持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

もともと

2006-04-05 02:41:13 | だいじなこと
勤勉だなんて、まさか言えないタイプだし。
だけども。だからこそ。
毎日毎日、同じ場所で足踏みしているような生活に焦れた。
どのみち進まないものならば、立って居るだけのが、よほど良いように思えた。
だって、そのほうが。見える風景が、たくさんあるよ。

そして、事が過ぎた現在に知ること。
なぜだか。ここは。
立って居ただけの場所とは、違うところなんだ。

ただただ、そこから逃れたくて足掻いていただけだったのに。
一歩も進んでいなかったはずなのに。
それとも、基礎体力でもついたのかな。
とんって地を蹴れば、ぐっと前に進めそうな気がしてる。

そか。人生、あながち無駄なことだけでもないんだね。

24時間テレビ

2005-08-28 23:57:20 | だいじなこと
いつからか。ひとりの戦場カメラマンをすごく気にかけている。
英語が理解できないこともあり、海外事情にはひどく疎い。ヨーロッパ諸国の名前もまともに上げられないほど。だが、セルビアとコソボには反応する。彼が乗り込むまでは、イラクとイランの違いも知らなかったくせに。とりあえず、バグダットとサマワの地理関係はおさえている。これは。間違いなく、彼の存在が世界に目を向けさせてくれている結果。

昨年5月27日、戦場ジャーナリストの橋田信介氏が亡くなられた。第一報が入ってから、彼でないと判明するまでの焦燥。判明した名が、著名な橋田氏であったときに感じた衝撃。無事だった彼は、その後。橋田氏に合流し、帰国し、再び戦地に戻っていった。最近では、ロシアでブイブイ(←古っ)いわせていたらしい。

ニュースは、インパクトのあるものにどんどん流されていくから。名も聞けなくなっていたのだけれど。先日放映されたスペシャルドラマは見逃しました。痛いミスだった。。先ほど幸運にも、橋田夫人をテレビ画面で見ることができた。連れ沿う人を突然失っても、彼女は時を止めていない。夫の志を継ぎ、少年の目を治し。今年はサマワに診療所を造り。数年後には少年の故郷・ファルージャに、子ども病院を造るべく。ずっと動き続けていらした。

「生きる」ということを正面から取り上げた番組。大々的にテーマとして掲げられてしまうと。なんとも気恥ずかしいものがあったのだけど(←へそ曲がり?)。
「ときどき楽しいことがあるから、是非ね、生き延びてほしい。生きていてほしい」という、生前の橋田氏のメッセージ。その映像を、いとおしく見つめる夫人の表情は印象的で。ふたりの間の絆を感じずにはいられない。そして。彼女のしていることこそが、まさしく「生きる」なのだと思った。

人は絶対に死ぬ。いつだって、確実に、死ぬ日に向かって生活を営んでいる。この日は。すごく近いかもしれないし、すごく先かもしれない。でも、死なずにすませられる「人」はいないから。だったら。死にたい、とは考えないでいようと思っている。

平等ということ

2005-08-09 23:42:37 | だいじなこと
先ほどのテレビ番組にて。六星占術の祖の細木数子氏が、『平等』について話していらして。昔、この言葉について考えたことを思い出していた。

たとえば、給食(偏食なので、辛い想い出が多い)。体格が違えば、食せる分量も変わってくる。ならば。どんな体格であっても同分量を配膳するのが平等なのか。もしや。適量にしてあげるのも平等ではないだろうかと。

いつも、この方は一刀両断。正解は前者。たとえば。老若男女がお互いに、席を譲る必要さえもなくするのが平等なのだとおっしゃる。
いやだなぁ、そんなギスギスした社会は。だから甘いとよく言われるんだ。なんて方向に考えを進めてしまったので、その先を聞き逃したのだけれど。

『質(しつ)』というものに着目をせよ、と続けていらしたようだった。
なんにせよ。個々に合わせるということを、尊重できる世の中であれば良いと思い。個々が、勝手ばかりを望まない世の中であれば良いと思った。

速達区域外

2005-08-01 19:24:51 | だいじなこと
タイトルの「速達区域外」とは。過去に、郵便局で採用されていた制度。早くに廃止されているから、ご存知の方は本当に少ないと思う。それは。差出人から速達で送られてきた郵便物が、途中から速達でなくなる。最寄の郵便局によって赤いスタンプが押され、普通郵便と同じ扱いとなって自宅に届く。そんな制度。

子どもの頃、一時住まった田舎は。徒歩圏内に小売店すら無く。なにをするにも車を必要とする。逆に言えば、車がなければ住まうことのできないようなところだった。新聞でさえ、朝刊しか配達されなくて。夕刊を申し込むと、翌朝に朝刊と共に届いた(もちろんこれも早い時期に解消)。要するに。人を動かすには、ワリに合わない地域だということだ。

ちまたを賑わす『郵政民営化法案』。現在の使途不明金が明確になり、ドブに捨てているも同然の血税が。上手く運営されるのだと聞かされると、賛成したくなる。

しかし、民営化には採算というものがつきまとう。国鉄の民営化によって、田舎で廃線が相次いだのと同じこと。現在、郵便業務は負であって。貯金業務で補うからこそ成立しているのだという(どうりで民間の宅配代金は、田舎になるほど高額になる)。ならば、切り離される郵便業務が縮小されるのは明らかなこと。
今時、メールで事足りると人は言う。だが。高齢者のみで住まう過疎地で、そういう技術取得は難しく。やはり、通信手段は電話と郵便で。あいかわらず、年末には張り切って年賀状を購入する人々は多く。それを思うと反対したくなる。

企業が過疎地から撤退しないように、政府は助成金を出すという。それはそれで、どうなのだろう。現状ならば成立し得るものに、税金を投入するのはどうだろうと思ってしまうのだ。

そして、国会の論争はおかしい。当初、考え出された利益は何だったのか。この部分に対する、真っ当な反対意見を聞きたいのに。賛成派からは、すでに意地しか聞こえてこない。反対派からは、生活の不安をあおる言葉しか聞こえてこない。片方で、国会の混乱を質にとられ。もう片方で、田舎の両親を質にとられ。そんな審議は、おかしい。

退き際(ひきぎわ)

2005-07-02 16:16:59 | だいじなこと
本日、休日。遅く起き出して。ぼぉぉ、とネットニュースなど読んでいたら。こんな記事が。

<不合格>理由は年齢?55歳主婦、群馬大を提訴
群馬大医学部の今年度入学試験で、年齢を理由に不合格にしたのは不当だとして、東京都目黒区の主婦(55)が大学を相手取り、医学部医学科入学の許可を求める訴えを6月30日までに前橋地裁に起こした。<後略> (毎日新聞) - 7月1日19時40分更新


こういうものの受け止め方は、人それぞれであり、それでいいのだけど。
世の中には、肉体労働職というものがあって。たとえばスポーツ選手などがわかりやすい例。でも、一見そうは見えない職種でも。一に体力、二に体力。なんてものは多々あって。
体力低下の、ひとつの目安となるのが年齢だとすれば。年齢差別はされるべきでなくても。区別を必要とするものは出てくると思う。その職種が、他人をまきこむものなら尚更に。
能力的にはまだ、イケると思っていても。キツい、と感じることが増えてくると。背中に薄ら寒いものを感じ始める。嫌でも「引退」という文字がアタマを掠める。

断言はできないけれど(幸い、病院とは縁がないので)。お医者さまとは。知識や技術は、あって当然。それを使いこなすために。まずは体力と気力。この考え方は、誤解かな。

この女性が。主婦の仕事をこなしつつ、あきらかに20歳とは異なる記憶力で。高度な勉強を続けて合格するまでには、どれだけの努力と情熱を要したことか。想像を絶するほどすごいこと。尊敬するから、医療を学びたい気持ちを止めたいわけではない。
ただ、思うことは二つあって。卒業後は、世のために働いてくださるからと。育成には、高額な税金が投入されているのではなかったっけ? ならば、学んで終了ではならないし。医学部の勉強は6年だと聞く。たいていの会社の、定年制度で定められている年齢になる。その年齢で、初めて一線に立ちましたというセンセイの、患者になるのは不安だよ。

JR宝塚線・列車事故

2005-04-25 23:54:42 | だいじなこと
寝不足も幕末気分(4/23の話)もふっとぶ、尼崎の列車事故。
結果的に関係は無かったのだが。所属から、知人から安否確認が入る程度には関係していたので。記事を上げることにする。

JR伊丹駅は通過しやすいらしい。何度か体験したこと。大幅なオーバーラン。後続列車と正面衝突するのではないかと不安になるほどのバックラン。タイムを戻す為の、離陸するのではないかと思えるほどの爆走。
オーバーランは8mと発表されているが。それすらも疑ってみる。体感する距離よりも公式発表が低いのが毎度だったので。

到着時刻が遅れれば文句を言う。だが事故と引き換えたいものではない。
乗車する側には、どんなにしても気のつけようのないことがある。これだけは、お願いするしかない。安全に走らせてくださいと。

まだ車内にいる方が無事に救出されますように。せめて負傷者の怪我が、できるだけ軽いものでありますように。また、できるだけ早い回復が迎えられますように。心から祈ります。



<追記:JR福知山線とJR宝塚線について>
宝塚~尼崎間は共通の路線を走る。宝塚以北からJR大阪駅へ向かうのが福知山線で。宝塚駅を起点としJR北新地を通過するのが宝塚線。ニュースでは福知山線とでているが、実際は後者のようです。

会社は誰のもの?

2005-04-03 00:10:22 | だいじなこと
組織が資金を得るために株を発行する。購入者が配当を求める。利益を上げることを目的に組織が運営されるとしたら。株式会社の頂点にいるのは間違いなく株主だろう。
そして。利益を生むために、顧客満足は必須条件として存在する。会社の基盤をなすのはお客様だろう。

ライブドア一連のさわぎはあまり気にとめずにいた。経済的な何かの結果として、個人になにか大きく影響する話題だとは思えなかったので。天下のフジテレビ、と言われても。首都圏ほどの温度は関西には伝わらない。情報報道というわりには、見聞きするのは感情先行論ばかりのようでもあり。一度持ち上げた人物を、反す手で叩くのって常套手段だよね。くらいの見方でいた今日この頃。

「会社は株主のもの」だと堀江社長が言う。
昨夜。ある番組は「会社はお客様のためのもの」ということばを繰り返し流した。たいへん耳障りの良い言葉だ。この言葉をもってして、堀江社長を否定したいかのように見えた。
が。何故この二つのキーワードをして対峙するのだろう。そもそも同等の位置において考えるべき単語ではないはずなのに。

だから。巨大なメディアが、こうまでも排除したいものはなんなのだろうと考えてしまう。最新といいつつ、ここにも旧態のなにかがはびこっているのだとしたら。
既存マスメディアとネットとの融合を見たくなってくる。

尊厳死の主張

2005-03-22 21:09:32 | だいじなこと
本日のワイドショーでもちきりなアメリカのお話。
夫は妻の尊厳死を、両親は娘の延命を望んでいる。公の場で戦うというあちらの習慣は、こんなものまでを持ち込んでしまうのか。そしていつからか政治戦略が絡んでわやくちゃだ。
どちらが正しいのかなんて他人にわかるはずがない。介護をしてきた15年を語り尽くすことなどできるわけがない。どれだけ憎しみあったとしても、当事者のみによって話し合うべき問題のはずだと思うのは日本人の典型だろうか?
母親に抱かれて、映し出される意識のない彼女は生きているようにみえた。亡くなってはいないようにみえた。見続けて。こんな姿を何度も何度も映し出されたくないよな、と考えた。
いろんな意見があると思う。わたしは。子は親より先に死んではならないと思っている。生んでもらって、育ててもらって。愛情に報いたことなどないけれど。たった一日だとしても、親よりは長く生きますと誓っている。