持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

ラヴ・レターズ 2/2

2005-08-20 00:23:36 | 演劇:2005年観劇感想編
8/18のつづき>
誰よりも近い、ふたりの心。なのに。とても遠い、ふたりの距離。
実際の舞台上では、立ち上がって手を伸ばせば触れられるほどなのに。この「距離」というもののあやふやさに揺さぶられる。

家庭を壊したメリッサと、堅実に築き続けるアンディ。メリッサは、長い手紙は退屈だと言い、そっけない返事を返すくせに。手抜きな時候のあいさつ文を叱りつける。
時が経過するうちに。ふたりは一緒になっても、うまくはいかないのじゃないかと気付くから。つかずはなれず、うまくよろしくやってくれと願いはじめる。のに。

とうとうアンディが本懐を遂げる。メリッサがアンディを手に入れる。当然、現実のしがらみは大きくて。ずっと一緒にいることはできなくて。今度は、ふたりでいることを知ったからこその孤独が、彼女を泣かせ苦しめる。終盤、戸田さんは泣きじゃくっている。でも、台詞の乱れないのはさすが。
寂しさに捉(とら)われて、自分が自分ではなくなってしまったことに焦れ。この世から自分を消してしまう彼女は。子どものころのままのメリッサだった。そう。鼻っ柱が強くて、けれども、すごく愛の深い女の子。こどものような純粋な気持ちで、消えちゃった。。

アンディは最期の手紙を書く。妻には持たず、また、向けることもない種類の愛を綴る。メリッサという女性が、どれだけ大切で必要だったかを。彼女に置き去りにされた者の悲しみを。台詞を記述する部分だけ、反転表示にします。
ここで。亡くなったメリッサは、初めて本を閉じ。アンディを見る。彼の読み上げる手紙に相槌を打つ。「絶望的なまでに懐かしんでいる」と言う彼に。「ありがとう」と穏やかに述べて。メリッサの心が、アンディの心を抱きしめる。きりきりと絞られていく照明に。漆黒の衣装(第二幕用)をまとったふたりは、どんどんまぎれていく。だけど。初めて、ぴったりと重なったふたりと別れがたくて。。なんとか呼び止めたい気持ちは、すべて拍手に換えることにする。

カーテンコールでは。戸田恵子さんが寺脇康文さんの手を引いて出ていらしたのが、なんともアンディとメリッサで。微笑ましいったらない。

白夜行

2005-08-19 23:06:54 | 演劇:予告編
劇団Studio Life 『白夜行』
原作:東野圭吾
脚本/演出:倉田淳
出演:笠原浩夫、及川健、山本芳樹、曽世海児 他

第1部
劇場:紀伊國屋ホール 他
期間:2005/9/14 ~ 10/1 他

第2部
劇場:THEATRE1010 他
期間:2005/12/1 ~12/11 他


東野圭吾氏のミステリー小説『白夜行』を原作にした舞台が、いよいよ製作発表。
劇団スタジオライフは、今年で創立20周年。今までも、漫画・小説を原作とした舞台を上演してきた実績があり。『白夜行』は長編のため、2部構成での上演となるらしい。

小説のあらすじ。1973年、大阪の廃虚ビルで1人の男の死体が発見される。容疑者は浮かぶものの事件は迷宮入り。被害者の息子・亮司と容疑者の娘・雪穂、交わることのないはずの2人の歩んだ道とは……。(シアターガイドHPより)

脚本を担当する倉田氏の、「原作に忠実につくっていきたい」は。東野氏のファンとしては、とても嬉しく。それに対する東野氏の。「『白夜行』だけは無理だと思っていた」「できるものならやってみろという心境」には。・・・かっこいーっ!(←ただのみーはー)

亮司役は、笠原氏と山本氏のダブルキャスト。雪穂役には、及川氏(←この劇団は男優さんのみ)。

ラヴ・レターズ 1/2

2005-08-18 23:30:37 | 演劇:2005年観劇感想編
寺脇康文氏と戸田恵子氏で観劇。公演詳細はこちら
舞台セットは。小さな丸テーブル。水差しと2客のグラス。両脇にゆったりした椅子が2脚。ほの暗い照明。純白の衣装で(寺脇さんはスーツ・戸田さんはドレス)、ふたりは現われて。椅子にかけ、おもむろに台本を開き。朗読劇は幕を開ける。

ええとこ(上流階級)の小さな子どもが、自分の手紙を読み上げる。たどたどしい単語に、たどたどしい発声。だんだんと。寺脇氏のアンディが、律儀で大人しい性格だとわかり。彼の大好きな、戸田氏のメリッサが、気ままでお転婆だとわかる。メリッサは、手紙が嫌いだという。だけど、アンディの手紙には、短くってもちゃんとお返事は書く。

いつしか、ふたりの言葉は。少年に、青年に成っていく。そんな時の流れを見守り続ける。
遠く離れたふたり。電話にしましょう、逢いましょうと焦れるメリッサ。友情でもなく、恋情でもなく(というには、知っている期間が長すぎる)。手紙では、実体が見えないと言い切るメリッサに。手紙の中こそが本当の姿なのだと綴り続けるアンディ。何度も読み返せるが故に、傷つける力を持つ言葉。耳を塞いでも読み取れる、あたたかい言葉。

彼女は、奔放な上にエキセントリックな芸術家になっていき。翻弄されるだけだった彼は、落ち着きをもった本物の大人になっていく。あちらこちらに居所を変え、環境が変わっても手紙だけは途絶えない。彼女は、彼の女の噂に腹を立てて適当な男性と結婚をするくせに。彼の結婚には返信もできないほど欝になる。そして、回復させるのは。やはり彼の手紙なのだ。理解できるようなできないような、不思議な関係。

ふたりの役者たちは。決して相手を見ない。じっと自分の書いた手紙を見て、それを読み続ける。心をこめて。彼(彼女)が読み上げる間、もうひとりは。自分のもとに届いたその手紙を、じっとみている。その文章に一喜一憂しながら。

寺脇さんと戸田さんは。もちろん、どの年齢も無理なく演じられる技量をお持ちだけれど。ふたりの実年齢付近の芝居は、ぞくぞくするほど良かった。椅子から立ち上がることが許されない演出の中で。浮き立ち、落ち込み、疑心暗鬼にとらわれ、立ち直る。ほんの少しの身動きと、声色とその緩急だけで伝えられる芝居に。身を固めて、耳を傾け続ける。

カムカムミニキーナ

2005-08-16 23:15:57 | 演劇:予告編
カムカムミニキーナ旗揚げ15周年記念公演 第2弾 『越前牛乳』
劇場:シアターアプル 他
期間:2005/11/2 ~ 11/6 他
作/演出:松村武
出演:八嶋智人,藤田記子,山崎樹範,吉田晋一,清水宏,松田かほり 他


大阪公演は、シアターBLAVA! にて決定。それにしても、BLAVA!って守備範囲が広いな(←すてき♪)。
カムカムミニキーナは、なんだかんだで縁が薄く。今回は記念公演ということで、初期の代表作を上演してくれるというのだから。今度こそ、ありがたく(?)観たい。

『越前牛乳』。時は戦国、牧場で平和に暮らす少女と子牛ドナドナ。そこへ容赦なく襲いかかる戦の嵐(~中略~)幸福を求め、けなげに明るくたくましく成り行き任せの旅を続けるハイジの前に次々と現れる奇抜な人々、数奇な運命、宿命の出会い・・・
奇想天外、波乱万丈、深謀遠慮、疾風怒濤の大河ドラマカムカムミニキーナの人気作品がグレードアップして三たびよみがえる!(劇場HPより)


松村氏の感性は好き。関西出身という時点で、安心していられるのかも。噂のハイテンションギャグに浸りに行きたい。

そうだ、八嶋氏といえば。近々、東京では『エドモンド(演出:長塚圭史)』の上演が始まるね。これも面白そうだよねぇ。

galbo カカオ&オレンジ

2005-08-15 17:13:59 | チョコレート
ガルボ[テイスティーカカオ] カカオ&オレンジ
明治製菓より


チョコレートは、Me・i・ji♪(←古い?)という。大好きなMeijiから、久々に好み直撃!

フレーバーチョコではだんとつにオレンジ味が好き。
昔。観光で奈良へ出かけたときに、駅周辺の専門店で出会った。確か、オレンジピールが芯になっていて。オレンジ風味のチョコでくるんであった。後日、まとめ買いするために出かけたっけ。あれからずいぶん経つけど、あの店は今もあるのかなぁ。
なにはともあれ。それ以来ずっと好きなオレンジ味が。コンビニで手に入るのが、単純に嬉しい。

染み込んだカカオの深い味わいとともに華やかなオレンジピールが香る、食感チョコレートです。
中はさっくりウェハース。コーティングがオレンジチョコ。カカオも濃くて、オレンジ風味もしっかりしてて。。ウェハース抜きで出してくれないだろうか(←よこしま)。
しばらく、リピートするよ♪

ラスト・ファイブ・イアーズ 5/5

2005-08-13 23:59:01 | 演劇:2005年観劇感想編
8/12のつづき>
もうひとりの主演の山本耕史氏は。それはそれは、いろいろな技を繰り出してくる。
キーボードを叩き、ペンをもて遊び、気楽に水を飲む。恋人と暮らす部屋の鍵を、楽しげにいじり。恋人に逢う前には、うきうきと鏡の前で身だしなみを整える。そんな。さりげない、敷居の低い芝居に安心している間に。いつしか、完全に取り込まれていって。浮気心を発見されたバツの悪さに同調し。身勝手に苛つく感情にすら共感してしまう。

山本氏は、年齢にしては極度に舞台経験年数が長く(初舞台は1982年?)。全身の末端にまで神経の行き届いた動きをこなし。歌の中にも、確実に気持ちを織り込んでくる。気持ちがジェイミーに共鳴するから、終盤は彼の哀しみに引きずられていく。
Nao氏とのあいだに、歴然とある経験値の落差。そこからノイズを発信することのないように、気遣う場面を何度もみた。そうすると。舞台上に独りになり、解き放たれた本来の伸びやかな演技とに落差が生まれ。キャシーに対する愛が薄く感じ取られてしまったのは、とても残念なこと。キャシーに逢うために時間空間を渡ったシーンは素敵だった。

なによりバランスを重要視する彼は。演劇ファンとしては、たいそう好ましいものだけれど。彼のファンとしては、どうにも物足りない。そういえば。ハプニングを芝居に組み込んでしまえる、しぶとさも愛しているんだけれど。
でも。そんな気遣いなど不要な、かつ、そんな余裕など持てないような。ハプニングなんて、易々と起こり得ない。そういう舞台の上に、彼をおいてみたい。そういう意味では『ファントム・ペイン(2001年)』は良かったなぁ。演技巧者の中で、かっちりとした駆け引きをしつつ細心でもって芝居をする。最高値を楽しむこの人が観たいと、願い続けている。

最後に。次回、この演目が観られるのなら。こんなキャサリンがよい。
女優になることに貪欲で。ジェイミーが有頂天になるほどキュートで。女優になれると、彼が信じ続けられるほど華やかな。なのに。ジェイミーだけが大好きで。いっぱい構ってもらわないと寂しくて。追い詰めて、追い詰められて。余裕なんてどこにも無くて。別れるとなったら焦がれて伏してしまう。そんなキャシー。

長くなりました。おつきあいくださった方へ、心からありがとう。愛してるっ(←迷惑?)

ラスト・ファイブ・イアーズ 4/5

2005-08-12 00:12:35 | 演劇:2005年観劇感想編
8/11のつづき> 余ったピースのお話。 今回、思うところあって隠しません。
ラストシーン。また明日、と歌ったキャサリンは。なぜか、ジェイミーの去った机に腰掛ける。彼が残した幸せの象徴ともいえるキィ(鍵)を握り締めて、微笑む。この背景の壁に、映し出されるのが薔薇の花。それまでにも何度か映った黄色の薔薇が。徐々に紅く染まり。いつしか、全面に咲き誇る。あぁそう言えば、と花言葉を思い出す。キャサリンの「嫉妬」心は「情熱」に変化を遂げたということだ。

演出の鈴木勝秀氏は。彼女の再生を示唆する。この先へ、力強く踏み出す彼女の姿を予感させて終わらせる。これは。たいへんシンプルに、彼の慣れたストレートプレイの手法で描かれたミュージカル。なんだけど。ミュージカルとは。音楽の存在が、いろいろを演出してくれるのだと信じている。それゆえに。鈴木氏の描き出す世界は、少し面映い。

Nao氏が、ようやく5年を遡りきった瞬間に。時間軸を、再び5年後に戻すのは。希望を歌った彼女に、再び苦悩の時間を与え、踏み出させて終わるのは。。書いてしまおう。少し冗長だった気がしてならない。ここで時間軸を正常に戻してしまえば。彼の存在が、ただの過去になってしまう。それでは、わざわざ交差させた意味すらなくなってしまう。

純粋に不明なこともあり。たとえば。壁に映し続けられた時計。時折、アンティークに姿を変えたり、時計針が逆行するなど。効果的だったけれど。リアルタイム表示は、どうしても外界がちらついてしまう。それと。キャシーの足首に目立つタトゥ。敬虔なカソリックは自然の姿を変えないと聞いている。そういえば、ジェイミーは刺青OKと歌っていたけれど?

観客の立場で言わせてもらう。そろそろ、ドラマターク(※注)という職種を大事に考えたほうがいい。こういう斬新な翻訳物では、特に。
もっともっと、丁寧に扱えば。必ず、息の長いファンがつき。何度もの再演が望まれて、進化して。良い「舞台」と呼ばれていくはずなのに。もったいないよ。。
(※注)客観的な立場から脚本の背景考証や読解をして、制作者に提案を行う人のこと

明日で終了。あとは、好きだ好きだと言うわりに、名前すら出ていない主演の彼のことも。

ラスト・ファイブ・イアーズ 3/5

2005-08-11 01:09:37 | 演劇:2005年観劇感想編
8/10のつづき> 足りないピースのお話。
いろいろを補うと、きっと次には涙がこぼれる。そう言ったら。こんな応えを貰ってしまった。「補って観なければならないのって、舞台としてはどうなの」と。・・・指摘の、あまりの的確さに絶句して。いまだに返す言葉がみつからない。。

ひねりの加わった作品だからこそ。高度な芝居が求められる。そして、それは特に。時間軸を逆行する女優さんに求めたい。なのに。なぜだか、その役に新人さんがキャスティングされている。それも女優志願の方でもないという。

Nao氏の、一曲目。舞台のオープニングに高揚する姿は美しかったけれど。欲しいのは、愛の破綻に身をよじって嘆く姿だった。おそらく、突然の展開に客席からは戸惑いしか返せないけれど。そこをねじ伏せても聴かされていれば。強烈な記憶として、ラストの別れを観るときによみがえるはずなのだ。彼女の、舞台での緊張感が伝わってくる。その硬さは、ややもすると感情の揺れない「お高い女」と錯覚し。感情移入がしづらくなっていく。

誤解の無きよう。Nao氏を責めているのではない。彼女のことはとても好き。
透明な歌声は心地よく、真っ直ぐな演技は、観ているこちらの気持ちまで綺麗にしてくれる。たった1ヶ月前に初舞台を踏んだなんて思えないくらいの安定感もみた。
できれば(出来ないことは百も承知で)彼女が順当に時を刻み、彼が逆行すれば良かったのに、と思ったりする。この舞台に要求される力量には、経験値の不足はいかんともしがたくて。あげく、ふたり芝居では。軽く崩れることすら許されず。どれだけの重責だったことか。せめて。もう少し演出で楽にしてあげられなかったものかと思ったりもする。

願わくば、彼女にとって。この舞台が辛いだけのものでなく、素敵なものであってくれますよう。歌い手さんでありつつ、お芝居もする女優さんになってくれればなと、心から思う。

あぁ、書き始めたら尽きないし・・・。えぇい。明日(←たぶん)に続けます。

ラスト・ファイブ・イアーズ 2/5

2005-08-10 23:26:27 | 演劇:2005年観劇感想編
8/8のつづき> 公演詳細はこちら
日付が経過したので、もう一度言っておこう。とっても素敵な作品。大阪では2000名キャパの劇場にて(←ふたり芝居やで!?)同日2回公演だったので、2回しか観られなかったのが残念でならない。何日かに分けて、色々考えながら観たかったよぉ。

マチネ終了後、(予告どおりに)合わせ絵を完成させてみた。ジグソーパズルのようで、ピースがいくつか足りないようではあったけど。そこのとこ、ちゃんと補完をしつつ観たソワレでは、うるるんもので。そして作品の虜になった。

作家の卵のジェイミーと、女優の卵のキャサリンが。恋に落ち、惹かれあい、結婚する。ジェイミーの仕事は絶好調で、幸せも絶頂だった・・・はずなのに。叶いそうにないキャサリンの夢。捨てられそうにない夢。そして、ふたりの心はすれ違い始め、破綻する。

普通に描けばそれまでなのに。作家は、なぜ結婚式を境に時間軸を逆さにするなんてことを考えついたのだろう。舞台上にはふたり居て。順に「そのとき」を歌うのだけれど。滞在の時間空間が違うから、相手はそこに居るようで居ない。
オープニングで、キャサリンはふたりの終わりを嘆いている。ジェイミーは、恋にも仕事にも、希望いっぱいに輝いている。唯一、ふたりがお互いを抱きしめあえた結婚式に。心から祝福をしたのに。ジェイミーの愛情は翳(かげ)りをみせはじめる。キャサリンはジェイミーとの出会いと夢を語っている。とうとう。ジェイミーが別れという苦渋の選択をし、最期のさようならを歌い上げるとき。キャサリンは、向かい合う位置で。出合ったばかりの彼に、また明日までさようならと歌うのだ。
すれ違っていくふたりを。ずっと観ていたのに止められなかった。戻してあげられないことのもどかしさに。胸がぎゅうってなる。

たぶん、ここまでで止めておけば良いのだと。わかってはいる。でも、あえて続けます。

平等ということ

2005-08-09 23:42:37 | だいじなこと
先ほどのテレビ番組にて。六星占術の祖の細木数子氏が、『平等』について話していらして。昔、この言葉について考えたことを思い出していた。

たとえば、給食(偏食なので、辛い想い出が多い)。体格が違えば、食せる分量も変わってくる。ならば。どんな体格であっても同分量を配膳するのが平等なのか。もしや。適量にしてあげるのも平等ではないだろうかと。

いつも、この方は一刀両断。正解は前者。たとえば。老若男女がお互いに、席を譲る必要さえもなくするのが平等なのだとおっしゃる。
いやだなぁ、そんなギスギスした社会は。だから甘いとよく言われるんだ。なんて方向に考えを進めてしまったので、その先を聞き逃したのだけれど。

『質(しつ)』というものに着目をせよ、と続けていらしたようだった。
なんにせよ。個々に合わせるということを、尊重できる世の中であれば良いと思い。個々が、勝手ばかりを望まない世の中であれば良いと思った。