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K RAUM  お料理を主に日々のことを書いています。

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晩ご飯に作った料理・道端に咲いているお花の写真などのブログです。

韓国映画「光州5・18」

2009-01-12 21:33:56 | 映画
2009年1月12日(月)成人の日

午前冬晴れ  午後一時曇

ヤツデ


筑前煮

材料
【里芋・人参・ごぼう・レンコン】
コンニャク・鶏肉・昆布
作り方
【 】内の野菜を適当な大きさに切る・コンニャクの表と裏に包丁で切れ目を細かく入れて湯がく→鍋にごま油を引いて鶏肉を炒める→すべての材料を入れて炒める→鍋に出汁を加え、沸騰したら酒・砂糖・塩・醤油の順番で味付をつけて柔らかくなるまで煮る

筑前煮のレンコンはレンコンらしさを失ってしまって美味しいは思わないのですが、今日はとってもおいしかったです なぜかな


先週の木曜日にタヌキはツタヤから韓国映画「光州5・18」のDVDを借りてきました。見る余裕がなく今日になってしまいました。今日だって明日の仕事の準備をしなくては、明日も明後日も予定は満タン、、困っちゃうな、、、映画館で見逃したので、見たい映画ではあるけれど。。。。。新作の1週間なので600円だったのですよ、、、やらなきゃいけないことは眼をつむって観てしまいました。

「米ソ東西冷戦」・「北朝鮮からの侵攻の危機」「朴正煕大統領の暗殺後、次の全斗煥大統領就任までの政権の空白期」を背景とした時期に起きた光州事件を再現した映画です。1980年5月18日、韓国全土に非常戒厳令が発令され、全土に戒厳軍が置かれました。光州市では高校生・大学生・一般市民が民主化を求めて戒厳軍と激突し、多数の死者を出して全市を鎮圧されるようすを描いていました。民主化を求めた市民が自国の兵士に銃口を向けられるというすさまじいものでした。この作品は人権を守りたいという願いで学生・市民が自国の軍隊に立ち向かう姿を描ききっていました。わが国を振り返ると1960年安保闘争でデモをしていた東大生の樺美智子さんが機動隊との国会前での衝突で亡くなりました。この時の学生・市民は日米安全保障条約を続けると将来日本がアメリカの戦争に巻き込まれるのではないかという危機意識から立ち上がった運動でした。安保闘争も広義の意味では人権問題になりますが、今日の日本の政治家の発言のなかには人権を無視したものも多くあり、日本はまだまだ人権問題に関して未熟だなという気持ちにさせる作品でした。

主演のキム・サンギョンが戒厳軍に撃たれる場面は「俺たちに明日はない」を見ているような、また、ラストは巨匠ワイダ監督の映画のような終わり方でした。



映画「シロタ家の20世紀」

2008-10-15 23:34:52 | 映画
2008年10月15日(水) 曇のち晴



シロタ家の家系図

帝政ロシア・ウクライナのユダヤ人居住区カミュニッツ・ボトルスキに住むシロタ家は度重なる迫害から逃れてキエフに移り、その兄弟姉妹は音楽学校を卒業後、それぞれロシアを脱出、ワルシャワ、ウイーン、パリに移り住み活躍しました。特に、ウイーンのレオはリストの再来といわれるピアニストとして大成功を、ピエールはピアニストとして修行しましたが、舞台に立つと上がってしまう性格から音楽プロデューサーとしてパリで大活躍を、と、それぞれ才能を開花させていました。しかし、第2次世界大戦とヒトラーのユダヤ人迫害で兄弟姉妹、その子どもたちは苦しみや悲しみの人生となっていく様をヨーロッパに暮らしたシロタ家の話をピエールの孫娘アリーヌが思い出の写真や手紙をもとに語り、ベアテが戦前・戦中・戦後を日本で暮らした父レオのようすを語るという展開でした。ベアテの流暢でユーモアたっぷりの語り口は重い内容の話をやわらかく伝えてくれました。さらに、当時のニュースのフィルムやシロタ家が関わった土地の現在の映像を丁寧に取り入れ、とても見ごたえのある作品でした。

神保町の岩波ホールで9月27日から10月17日までの限定特別上映

全編、レオ・シロタのピアノ演奏がバックに流れていましたので、私にクラシック音楽の知識と日本の音楽界の人々のことが分かっていたら、もっともっと楽しめたのに、とくやしい思いです。
GHQ民政局のスタッフとして日本国憲法の草案を手がけてベアテさんへの関心をお持ちの方だけでなく、日本の音楽界の話がふんだんに盛り込まれていますので、クラシック音楽に関心がある方にとってはとても興味深いと思います。さらに、第二次世界大戦と深くかかわったシロタ家の歴史も関心を引きます。ワルシャワで政治犯として行方不明になった長兄の息子イゴールはノルマンディー上陸作戦のポーランド軍の兵士として戦死しました。映画の最後はスペイン・カナリア諸島、グラン・カナリアのデル市にあるヒロシマ・ナガサキ広場に、スペイン語で書かれた日本国憲法第9条全文の碑があり、市長は「あの条文は世界の希望です」と、語って終わっているのは、この映画だからこそインパクトがあります。20世紀の世界を一家族をテーマに93分で語った佳作です。

是非、是非、お時間がおありでしたらいらしてください。

尚、レオ・シロタとベアテについて詳しくはココをクリックしてください。




韓国映画「ファン・ジニ」

2008-10-02 23:59:12 | 映画
2008年10月2日(木)快晴

このような日に洗濯できればいいのに

いつもの木曜日より仕事が早く終わったのでシネスクへ
映画「ファンジニ」観ました。



TVドラマよりスケールが大きいセットなのでソンド(松都)の町並みがよく分かり、やっぱり映画はいいな。
TVの「ファン・ジニ」とは全くストーリー展開が異なりました。映画版は貴族のお嬢さんファン・ジニは出生の秘密がばれ、身分となりキーセン妓生(貴族の宴席でお酌をしたり芸を披露する人)となりました。身分制度の厳しい李氏朝鮮時代に「詩を書く妓生」として貴族にへつらうことなく自らの意思で生き、一人の男を一途に愛する物語でした。ファン・ジニ役のソン・ヘギョちゃんは時代劇でもとっても綺麗で可愛かったし、派手な演技ではなく一人の男への愛情の心理描写をしっかり演じていました。
ますます楽しみな女優さんですね。

出 演 ソン・ヘギョ(『秋の童話』『フルハウス』)、ユ・ジテ(『オールド・ボーイ』『美しき野獣』)
監 督 チャン・ユニョン
脚 本 キム・ヒョンジョン
提 供 ポニーキャニオン、コムストック・グループ
東京の上映館 シネマスクエアとうきゅう


1990年代は韓流ブームがおこるなど想像もしませんでしたが、映画館で上映される作品は見ていました。その時は「近くて遠い国」を脱することが出来ませんでしたが、ここ2年ほどTVやレンタルDVDで数本ドラマを観ることによって、韓国人の結ばれない愛になってしまった時の心情、口には出せない悔しさの表現、親子関係、親しい友人関係などの心のもちかたが見えてきて、近くて近い国になってきたかなと思っていましたが、すべてハングルのエンディングクレジットを観ていると、全然読めない「・・・やはり遠い国」のようです。せめて、ハングルの基本だけでもと思うのですが・・・



There will be blood.

2008-05-28 23:06:59 | 映画
2008年5月28日(水)晴

日比谷シャンテ・シネに行ってきました。なんと、昨年の9月以来の映画鑑賞です。

第80回アカデミー賞主演男優賞(ダニエル・デイ・ルイス)撮影賞受賞
There will be blood


監督ポール・トーマス・アンダーソン
出演ダニエル・デイ=ルイス/ポール・ダノ/ケヴィン・J・オコナー

20世紀初頭にかけてアメリカ合衆国西部、カリフォルニアで始まった石油採掘ラッシュの中で、一匹狼の石油屋、ダニエル・フレッチャーは悪徳をむき出しに莫大な富を築きますが、競争心の強さから破滅へ・・・・最後のダニエルの台詞“finish”がこの作品のすべてを表しているようでした。

いきなり不安を駆り立てるサウンドとセリフなしの暗闇の場面が続く出だし・・・。ダニエル・フィッシャー役のダニエル・デイ・ルイスの凄みのある演技は分かっていましたが、ここのところ、韓流ドラマ・ユン・ソクホ監督の四季シリーズ漬けだった私はたじろぐばかりでした。

欲望と野心で石油まみれのまみれのなりきり演技でも、スリムな足の後姿の美しい動きはファンの目をホッとさせてくれます。
ああ・・・もっときれいな役をやってくれないかな・・
やっぱり「マイ・ビューティフル・ランドレット」や「眺めいい部屋」がいいな。
そして、「ラスト・オブ・モヒカン」「父の祈りを」「ボクサー」も・・・。
未公開だけど「イングリッシュマン・イン・ニューヨーク」も・・・

石油屋であろうが、牧師であろうが、欲望の深いヤツの破滅的人生を突きつけた作品でした。



ひめゆり

2007-07-12 21:31:48 | 映画
2007年7月12日(木)曇り時々雨

長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」を観てきました。   ポレポレ東中野
  
沖縄に関しては本腰を入れて勉強しなければと思っていましたが、日々の生活に追われてチャンスがありませんでした、が、2002年春に沖縄観光のプレゼンテーション用のパワーポイントのファイル作成の機会に恵まれました。マリンスポーツや自然も取り入れましたが、メインは沖縄戦と基地問題を取り上げました。沖縄に関する書籍やWebサイトを駆使して200枚弱のスライドのファイルを作りました。プレゼンテーションの所要時間は2時間弱くらいです。当時の私はWindowsのWordを使い始めたころだったので、画像処理も分からないままにPower Pointに取り組んでしまいましたので苦労して完成させました。そのような次第で、沖縄戦に関しては一通り理解していたつもりでしたが、長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」で生存者22名が語る証言に、私の知る沖縄戦は表面だけのものだったのだ・・・。
従軍看護になった女学生は腕を切断する手術の手伝いの時に、切り取った腕をゴミ箱に捨てるように言いつけられて、ガマの外へ腕を持って出ると、出会った兵士からすごいことをしていると云われ、従軍から1ヶ月、自分の精神状態の変化に愕然とした話。
ガマ(病院として使われている)の出口で砲弾にあい、一緒にいた友人を見失ったので、探し回ると向こう側の壁に吹き飛ばされて死んでいた。
自分だけが生き残ってしまって苦しい思いの日々を過ごした。
6月18日に突然の解散命令に、自由だといわれても、アメリカ軍に囲まれ、どうしていいのか分からない・・・。
沖縄本島南端に追いつめられ、アメリカの捕虜になり辱めをうけるよりは死にたい。手りゅう弾もないのでどのように死のうかと、針を呑もうか・・・「手りゅう弾をもっていなかったので、死なないでよかったと」
(生存者の体験談は私が書くと薄っぺらなものになってしまいます。是非、ご覧になってください)
アメリカの砲弾で死んだ人々
火炎放射器で死んだ人々
集団自決で死んだ人々
・・・・・・・・・・・・
極限状態の中で20万余の日本人が沖縄戦で犠牲者となりました。
日本軍の集団自決指示の資料がないから、旧日本軍は沖縄住民に集団自決を迫らなかった。と言うような枝葉末節的なことではなく、日本人、アジア諸国人、ヨーロッパ人を悲しい目にあわせた戦争を日本の指導者が起こしてしまって、終らせることができなかったということを真正面から検証する責務が日本人にはあると思います。

ひめゆり学徒の犠牲者は211名、極僅か生存者がいます。この映画を観て、生存者がいてよかったと、「生存者のみなさま、語り続けてください」
この映画を観ることによって、戦争に巻き込まれるとさまざまな悲しい目に、取り返しのつかないことが起こるのだということを戦争体験のない人々にも迫ってきます。

来年春にPower pointのファイル「ハイサイ沖縄」の5回目の更新をします。ひめゆり学徒の生存者の気持ちを伝えられるものにしたいです。