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こずえの遊び日記

芸術の初夏 2024 ①

2024-07-03 | Weblog

イタリアンランチの後は、上野の 「東京都美術館」へ  13時~14時に入るチケットがすぐに買えて、入館できました  

俳優のムロツヨシさんがナビゲーターの音声ガイドを聴きながら、4月27日~8月29日まで展示されている『デ・キリコ展~不思議の世界へ、ようこそ。~』へ   

日本では、10年ぶりの大規模な回顧展となります

パンフレットの表紙の写真は、「形而上的なミューズたち」<1918年・油彩・カンヴァス>

画家で彫刻家の「ジョルジョ・デ・キリコ」は、イタリア人の両親のもと、ギリシア・テッサリオ地域のヴォロスで、1888年に生を受けました。 父は鉄道の敷設を指揮する技師で、3つ下の弟は、作家・劇作家・作曲家の ‘アルベルト・サヴィニオ’  

1900年、アテネの理工科学校に通い、静止画を描く

1905年に、父が亡くなり、イタリアのミラノを経て、フィレンツェに移住  

1907年 ドイツのミュンヘンの美術アカデミーに入学。 ドイツの思想家のニーチェの影響を受けます。

1910年に、ミラノを経て、フィレンツェへ移住し、弟はパリへ移住  

この頃、完結明瞭な構成で ‘イタリア広場’ や、室内を描きながら、歪んだ遠近法、脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む、非日常を表した絵画を描き始めます。後に、最初の『形而上絵画』[=幻想的で、神秘的な絵画。シュルレアリスムという、無意識や夢、心の奥にひそむ欲求や偶然の世界の強度な現実。の先駆け]’ を手掛けます  

1910年代の作品は、‘サルヴァドール・ダリ’ などの ‘シュルレアリスム’ の画家を始め、数多くの芸術家に衝撃を与えます。

1915年に第一次世界大戦が勃発し、イタリア軍に召集され、フィレンツェ連隊に駐屯。 フェラーラの病院に配属されます  その頃、フェラーラの町の室内や店先のショーウィンドウなどに魅せられ、室内画を制作していきます  『形而上的室内』と呼ばれ、戦時中の物資不足を背景に、線や四角、箱、軍の事務所の三角定規や海図、ユダヤ人街のビスケットなど、彼の身の回りにあったモチーフは、脈絡なく並び、閉所恐怖症的なイメージにも見えます

1919年以降は、伝統的な絵画技法に興味を抱く様になり、古典絵画の様式へと回顧していきます  それと同時に、以前の形而上絵画の題材を取り上げた作品も頻繁に制作され、1978年 90歳で亡くなるまで、制作を続けました

『デ・キリコ展~不思議の世界へ、ようこそ。~』では、最初の1セクションでは、長きにわたって取り組んでいた「肖像画・自画像」  ルネサンス様式で描いたり、バロック式で描いたりと作用さが楽しめます

2セクションでは、「ジョルジョ・デ・キリコ」と云えば、『形而上絵画』

‘イタリア広場’・‘形而上的室内’・‘マヌカン’ などの作品が見られます

3セクションでは、1920年代の展開。 新しい主題となった、‘室内風景’ と ‘谷間の家具’

4セクションでは、伝統的な絵画への回顧:秩序の回帰からネオ・バロック。 果物のスイカが描かれていたり、妻のイーザーだと思われる女性が水浴している絵が展示され、同じ人が描いているのか~ と思わせる程、多彩です

5セクションでは、亡くなるまでの約10年は、改めて、『形而上絵画』を取り組み、『新形而上絵画』と呼ばれる、過去の作品を再解釈した、新しい境地の作品の数々です

セクションの他に、TOPICとして、ジャン・コクトーの『神話』の挿絵や、彫刻家でもある「ジョルジュ・デ・キリコ」の彫刻の作品、舞台美術や衣装などスケッチなどが展示されています

「ジョルジュ・デ・キリコ」のおよそ70年にわたる画業の初期から晩年まで、100点以上の作品が展示されています

 

 

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