持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

親子の絆(笑)

2005-12-31 21:26:57 | なんでもないこと
大晦日といえば、友とのお祭り騒ぎ。実家にいるなんて、コーコーセイ以来かも。そして実家では、昔と寸分変わることなく。御節を作り、年越しそばを食べ、紅白歌合戦を視聴する。こういう、変わらないことの良さを、最近しみじみ感じたりする。

しばらくぶりに父と、まったりと。
こ:「この子(←紅白司会の山本耕史氏)、どう?」
父:「かわいいな」
こ:「・・・」
   かわいいのかよっ。←心のなかでのつっこみ。

こ:「この子(←同じく司会の仲間由紀恵氏)、好きやろ?」
父:「・・・」
   長めの沈黙。わくわく。
父:「このまえドラマで、「おめぇら」とかゆうとった・・・」
こ:「『ごくせん』かよっ」←今年最後のつっこみが決まった瞬間。

このひととは昔っから、女の子の好みがびっくりするほど同じで。あまりのビンゴっぷりに、あいかわらず親子なんやねぇなんて確認しつつ(←平和な夜だ)。来年は、負けずに『功名が辻』を視聴しようと考えたり。

エビ大王 2/2

2005-12-30 22:34:07 | 演劇:2005年観劇感想編
12/30のつづき>
王の息子を産むことのできる女が、国にひとりだけ存在するという。たったひとつの、最後の希望。死神たちが告げた、「父に捨てられ、夫に捨てられ、息子に捨てられた女」を捜しさすらう旅は長い。ようやく見つけた女は、なんと昔に捨てた実の娘という皮肉。結ばれる直前に真実が判明し(←結ばれてからでなくて良かったよ)、悲嘆に暮れる王は。みずからが描いた悲劇に幕を降ろすべく、死を受け入れる。

かの国の、親子の情の深さに驚嘆する。因果応報の苦しみから解放されて、死の旅路につく父と。自身を捨て、愛する夫と息子を殺した父と邂逅し。懐かしさに(←想い出は、なにひとつないのに)、すべてを洗い流す娘。
こういう。見知らぬ国の、慣れぬ情念に。照明と音響には最後までなじめなかったなぁ。。そういうものなのかと、納得させてくれたのは。ひとえに、演者の熱。

筧利夫氏の。火をあやつる場面は、非道ぶりを一瞬忘れるほどかっこよく。娘たちに国を追われ、ボロ着姿でさすらえども威厳を失うことのなかった姿から。絶望に、一気に老け込む姿。身勝手が引き起こした悲劇には、一切の同情の余地がないにもかかわらず。身悶える演技には、心地よく呑まれてしまう。
円城寺あや氏の演じる二役は。母性に満ちた王の伴侶と、娘を邪魔に思う義母で。真逆ながら、どちらにも説得力があり。こぐれ修氏は、三役で登場し。優しい義父と、金で小娘を買い取る地主と、国家統一に加勢する役で。これらすべてに、メリハリが効いている。

なにより。死神という役どころの、橋本じゅん氏と河原雅彦氏。お遊びの、独立コーナーありで(←そうしなきゃおさまらない大騒ぎ♪)。作品の重々しさを吹き飛ばしてありあまる激走(←勢い)は、ひたすら楽しい。わちゃわちゃと、二人で騒ぎ立てたあげく。「おれのほうが、あきらかに体力がないんだから!」と、ほんとにへばる河原氏やら。なぜだか突然、筧くんの暴露話を始め。主役(←筧くん、ご苦労さま)を撃沈させて満足げな、じゅんちゃんやら。この、おはがきコーナー。「明日もやるぞー」と燃えてらしたということは、恒例日替わりなんだな。。全部観たいと考えてしまった(←思うツボ)。けれど、要所では。王や娘への、同情や迷いや嫌悪などの、こちらの抱く感情を代弁してくれて。ふたたび舞台に誘(いざな)う、ストーリーテラーとしての役割を。きっちり果たせる実力に、惚れぼれする。

とにもかくにも、これは「第一弾」。はやくも、第2弾が楽しみではある。行くよぉ♪

エビ大王 1/2

2005-12-30 22:24:05 | 演劇:2005年観劇感想編
Team ARAGOTO Vol.1 『エビ大王』 Strong Play of The World
劇場:シアターBRAVA!
作:洪元基(ホン・ウォンギ)
演出:マ・ジョンヒ
演出:岡村俊一
出演:筧利夫,橋本じゅん,河原雅彦,サエコ,こぐれ修,円城寺あや 他


出演者表は、ほぼ個人的趣味で(^^)。TeamARAGOTOとは、筧氏が主催する演劇ユニット。世界演劇の様々な作品から、荒々しさを基準として選択し上演することを目的としているという。そんなことはさておき(←そんなこと?:笑)、カケイ節が健在なのがなによりで。彼が、舞台の芯を担う受ける芝居をしながらも。姿勢は攻めてるところが、好ましい。

古代朝鮮、青銅器時代から鉄器時代へ移ろうかというころ。王の嘆きから、物語は始まる。世継ぎがいない。娘は6人も生まれたのに、男子が生まれない。待ちわびた7人目は、やはり女で。やりきれぬ気持ちをもてあまし、捨て去った。。死神の迎えを、徹底的に拒む王。延々と継いできたエビ王家を、自分の代で止めて死ねるはずがない。娘にも、娘の夫にも、娘の息子にも、王座は譲れない。なにがなんでも、自身の男子を授からねば。たとえ引き換えにするものが、何千人もの民の命だったとしても! 王の血統への執念はすざまじく。2つに国を分かち、二人の娘夫婦に与え。当然おこる争いに、王位を追われ老いさらばえても。見せる続ける執念は、狂気を漂わせる。

物語の展開には、少しく馴染んだシェイクスピアを連想させるところもあり。やはり演劇の基本なのかと、横道にそれたことを考えながらも。南北分断の悲劇を描いているのであろう場面など、韓国風土に落としこんだ部分は、たいへんに目新しく(←韓流ブームには乗りそびれたので)。ただ、こうして。全体に横たわる異国の情緒に惑わされつつも、描かれる男子至上主義は。この国の現代においても、いまだ残るものであって。誰彼の妄執に呆れながらも、笑い飛ばしきることができない。

忘年会ラッシュ

2005-12-30 12:14:33 | なんでもないこと
あれやこれやの宴会を終えた朝。
けっこうどこでも、ご機嫌さんで騒ぐので。「よぉ、飲んどったなぁ」などという評価をいただく今日この頃。アルコール耐性は弱いんだけどな、などと心の中でつぶやきつつ。「おかげさまで~」などと、無難に返してみたり(←処世術)。

ここからは、飲みたい人には無縁の話題。
基本姿勢は、注がれる前に注ぎに行く。ある程度腹ごしらえが終わったら、ビール瓶をかかえて旅(←笑)にでます。どんどん注がせてもらうと、返杯が来ますが。その辺にころがってる、新しいグラスにいただきます。ひとしきり喋って、もういいかってくらい注いだら。すべてそのままに、ビール瓶だけ持って次のテーブルへ。たまに、酒の注文のために席をはずしたり。そんなこんなを、リピートリピートで。。自席にいて、退屈に断り続けているのなら。飲みたい人に、ぐいぐい飲んでいただくのがいいよねぇ?

さて、これから年賀状を書いて(←元旦には着かねぇな・・・)。夕方から、実家へ向かいます。超アナログな環境なので、帰宅の5日まで更新は滞るかと。
最終観劇となった、『エビ大王』のことを書きたいんだけどな。。

本年の開始以降、こちらにいらしてくださった皆さまへ。ここを見つけてくださって、ほんっとにありがとう!! どうぞ、良いお年をお迎えくださいませね。

オーラ

2005-12-28 02:03:21 | 演劇:いろいろ
過去に一度だけ、演劇人(←大げさ)っぽく舞台に立ったことがある。ときは文化祭、ところは体育館。演劇部には、けっこう入り浸っていたので(←部外者)。芝居の段取りが把握できているという理由の代役だったか。あと、同じ壇上で開祭の挨拶を(文化祭実行委員←お祭り大好き)しゃらしゃらこなす舞台度胸を買われたのだったか。。
クリスマスに放映された音楽番組を、今さら再生していて、こんなことを思い出している。

『クリスマスの約束』とは、小田和正氏の、ツアーとは別立ての年に一度のライヴのことで。ご自身以外のアーティストの歌を歌ったり、ゲストを招いてデュエットしたりなさるのらしい。今年のゲストは、SMAPの中居正広氏で。普段テレビで見る中居氏らしからぬ、緊張される姿が映しだされている。いつも緻密な計算をし、憎らしいほどの自己演出をされるというイメージがあり。にこやかに、誰よりも友好的な素振りでいて。鉄壁の鎧で身を固めているような気がし、妙に気にかけていたりする。舞台上で、どう居ればいいのかわからないと言い。武器を持っていたいのに、持てない不安を口にされる。小田氏が、武器は俺だと仰言る(←かっこええ)。彼の纏うベールを剥がしたいのだと、舞台に上げる理由を語られる。

舞台上に登場の折の中居氏は、心なしか瞳をうるませながらも。いつものような、達者なトークを展開されていたけれど。歌に入ると、そんな余裕も消え失せて。。真っ芯から出てくる歌声と。丁寧に丁寧に、差し出される綺麗な感情に。なんだか、こっちが泣き出しそうになってしまったのだけど。。人が、緊張感に昂揚する姿は、なんて美しいのだろうかと溜息する。白い衣装も相まって、天使がいたらこんな表情だろうかと思う(←かなり本気)。

話を冒頭に戻して。演劇は、幼いといってもよいころから好きだけど。演じることへの興味は、ほとんど持ったことがない。ただ、もののはずみで舞台に立ちながら。緊張することもなく型と台詞をこなす自身に、けっこう幻滅したことだけは、確かな記憶となっている。
緊張感と昂揚感から生まれるものを、オーラと呼んで良いのではないかな。こういうものを、しっかり抱え込んだまま。あらゆる表現手段で、いっぱいのなにかを伝えてくれる。そんな役者さんに、たくさん逢っていきたいと。聖夜からずっと遅れて、そっと願ってみる。

おめでとうっ

2005-12-26 04:12:00 | なんでもないこと
女子フィギュアスケートのトリノ五輪代表のこと。ここでは唐突な話題だけど。激戦との前評判につられて、昨夜から録画での観戦を決め込んでいて。今日のフリーは、たった今、観終えたところ。この全日本選手権大会の結果が、そのままオリンピックへの出場権につながるとあって。それはもう、すごい緊迫感。浅田真央選手のところだけ、どれだけ和やかだったことか。。ここでノーミスで滑りきれる精神力の強さが、一流のアスリートたるゆえんだろうけど。。皆、凄すぎる。

荒川静香選手が好き。彼女の静止の型が、ほんとに綺麗で大好き。それと、村主章枝選手はすごい。たった4分間に、こんなにもドラマティックな世界を展開できるなんて!
競技だとかを、ゆうに超越して。こどものころからずうっと積み重ねてきた、彼女たちの人生のまるごとを差し出されて。しっかりと観客の存在を意識した演技は、ずっしりと届いて。画面を通しているというのに、つい呼吸が止まる。CMがとってもありがたかったよ。これって、生で観たらどんなことになるんだろう・・・。
一気に大好きになった、ふたりが選ばれて良かった。もうひとりの安藤美姫選手と3人というと。あ、Ganaチョコレートのトリオだ(←ただのチョコ好き)。


このところ夜更かしが続いていたので、なかなか眠気がこない(笑)。忙殺のお仕事が終わったので、パソコンで遊びたいことも山ほどあるし。書きたいこともいっぱいあるし。ちょっと今、幸せな気分かも。

リトルショップ・オブ・ホラーズ 3/3

2005-12-25 23:56:44 | 演劇:2005年観劇感想編
12/21のつづき>ぼやぼやしているうちに、全公演終了しちゃったよ(汗)。
ミュージカルならではの、ファンタジーな芝居。なのに登場人物は、皆とても人間くさい。それが、背筋に冷たいものを突きつけてくる。明るく歌い語られる、将来への絶望。今の日本には存在しない、知識階級格差。教育を受けずに生きて、考えることが苦手で。報われない上昇志向。常にある、渇えた感情。がっちりはまった配役から生み出される、演技の調和は心地良い。←観劇前は、配役がベタすぎるのなんのと文句をたれてたくせにね。

上演前からふれこみのあった、映画版とは異なる結末。通常推奨される勧善懲悪が、案外舞台では無視される。これだから、舞台好きだったりするんだ。
負の心が招いた結果に、自ら始末をつけるべくオードリーIIに闘いを挑むシーモア。だけど、育ちすぎたオードリーIIには敵わず、あっけなく敗れてしまう。それはもう、あっけなく。物語の最初から、花屋の壁で律儀に時を刻み続けていた時計が。ぱたりと動きを止めて、二度と動かないのが哀しくて仕方がない。

幕を開けた三人娘が、幕を閉じるために現れる。彼女たちの歌はどこまでも、ソウルフルで。あぁ、終わってしまったのだと寂しくなる。それにしても、彼女たちのストーリテラーとしての確かさと、本編での悪ガキぶりが素敵。・・・で、小堺さん。彼女らを指して「大」「中」「小」ってひどくない? 笑っちゃったけどね。ちょっと残念だったのは、その小堺一機氏。声が、まだまだ戻っていらっしゃらないようで。。でも、素晴らしいコメディアンぶりで。ちゃんとシーモアに対する愛があったのが、このひとの持ち味だよなぁと思う。このひとと、上原多香子ちゃんの可愛いオードリーだからこそ。こんなに、かわいい物語になったんだよね。

飲み込まれてしまった、正義。シーモアの願いも、むなしく。人喰い植物は、切り分けられて。栄誉心に育(はぐく)まれて、アメリカ全土に広まっていく。
その後に描かれた、本物のラストシーン。一瞬、驚きのあまり椅子から転げ落ちるかと(←@ヨシモト)。演出の吉川徹氏が、山本耕史氏を起用した意味は、ここにあったのだと思う(←扮装のことじゃないよ、念のため)。気弱なくせに、オードリーIIに闘いを挑み。後始末を自分の手できっちりつけようとし、飲み込まれてしまったけれど。きっと残る強い意志が、いつかオードリーIIを滅ぼすのだと。彼のシーモアだからこそ、信じることができる。
人間の愚かな部分を晒すような物語の、その最後に。どうしても言わずにいられなかったことが、これならば。決着点が、希望と勇気なら。きちんと受け取っておこう、そう思う。

遅くなりましたが、やっと終了です。忙しい時期に連載などすると、こうなることはわかっていたけど。一回では、おさめたくなくて。。愛しい彼らのために通ってくださった、あなた。お付き合いいただいて、ありがとう。これからも、ずっと愛していこうねっ。

メリー・クリスマス♪

2005-12-24 02:43:41 | なんでもないこと

★★Merry X'mas♪ from Tokyo★★


ただただ仕事では、あまりに芸がないので。お花の教室に行ってみた☆
右前だけが、自作品。はっきり言って、気に入ってる。ちょっとした生活のうるおいの時間、楽しかったぁ。

明日で、東京の仕事にケリがつきます。今日は、ここまでで (ぱたっ)。

リトルショップ・オブ・ホラーズ 2/3

2005-12-21 02:54:50 | 演劇:2005年観劇感想編
12/19のつづき>
植物オタクな青年が、不思議な経緯で入手したオードリーII。萎れてしまわぬよう、あらゆる手を尽くし。「育って」と語りかける声が、とっても優しくて。。唯一、人の血がエサだと知り。自傷し、貧血になりながらも与えてしまう気持ちは。憧れのオードリーに対するよりも、ぐっと強いのかもしれない。すくすく育ち始めたオードリーIIの鉢を、しっかりかかえ。好き勝手に動く彼女(?)に振り回されながらも、ぜったいに落としてしまったりしない。後生大事に抱きしめる姿に、深い愛を感じてしまう。

ここでの、お楽しみポイントは反転にて。→両手に抱えた、かなりでかい植木鉢。だけど、右手は義手で(←精巧さに感心)。演者の山本耕史氏本人の腕は、ジャケットに隠れ。植木鉢の中のオードリーIIを、自在に操る。引っ張られた素振りで、もう片腕で宥(なだ)める動作をしつつ。体は、遅れてついていく。なおかつ、三人娘を引き連れ歌いきる。舞台の端から端まで使う、ダイナミックなパワーマイム! すげぇ(喜)。

オードリーを傷つけることしかしない恋人を、餌にして与えたのは。もちろん、彼を疎ましくおもったのだろうけれど。オードリーIIを愛しく想う気持ちも、強いのだろう。揺れ動く気持ちから、次第にはっきりしていく歌声。決意する彼の瞳の力が、眼鏡の奥で強く輝いていることに驚かされる(←猫背はなおらないのにね)。

繁忙と悔恨と邪心に、千路に乱れるシーモアを案じ。誰もいない店に戻り、オードリーIIの策略に喰われかけるオードリー。シーモアに助け出された腕のなかで、自分を餌として与えるようにと願うオードリー。オードリーIIと一緒にいれば、ずっとシーモアが愛してくれるだなんて。。彼女は、彼の愛情の深さを知っていたのだろう。理論だてて考える娘ではなかったからこその直感で。彼に抱かれるオードリーの純白の夜着が、ウェディングドレスに見えて。唯一の夢の「お嫁さん」になれなかった人生に、哀しくなってしまう。シーモアは、涙をぽろぽろこぼして。いちばん好きな娘を、いちばん好きな植物に同化をさせる。。
オードリー、きっと半分くらい溶けてたよね(←苦手というわりに、こぉゆうことを考える)。

タイトル変更。なんだか迷走してるので、仕切りなおします。

リトルショップ・オブ・ホラーズ 1/3

2005-12-19 01:19:07 | 演劇:2005年観劇感想編
ブロードウェイミュージカル 『 LITTLE SHOP OF HORRORS 』
劇場:シアターBRAVA!


正直、この演目を観に行く日がくるとは思わなかった。オフオフブロードウェイから、オンに進出し。日本でも役者を替えながら再演を重ね、これで5度めの上演なのらしい。わかりやすくて楽しかろうと、入門編として人に薦めたことがあるが。自分の目で確かめたのは、初めて。極めて上質なミュージカルだと思う。何度も再演が続くということが、証拠なのだと。改めて思う。公演予告を→こちらに。あーら、気乗りしてないよ(汗)。

舞台の両脇の、平衡感覚を狂わせる歪んだ建物に。くすんでしまった、パステルカラーに。異空間に踏み込んだのだと知らされる。暗闇に舞い散る花びら(?)のなか。重厚に響き渡る台詞が、オープニングを告げる。浦島りんこ氏、Tina氏、尾藤桃子氏の3名が。華やいだ衣装で、プロローグを歌い上げる。豊かな声量に、一気に物語へと引き込まれていく。

スラム街の、寂(さ)びれた花屋。9時開店から、新聞を読みふける店主。店に響くのは、粗忽な店員が裏で物を壊す音だけ。看板娘は、13時を過ぎても出勤してこない。
山本耕史氏の演じる、店員のシーモアは。気弱だけども、ずっと懸命に自分の人生と向き合っている。彼が惹かれる、上原多香子氏の演じるオードリーは。バービー人形のように、か細くて。どんな衣装も着こなしてしまえるほど可愛いのに。自分が愛されるに足りないと、思い続けている。彼らの店主の、小堺一機氏は。儲け話に都合よく乗っかっていくしたたかさを持っているけれど、基本は善人だ。なのに、こんなところにも悪意は入り込む。

店で育てはじめ、巨大化しつつある花のオードリーIIが。オードリーを苦しめる恋人を、餌としてせがみ。シーモアが、殺意を孵化させていく場面が圧巻。
毒々しい花と、ぴったり填まった和田アキ子氏の声の迫力と。それに対峙して、一切ひけをとらない山本氏の歌い合わせ。録音の不自然さを感じない音響と、掛け合いの間合いが生む臨場感は。今回堪能したかったものの最たるもので。目標達成。大満足。

あと。ぐっとくるラストシーンと、ぶっとびのラストシーン(←ん?)を語りたいので続けます。

<余談> オープニング、重々しく開幕を告げたのは・・・鹿賀丈史氏で。一瞬、寝不足による幻を聴いたかと。なんでー!? くらいのイキオイで、かろうじて保っていた理性がショートしたよ。オードリーの以前の職場が、ナイトクラブ「どん底」に至っては。一瞬、ここはロンドンなのかと(←アメリカのスキッド・ロウ)。あげく、ここは日生劇場かと(←間違いなくBRAVA!)。頼む。。『ジキル&ハイド』の再観劇、やっと諦めたんやから刺激せんといて。。そぉいえば、『料理の鉄人』のオープニングが好きやったなぁ(惚←どっちにでも読んで:笑)。