はアメリカ独立宣言(1775年)から始まり、次に合衆国憲法があり、その後は大統領令として次々に追加され、廃止された項目はないと思います。フランスも1789年の「人権宣言」が生きています。イギリスでは「マグナカルタ」も廃止していません。日本国憲法をそのまま生かして、従来通りに法律で補うか、追加で必要な項目が出てくれば国会で発議して国民投票で決めればよいのではと(追加項目の決め方は従来あるものからチョッと思いついて書いただけです)思います。

東日本大震災は人々に多くのことを提起することになりました。

私が今できそうなことは・・電力会社が原発で多量に電気を作る必要がないように、節電生活を長続きさせる輪を広めることかな・・・・・・。