持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

ラスト・ファイブ・イアーズ 5/5

2005-08-13 23:59:01 | 演劇:2005年観劇感想編
8/12のつづき>
もうひとりの主演の山本耕史氏は。それはそれは、いろいろな技を繰り出してくる。
キーボードを叩き、ペンをもて遊び、気楽に水を飲む。恋人と暮らす部屋の鍵を、楽しげにいじり。恋人に逢う前には、うきうきと鏡の前で身だしなみを整える。そんな。さりげない、敷居の低い芝居に安心している間に。いつしか、完全に取り込まれていって。浮気心を発見されたバツの悪さに同調し。身勝手に苛つく感情にすら共感してしまう。

山本氏は、年齢にしては極度に舞台経験年数が長く(初舞台は1982年?)。全身の末端にまで神経の行き届いた動きをこなし。歌の中にも、確実に気持ちを織り込んでくる。気持ちがジェイミーに共鳴するから、終盤は彼の哀しみに引きずられていく。
Nao氏とのあいだに、歴然とある経験値の落差。そこからノイズを発信することのないように、気遣う場面を何度もみた。そうすると。舞台上に独りになり、解き放たれた本来の伸びやかな演技とに落差が生まれ。キャシーに対する愛が薄く感じ取られてしまったのは、とても残念なこと。キャシーに逢うために時間空間を渡ったシーンは素敵だった。

なによりバランスを重要視する彼は。演劇ファンとしては、たいそう好ましいものだけれど。彼のファンとしては、どうにも物足りない。そういえば。ハプニングを芝居に組み込んでしまえる、しぶとさも愛しているんだけれど。
でも。そんな気遣いなど不要な、かつ、そんな余裕など持てないような。ハプニングなんて、易々と起こり得ない。そういう舞台の上に、彼をおいてみたい。そういう意味では『ファントム・ペイン(2001年)』は良かったなぁ。演技巧者の中で、かっちりとした駆け引きをしつつ細心でもって芝居をする。最高値を楽しむこの人が観たいと、願い続けている。

最後に。次回、この演目が観られるのなら。こんなキャサリンがよい。
女優になることに貪欲で。ジェイミーが有頂天になるほどキュートで。女優になれると、彼が信じ続けられるほど華やかな。なのに。ジェイミーだけが大好きで。いっぱい構ってもらわないと寂しくて。追い詰めて、追い詰められて。余裕なんてどこにも無くて。別れるとなったら焦がれて伏してしまう。そんなキャシー。

長くなりました。おつきあいくださった方へ、心からありがとう。愛してるっ(←迷惑?)