持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

ラヴ・レターズ 2/2

2006-06-22 01:55:47 | 演劇:2006年観劇感想編
6/21の続き>
文通の終わりは、メリッサから。。たぶん、彼女は疲れてしまったのだ。彼女は、ずぅっと自分自身と向き合っていた。ちゃんとしようとして、叶わなくて。甘えたくて、許されなくて。不器用な自分を、もてあまして。もう全部を、やめてしまったのだ。

アンディが、したためる最後の手紙。。彼は、メリッサから得がたい「友情」をもらっていたと書く。・・・やっぱりあかんなぁ、アンディは。こんな色っぽいメリッサを見てて、朴念仁にも程がある。メリッサは、どの男性に対しても友情なんてあげたことはなかったし。彼女にとってのアンディは、まぎれもなく男性だった。そして、書き進むうちに、アンディは自分の感情を見つけ出す。自分は、決して誰にも向けることのない深い愛を、彼女に対して持っていたことを。これを語る彼の声は、絞られて暗くなっていく照明とともに、遠くなっていく。小さく囁くような、それでもちゃんと届く佐々木氏の声は。本当に、彼が遠ざかってしいそうで。絶望で、彼までも、儚くなってしまいそうで。留めたくて、手を伸ばしたくなる。

今回は、演者によって全く異なる印象になる、二人芝居の面白さを堪能。前回の観劇感想は→こちらに。でも、欲を言うならば。組み合わせるのは、同じ空気感をもつ役者さんたちが良い。アンディとメリッサは、たまたまの出会いで交流を暖め合うには性格が違いすぎる。ここまで続いたのは、生まれ育った場所と時間が同じだったから。
佐々木蔵之介氏はいうまでもなく(←大贔屓)、中嶋朋子氏もすばらしい技量のある役者さんだったけれど。ふたりの間の絆は、けっこう薄かった。劇の間中に引き合って求め合っていればこそのラストシーンを観るために、必要なものがあるとするならば。それは、近しい年齢であるとか、バックグラウンドが同じであるとか、なのかと思う。
(なんのかんの言いつつ、ずっと期待してるのは。山本耕史氏と篠原涼子氏なんだけど♪)

それにしても、カーテンコールの蔵りんは(←結局これ)。なんであんなにキュート(←39歳の素敵なお兄様です)なんだかなっ。中嶋さんを軽く引き寄せてのハグや、ハケるときに手招きする仕草やら。あんっなに切ない終わり方をしたくせにー。ちくしょ(←なんか悔しい)。
本来、出張中のはずで、泣く泣く諦めた演目。それが、突如としてキャンセルになり、行けることになり。だけども、即日完売済みのチケット。入手するまでに、けっこう苦労したよ! だけど、こういう演目で。ド平日にもかかわらず満員御礼にしてしまえる関西の観劇人が、誇らしく思えたり。さすがに、圧倒的に一人観劇が多かったよね。

ラヴ・レターズ 1/2

2006-06-21 23:40:21 | 演劇:2006年観劇感想編
『ラヴ・レターズ』 LOVE LETTERS
劇場:ドラマシティ  時間:3時間(休憩15分含)
期間:2006/6/21
作:A.R.ガーニー
演出:青井陽治
出演:佐々木蔵之介,中嶋朋子


舞台中央の丸いテーブルに水差しが、脇にはグラスが2つ。2脚の椅子は客席に向いていて、照明が、この場だけを柔らかく浮かびあがらせる。静かに現われる主役のふたりは、静かに椅子に腰掛けて。視線は常に、本の上におき。最初から最後まで、立ち上がることも無く、お互い顔を見合わせることも無く。声色だけを武器に、朗読劇が開幕する。うわ。前にも同じこと書いてるなぁ(汗)。前回の観劇感想が→こちらに。

幼いアンディは、ご近所のメリッサのお誕生会におよばれしたらしく。主催者であった彼女の母親に、お礼状をしたためているらしい。こどもらしい語り口で読み上げられるその手紙は、メリッサの元に届き。少しくだけた口調で戻ってくる返信に、返信をするところから。長い長い、50年間にもわたる文通が始まる。どうやらアンディは、メリッサとかかわると羽目をはずしてしまうらしく。それは厳格な家庭には由々しき問題で。あっという間に引き離されてしまうのに、それでも、なぜだか文通は続く(←主に筆まめなアンディのおかげで)。

メリッサに、文章と本当の姿は違っていると指摘されても。文章の中に描く自分の姿が、本当の自分なのだと。微動だにせず手紙を読み上げる佐々木氏のアンディは、寄宿舎の部屋の片隅で夢中になって机に向かう姿を思わせてくれる。不自由な日常のなかで、奔放なメリッサの存在が、どれだけ輝いていて、どれほど重要な価値があるのかを教えてくれる。

硬い文章は嫌、長い手紙は嫌い。電話がいい、逢いたいと。思いのたけを綴る中島氏のメリッサは、佐々木氏とは対照的に、手足をせわしなく動かし続ける。その落ち着きの無さは、文章にあらわれるままの、日常に焦れる姿で。グラスに手をのばして水を飲む仕草には、ボーイフレンドたちを、ずいぶん魅了しているのだろうと思わせたりもしてくれる。

DRACULA

2006-04-10 03:05:58 | 演劇:2006年観劇感想編
Studio Life公演 『DRACURA ドラキュラ』 Doom Version
劇場:シアター・ドラマシティ (3時間5分:休憩15分)     
原作:ブラム・ストーカー
脚本/演出:倉田淳
出演:岩崎大,姜暢雄,笠原浩夫,山本芳樹,曽世海児,及川健,河内喜一郎 他


吸血鬼の存在を、嫌い、憎む人間ども。果てなく続く生を、不躾に乱す人間ども。そのくせに、あっさりと老いさらばえて、生をまっとうして逝く人間ども。交差する、憧れと嫉妬。
まだ自らに、人としての熱量が残っていたころに。出会った少年の面影を濃く持つジョナサンを、ドラキュラ伯爵は城へ呼びつける。ふたりの間に流れる、ミステリアスな静かな時間。少しづつ、露(あら)わになる綻び。地所を移すとの契約を、盾にとる軟禁。ジョナサンへの仕打ちは、冷えたものでありながら。執着は、深く。そして、いつしか熱を帯びてくる。

決死の覚悟で、逃亡を成功させながら。吸血鬼の存在を、確信し。滅ぼすために立ち上がる有志たちに混じって、彼は再び城に向かう。無傷ではいられない。そして、毒牙にかかったのは。彼の愛する妻、ミナ。。ドラキュラ伯爵は、ミナに自身の血を与える。ただ、死にゆかせるのではなく。彼女を吸血鬼とするために。ジョナサンが、愛する女性に血を吸われて仲間となるためだけに。。なんて手の込んだ、まだるっこしいシナリオ。急ぐ必要など、どこにもない。なぜなら、彼の時間は永遠なのだから。

永く生きる吸血鬼に、死を与えることを容易ではなく。おぞましい血に汚されたミナが、ジョナサンに懇願する。愛するなら、手にかけて死なせて欲しいと(←こんな極限でもでも、自殺を許さない教えはつらい)。全力でジョナサンが向かう相手は、ドラキュラ伯爵。そして、彼の持つ木の杭に、伯爵自ら胸を打ちつけるという結末が。。。極限で、愛するひとの手にかかりたいと願うのは。誰しも、同じなのだ。甘やかに、「ペンシルヴァニアに、ようこそ」と。追ってきてくれたことが嬉しいと、最大限の愛の告白を耳元で囁いて。地に倒れ伏す。

数年後。ミナは、美しく健康で。息子は、とても可愛く元気でいる。過去の悪夢など忘れ去り、満喫する穏やかな生活。ラストシーンを、隠します。→息子が、ジョナサンにじゃれついている。ごく日常の光景が、その首筋に牙を立てることで崩れ落ちる。・・・ドラキュラは、諦めたのではなかった。滅びたのでもなかった。ミナの中の血を、一時沈め。息子へと引き継がせたのだ。時を、「少しだけ」待つことにしたのだ。さぁ、おいで。こんどこそ、私のもとへ。

一度は観たいと願っていた、Studeio Life公演。『白夜行』のときは、ぜひとも! と燃えたのに。。今回、いっきに2演目。たまたまだけど、『ヴァンパイア・レジェンド』で観た山本氏・及川氏(←ミナ役)がメインにいらしてラッキー。・・・とか、言って。山本芳樹さんは、(色香のカケラもない)誰やねんってくらいの芝居をされてて、幕間まで気づかないし(←席が遠いせいにしておこう:笑)。姜氏は、相変わらずカッコ良し。笠原氏が、お初で。この人のドラキュラって、美しいだろうと思わせる。あ、そのときは。ジョナサンを、ぜひ芳樹さんで(←おとといの余韻が消えないらしい)。見目のよい男性のみで、演じられる耽美な世界を満喫。カーテンコールに、ほんの少しだけ残される芝居が。印象づいて、次が観たくなる。
次公演は、『トーマの心臓』。どぉしよぉっかなっー。昔、オスカーを愛してたからなぁ。。

ヴァンパイア・レジェンド

2006-04-08 02:36:18 | 演劇:2006年観劇感想編
Studio Life公演 『ヴァンパイア・レジェンド』 Vice Version
劇場:シアター・ドラマシティ (2時間10分)
原作:ジョセフ・シェリダン・レ・ファーニュ 『カミーラ』
脚本/演出:倉田淳
出演:及川健,山本芳樹,林勇輔,舟見和利,青木隆敏,石飛幸治 他


清楚な佇まいで、静かに語り始めたのは。中世のヨーロッパ、田舎の城に住まうジョージ。母と数名の従者と、ひっそり暮らす18歳の青年は、まだ少年というほどの幼さを残す。この長閑(のどか)な生活に飛び込んできたのは、旅の途中の事故で意識を失ったゼーリヒ。初めてできた同い年の友人は、得がたいもので。彼の妖しい色香に、心が乱れはじめる。

舞台美術の、あまりの質素さに驚く。背後に、城壁のような装置があるのみで。寝室を表わすときには、ベッドが出現し。居間を表わすときには、クッションやワゴンが出てくる。人の手で易々と運べるものだけで成り立つ、シンプルな舞台は好き(←豪華なのも好きなくせに:笑)。セリフの一言の余白に、いろいろな情景が想像できるところが好き。

吸血鬼・ゼーリヒは。生き生きと動けば、年若い青年なのに。遥か昔の記憶を語れば、老獪ともいえる表情を浮かべ。性別にすら捉われることのなくなった、長い長い生命を見せてくる。闇の中での目撃者に、幽霊のようだと称される姿は軽やかで。魅惑的で、吸引される。ジョージは、彼の謎めいた部分を不快に思い、とまどいを見せつつも惹かれていく。
ゼーリヒ役をこなされる及川氏の演技は、外部公演で何度か観たけれど。ジョージ役の山本氏とのバランスが、とても良くて。あぁ、やっぱり劇団員さんなのだなぁ。年齢層がこんなに幅広だとは、つゆ知らず。楚々としたエリザベート奥様、ちょっと惚れる(笑)。

ドラキュラは、獲物を誘惑する。純朴なジョージを魅了するなど、お手のもの。ただ、いつもと違うのは。ゼーリヒが、ジョージに惹かれてしまうこと。純粋な好意だけを、与えてくれる彼。短かければ1週間、長くても2週間。ドラキュラが、初めて毒牙にかけてから、人が亡くなるまでの期間。なのにジョージは、3週間たっても生きている。

母の行動力が、息子を救う。けれど。。ラストシーンを隠します。反転にて→愛しく想うゼーリヒの最期を語り終えたジョージが、ひとつにまとめていた長髪をほぐす。ここにいるのは、もう、ただの好青年ではなく。その仕草は色香に満ちて。振り返る場所には、待ちかねたゼーリヒがいて。彼を、そっと迎え入れる。ほの蒼い月明かりの下で、互いの髪に指を挿し入れて、強く抱きあって、幾度も交わされる濃密なキスに。ふたりの愛の、永続を想う。

カーテンコール。いきなり始まる、写真撮影。見渡せば、周りのお嬢さんたちは、当然の完全装備で。フラッシュが華やかやぁ、、とかぼけっとしてる場合ではないな。とりあえず、ケータイを取り出してみる(←カメラがついてて良かった)。今回、なんのラッキーなんだかの最前列。いや、ほんと申し訳ない気分。。慌てて撮った画像はね、明らかに慣れへんことをしたってカンジで。ボケボケやったわぁ(←なんの報告?)。

月影十番勝負 約束

2006-03-20 00:14:15 | 演劇:2006年観劇感想編
月影十番勝負 第十番 サソリックス『約 yakusoku 束』
劇場:IMPホール
作:千葉雅子
演出:池田成志
出演:高田聖子,木野花,千葉雅子,伊勢志摩,池谷のぶえ,加藤啓,池田成志


月影十番勝負。高田氏が年に一度、劇団☆新感線から離れ。彼女の好む作家や演出家や役者を集め、上演されてきた芝居の。今年は、ついにファイナル公演。
今回は女囚物。精神異常者で、サソリのような殺人者・奈美子。捕われて改心し、社会に戻り。それでも、消せない過去に追われて。再び手を血に染めて。。

歪(ひず)んだところに居ると、人の心は少しづつ変形する。人格を正しく保つ、ということに。ずいぶんな精神力を必要とするくらい、人は弱い。もともと動物の世界は弱肉強食で、喰われないために死をかけて闘うのが自然の営みで。そして。人は畜生であってはならないと、この手段を禁じていて。だから、激情は理性で抑えることが正しいことなのだろう。
だけど。抑えられないほどの出来事や、理不尽に抑え過ぎることが。「正しい」というところから、遠ざからせる。それでも。なにが正しいのかを、教えられずに育ってさえも。「正しくある」方に向かおうとするのも、きっとほんとう。

「ふつう」に憧れて、やっと叶うのに。幸せをかみ締める間もなく、追ってくる者がある。こういう妄執を繋がせるほど、奈美子は艶っぽい。艶をかき消して、硬質に生きてみても。その内側には、満ちているものがありそうで。叩き壊して、あばいてみたくなるような女。。逃れるために、人の身体を傷つけて。そのたび、自身の心を傷つけて。
ラストを反転にて→今まで、激情のままに人を切ってきたからと。あっさり、自分の指を切り落としてしまう奈美子は。身体の痛みのほうが、心の痛みより軽いみたいだ。
「次に生まれてくるときには。誰にでも抱かれるおんなになる」と言った奈美子が、哀しい。次に生まれてくるときは。誰にも追いつめられない女の子に、生まれてきてほしい。


客席を使う演出で。役者さんが近くを通りすぎるのは、けっこう至福。そこで立ち止まられて、演技をされたりしたら。それが、ごひいきの役者さんだったりしたら。きっぱりはっきり、理性が吹っ飛ぶ。・・・あろうことか、思わず目をそらしてしまったよ。なるしー!(←池田氏愛称) こころの準備ができてなかったんだよ! あ、もったいない(泣)。

リ・ユニオン

2006-03-01 01:58:06 | 演劇:2006年観劇感想編
Axleイベント 『Re union』 ~リ・ユニオン~
劇場:シアターBRAVA!
出演:柄谷吾史,田中照人,斎藤洋一郎,斎藤准一郎,吉谷光太郎,郷本直也 他


出演表の順は、チラシどおりに。
昨年、がっつりハマってしまった(←しまった?)吉谷さん。もとい、アクサルの。次回公演のプレビューイベントがあるというので、お出かけ。

オープニングは、ダンスから。『BANANA FISH』のときには、狭い舞台で密集して踊る彼らに、ぶつかりやしないかとハラハラしていたのだけど。←けっこうセットにぶつかって壊していたんだとか@トーク。それじゃ、対人接触なんて当然ってことだな?セットなしのBRAVA!の舞台は、そりゃあ広々としていて。のびのび踊るイイ男どもを堪能。そいでもって、ダンスはやっぱり斎藤ツインズなのだなぁ。もう、惹きつけられるの一言で。お兄ちゃん(←たぶん)は、しなやかだねぇ(←友、絶賛)。

アクサルヒストリーとして、大スクリーンに映し出されるのは。これまでの舞台(『11人いる!』,『最遊記』,『BANANA FISH』)の名場面や、出演者のインタビュー。これは、ファンにはたまらないよねぇ。新参者としては、素顔とともに表示される名前が嬉しい。よし、これで完全一致。←いままで、名前が役としか一致していなかったヤツ。

プレビューとして、繰り広げられる『最遊記』の。殺陣シーンの、見ごたえのあること!
あとは、なかなかにベタな笑いの掛け合い(←大好物)のトーク大会あり。客席とのジャンケン大会あり。次回作の配役発表をかねた、決意表明と。←そこここで、「ボケ」は欠かせないらしい.。やっぱ関西の劇団やな・・・(笑)。なんとも贅沢な1時間を、ごちそうさま。

こうして、無料で楽しませていただいたので。告知、告知♪ 長くなったので別立てで。

ラブハンドル

2006-02-28 01:39:23 | 演劇:2006年観劇感想編
パルコ + サードステージ Presents 『ラブ ハンドル』
作:中谷まゆみ
演出:板垣恭一
出演:原田泰造,富田靖子,瀬川亮,長野里美,小須田康人,石黒賢


千鶴は、運命の出会いを信じた。華々しい経歴のすべて清算し、バツイチで駆け出しの弁護士だった、勝のもとに飛び込んだ。いまでは勝は、すっかり一人前になり。千鶴は、彼の恋人で秘書で家族だ。ふたりでいられて、幸せなんだから万事良しと考える男と。幸せだけど、結婚がしたい! と願う女は。ずうっと平行線のまま、10年もの日々を過ごしてきた。

勝には、姉夫婦(←観劇お目当ての二人♪)がいて。お姉ちゃんが、夫と離婚すると息まいている。「自分に相談もなしに会社を辞めた」し、「浮気している(←断言)」し、もともと変人だし。こんなことを、悪し様に語るあいだに。彼女の夫は、いつも律儀に妻を迎えにくる。妻は、いつも手を引かれて帰っていく。←里美ちゃん、かわえぇなぁ。
ある日の姉は、あきらかに様子がおかしい。迎えにきた夫に怯えている。姉思いの弟が、夫を遠ざけようとする。けれど、夫は引かない。彼が勤めをやめたのは、彼女の故郷に一緒に帰るため。彼女は、病気で。病名は、若年性アルツハイマー。。なぜ教えないのかと責める弟に、彼が言い放つ。「彼女の人生の、責任を持つ権利があるのは。弟である君でなく、夫である僕だ」と。←小須ちゃん、かっこえぇ・・・。こともなげに、続ける。「彼女は天然で、わたしは変人だ。負ける気がしない」←お二方、説得力がありすぎです(笑)。

結婚をしたいか、と聞かれると。強がりだとかでなく、前向きにイヤだと思う。そう思ってしまう自分自身に、軽く幻滅する(←人としてどうよ? ってね)。だから、千鶴の結婚にかけるパワーを素敵だと思う。それでも、逃げ腰でいる勝のほうに共感してしまう。。原田氏の、技巧をこらさない、どストレートな演技は好きだな。
最後まで一緒に居る権利。そうか、結婚ってそういうもんか。好きなひとが、どこかで怪我をする。病院は、夫はさがしても恋人は探さない。

あのひとが、好きで好きで。想うだけでドキドキできた高校時代。誰を傷つけても、自分が傷だらけになっても、手に入れたい。。こういう感情は、いつの間にか。ゆっくり、ゆっくりと。気がついたら、ひどく磨り減っていて。人と深く関わずにすむ方法を、見つけてて。だって、他人を傷つけたくはない。自分も傷つきたくはない。
「ラブハンドル」というのは、ハラまわりの贅肉のことらしい(←きっついタイトルやな・・・)。無駄に体力を消費していた、あの頃。加減を覚えてしまった、いまの体。これが大人になることだとしても。甘やかしすぎて、余計なモノを身にまとって生きることもないんだよな。

マクベス 2/2

2006-02-24 01:21:06 | 演劇:2006年観劇感想編
2/20のつづき>
好きで好きで、ただそれだけの思いで通った演目。『ヤマトタケル』を、懐かしく想う。格段に成熟した二人は、本当に見ごたえがある。

市川右近丈は、威風堂々とした立ち居をもつ役者さんで。かしづく家臣を従える姿を想い浮かべることは、たやすい。その彼が、国王の器ではないという姿を見せる。妻に、そそのかされるように始めてしまった国盗り。切望の王座を手にはしたものの、悪になりきることもできず思い病む卑小な姿。強固な意志があれば、流れを止めることもできたであろうに。退路を断たれ、前に進むしかない。破滅へ、望まず追いやられていく切迫感。

市川笑也丈の、マクベス夫人は。夫をそそのかす悪女でなくて。最初から最後まで、貞節な妻だった。←この解釈は新鮮。国盗りは、そもそも夫が思いついたこと。おそらく、この夫が持った初めての野心。彼の小心さに、焦れる日もあっただろう彼女は。愛すればこそ、望みを叶えるべく。すべてはそのためだけに。気弱になる夫を叱咤し、魅惑の囁きを繰り返す。そして。殺事が成し遂げられたあと、罪への意識にさいなまれ。夫の、同じ苦しみに同調し。心を壊す。眠れない夫を、眠ることなく見つめ続け。夢遊病を患い、とうとう自ら命を断ってしまう。。多分、夫人が何より悔いたのは。夫を残して死を選んでしまったこと。良心の呵責が、夫への愛に負けた瞬間があった。それを彼女は、激しく悔いたことだろう。

マクベスは、それらを知るから妻を責めない。独りで、地位を守りとおす道をとる。自業自得な最期を迎え、屍となって舞台に居る彼からは、すべての気が失われ。無の表情は、首がもはやそこにないのだと思わせる。
こんなふうに夫の体が朽ちたとき、夫人は黄泉から現れる。きっと、死してもなおずっと。夫の姿を、心配に見守っていたにちがいない。ほころびのない傘をさしかけて、優しく手をとり。慈しみの表情を浮かべ、立ち上がらせて。向かうは、阿鼻叫喚の地獄。

地獄への道行きだというのに。おふたりの空気に魅了される。殊更に近づくわけでなくとも、生まれる空気がある。魂を添わせて、手を取り合うならば。その空気は、濃密さを増す。これは、役者のおふたりが過ごしてきた時間を抜きには考えられない。柔らかな親愛の情を漂わせる二人を、静かに静かに見送る。彼らが去っても、板の上には残り香の消えることはなく。見えないそれに包まれたく見つめていると、優しい気持ちが満ちてくる。

だのに。魔女は。たゆたう空気を、笹(←ずっと象徴的に使われていた)をもって振り払う。それは、また惨劇を繰り返すことを暗示するかのようで。左右に大きく払われて、何もなくなってしまった舞台を、見つめるのは寂しい。。
特筆は。出ずっぱりの、魔女たち。傾いたきりの体、上げたきりの腕。からくり人形で居続けた彼女たちが、舞台を完成させてくれていた。

マクベス 1/2

2006-02-20 00:37:38 | 演劇:2006年観劇感想編
りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ 『マクベス』
劇場:大槻能楽堂
作:ウィリアム・シェイクスピア
翻訳:松岡和子
構成/演出:栗田芳宏
衣裳:時広真吾
出演:市川右近,市川笑也, 菅生隆之,谷田歩,市川喜之助,藤間紫 他


幕開けに現れたのは、笹を掲げもつ3人の童女。これが魔女だと思えるほどには、マクベスは見ている。乾いた歯車の音響と、いびつな所作のすべては、からくり人形のそれで。西洋風のおどろおどろしさでなく、厳粛な恐れを伝えてくる。彼女らの、主(あるじ)なのであろう威厳を示すヘカテは。老女の姿でありながら、人としての空気をもたず。マクベス夫妻が現れるにあたって、ようやく舞台から生気が流れてくる。

数あるシェイクスピアの作品で、マクベスから感じる異国性は強く。親指がチクチクするから、何かが起ころうとしているだとか。心の痛みは、すべてをぶちまけ叫ぶことで治めるだとか。感情垂れ流しの台詞の数々は、耳障りで仕方がない。そんなこんなの拒否本能で、ふと眠気が襲うころに耳に飛び込んでくる、「起きろーーっ」という名言(←大間違い)。今回も、しっかりお世話になり(←恒例なのかよ)。。

大槻能楽堂では、狂言を楽しんだことがある。ここに立つ、歌舞伎役者たちの芝居を楽しんだことがある。入場するなり、これらの記憶に支配され。果たして、どんな舞台が繰り広げられるのかと。どんどんと、緊張の度合いが高くなる。
揺らぎのある、絞りきった照明。崩しをかけた、それでも本格的な和装。能らしい登場ながら、現代的かつクラッシックな台詞まわし。様式美とは、感情を内へ内へと追い込む性質の伝統芸能。これを保ったまま、外へ外へ向かう海外芸術へ。美しく融合した舞台。

解釈が斬新だったと思う。どこがといえば、マクベス夫人が怖くない(←稚拙な表現だね)。観劇の目的の大半は、笑也くんだったので、これは嬉しい。悪役を観たい気持ちより、観たくない気持ちが大きかったことに、いまさら気づく。
役者さんのことを書きたいので、久しぶりに続けます。できるだけ早めに(汗)。

クラウディアからの手紙 3/3

2006-02-17 02:14:48 | 演劇:2006年観劇感想編
2/17のつづき>
祖国を想う気持ちに迷いはないのに、記憶は薄れゆくのだと。諦めるように呟いた彼が。突然、実現可能になった帰国に迷う。追憶と現在のはざまで、気持ちを引き裂かれ、揺れに揺れたあと。板切れを家に持ち込んで、「ふたりの棺おけをつくろう」と、クラウディアに言う。愛する人への、究極のプロポーズ。これを断る言葉なんて、知りたくもない。のに。。

クラウディア役の斎藤由貴氏は、底抜けな気丈さと可愛げをもっていらして。スカーフで顔を覆って泣き顔を隠し。身を切る別れの辛さより、彼のこれから先の幸福を願う姿を見せ。失明した片目での運転で、事故などおこしてはいけないと。最後の駅まで、しっかりと見送る。彼女のまっすぐの強さが、羨ましくもあり恨めしくもある。このひとは、きっと。ただ、ひたすら彼のために動けた自身を誇りに思い。この先、すごく暖かい気持ちを、胸に大事に持って生きていくことができるのだろう。

スクリーンに、本物の再会の映像が流れる。懐かしい故郷の列車のホームで、涙ながらに妻にキスの雨を降らせる夫の姿。。あぁ、そうか。ここで、思い知らされる。この人は。この妻のためだけに、あの生き地獄を生き抜いてきたのだったと。生きるための念は、久子のためだけにあったのだ。クラウディアは、それを誰より(本人よりも)よく理解していたのだと。クラウディアは言った。「私たちは、未来についてだけは語ることがなかった」と。それが、すべて。やはり映しだされた、本物のクラウディアの肖像は。見も知らぬ女性のために生きている彼を、愛したのは。決して寂しさからではないことも、知らせてくれる。

ふたりの女性からの、無償の愛を受けるのに。佐々木蔵ノ介氏の蜂谷は、ふさわしい男性だった。どちらへの愛も、偽りのかけらもなくて、選べないだろうに。どちらも尊重し、きちんと選んだ彼も、やはりすごい人なのだ。
運命に翻弄されるなかに、刻まれた真実の愛。人が人を愛することの奥深さを、しみじみと考えさせられる。辛すぎて、泣くこともできなかった本編。カーテンコールで思い出したように、号泣。おしまいのコールで。ぴょんと跳んじゃった蔵りんに。ようよう、現実復帰。

これは、美談じゃない。人権の踏みにじってしまう戦争というものが、産み落とした悲談のひとつ。けれど。役者さんの、凄烈に生きられたお三方への敬意が。作品を美しくしてた。