持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

ウォーターズ

2006-03-31 01:15:06 | 映画
監督:西村了
脚本:岡田俊平
出演:小栗旬,成海璃子,真中瞳,山口紗弥加,須賀貴匡,葛山信吾,原田芳雄 他


出演者表は、気のむくままに列記。
詐欺師が、新規開店にむけてホストを募集している。バス(!)で初出勤してきた、ワケありの男どもが店で見つけたのは、オーナーの孫娘。オーナーも、改装費用を騙し取られたのだという。この孫娘が、ぐっと可愛くて、白雪姫みたいで。それでもって、姫は。初対面の男どもを、7人のドアーフ(小人)と呼び。男どもは、喜々と可愛がってしまうのだな。

もっと、あっぱっぱーな映画だと思ってた(←失礼)。いや、ある意味、あっぱっぱーだったかな(←さらに失礼)。元路上パフォーマー。元銀行マン。元板前。元・・・だらけの、寄せ集めで。とりあえず、特技を生かして開店してみるものの。ホストの経験なんぞ、これっぽっちもないもんだから(←ひとりを除いては)。そりゃあ接客はお粗末だ。
だけど。姫を助けるために、一丸となって。姫のために、爆走しはじめて。。俳優さんが、皆イケてる男たちだから。その気な姿を見せられたら、行ってみたいかも、ってクラブになる。おいおい、とツッコミたい歯の浮くセリフも、直球すぎる態度も。ホットでウェットなヤツらが、本気で発すれば。まぁ騙されてやるか、って気にも、ちょっとなる(←ちょっとだけな:笑)。

7人の中では。葛山氏が、かなり年上なのだろうに。皆のなかに、しっかり馴染んでいく姿に。あらためて、仲間の良さを想う。←葛山氏の、ピアノパフォーマンスが楽しい。小栗氏のボトルパフォーマンスも、すごい。あ、彼には。くわえた煙草を、ぜひ吸ってほしかった。
仲間を失う寂しさ。もともと、持たない身軽さ。得ることの幸せ。あれこれを、あぶりだして。物語は終わる(←たぶん)。ここからはネタバレなので、反転にて→成海ちゃんには、すっかり騙されたよ。全速力で走るシーンに、やっと気づいて。それでも一瞬、身体を心配してしまった。そりゃあ、ドアーホたちが騙されても、仕方がないさ。そんでもって、芳雄さんのタヌキっぷりには、もうもう大満足(←好きー♪)。

このところ、ときどき仕事が早く終わる。と言っても、舞台の飛び込み観劇には間に合わない。。映画なら、レイトショーに間に合うんだね。映画館にひとりで入るのって、けっこう勇気が要るのだけど。10分後に、ホテルの部屋でへばってることが嫌で。なにより、立て看板の小栗君の、にっこりに惹かれて寄ってくことに。改めて、しみじみ思うけど。映画って、カメラとか音とかの力が。やっぱり、すんげぇ強いよねぇ。。

基礎知識の無いままに、飛び込んだので。蓮さん(←それは、ドラマ『夜王』の役名)が登場なさって、びっくり。この際、修さん@『夜王』にも登場いただければ嬉しいなんて、よこしまなことを考えたり(←や、最終回以外も観ましたよ)。
いや、目的はあくまで小栗くんだけど。ここを語り始めると長くなるので(笑)、それはまた。

黄泉がえり

2005-09-20 23:50:58 | 映画
特別ロードショー 『黄泉がえり Yomigaeri』
監督:塩田明彦
原作:梶尾真治
脚本:犬童一心,斉藤ひろし,塩田明彦
音楽:千住明
出演:草なぎ剛,竹内結子,石田ゆり子,哀川翔,柴咲コウ,田中邦衛 他


逢いたいひとが居ると思った。さようならを言うのが悲しくて、言わずに別れたら。そのまま、知らないところで亡くなってしまったひと。もう二十年も前なのに。いちばん最初に、そのひとを想い出したことに。驚いて泣けた。

突然出現したクレーター。解析できない磁気異常。その境界線内にだけ発生する奇妙な現象、「黄泉がえり」。亡くなってしまった愛する人に、もう一度逢いたいという強い願い。それを受け入れた死者が、甦(よみがえ)る。

なのに。なぜか、葵が願う俊介はよみがえらなくて。葵を愛する平太は、恋敵をよみがえらせるために奔走する。それでも俊介はよみがえらなくて。。葵に逢いたくて、葵をよみがえらせたのは平太。その気持ちにこたえて、平太に逢いたかったのは葵。死者が現存できる期間は短くて。ようやく想いが通じあい、抱きしめる瞬間にやってくる消滅のとき。

愛するパートナーを失って、歌えなくなったシンガーは。よみがえった彼とともに、ライブをひらく。ふたたび、パートナーが消えてしまうことを知りながら。彼を背に感じて、歌い続けるRuiの歌声は。圧倒的に、優しく強く哀しい。Ruiの歌声とともに、再び黄泉に帰っていく魂の数々は。幻想的で、とてつもなく綺麗だ。

残されたひとが、もう一度味わう別れは残酷。でも。交わらせることができた心は平安なのだろう。その交差が、たとえ一瞬だったとしても。誰だって。愛する人とは1秒だって長く居たい。その想いは、いつだって純粋で本物だ。

もう一度、ぜひ観たいと思っていた作品。だからTV放映はとても嬉しい。けども。クレジットまで流してくれてもいいんじゃないか? ラストブツ切りでCMって・・・なんてあっけない。

サマータイムマシン・ブルース

2005-09-12 03:11:16 | 映画
監督:本広克行
原作/脚本:上田誠(ヨーロッパ企画)
出演:瑛太,上野樹里,川岡大次郎 ,永野宗典,本多力,佐々木蔵之介 他


映画のタイムトラベルもので、ここまでスケールの小さなものってあるのかなぁ。
夏、真っ盛り。頼みの綱のクーラーが、リモコンを壊してしまったために動かない(←本体操作不可)。修理は望めず。自治会は休みで。みごとに八方塞がりなところに。なんと、タイムマシンが現われた! そうだ。昨日に戻って、壊れる前のリモコンをとってこよう!!

壮大な設定に、ゆるい展開。元気をムダに消費してる学生たち。安易に始めてしまったアレコレの。拙(まず)さに気付き。後追いで、修正するべく奔走するも。わからず突っ走る輩もいて。限られた時間(←なんせ、昨日と今日だからね)に収拾をつけるのは至難で。ミッションコンプリート(笑)には果てしなく遠い。

上映開始からオープニングテロップ表示まで、かなり時間が割かれている。ここが、映画ならではの親切設計。その間の映像が、とってもだいじだったことが、あとでわかってくる。はたまた、結末を知りつつ観るこの部分は。いろいろ埋め込まれていて、けっこう面白い。映画ならではといえば。タイムトラベル時のCG。画面分割も効果的。舞台版では、想像するしかない部室の外の実景がいい。大学構内や、いきつけのお風呂屋さん。道中にただよう陽炎。あと。忘れてならない、ワンコのケチャ! (舞台版の感想は→こちらに)

『踊る大捜査線 THE MOVIE』や『交渉人 真下正義』で有名な映画監督による、「プレイ・バイ・ムービー」企画(←シリーズらしい)。芝居の映像化の難しさは、ご本人の口からも語られているけれど。今回はすごく楽しめた。脚本が上田氏(劇団作家)によるものだったことと、主要出演陣に劇団員さんがいたことで、舞台の空気が壊れずに。舞台には居なかった大人を配置することで、映画としてなくてはならない現実感が補えていた。蔵りん(←蔵之介氏愛称)、おいしい役やん~。標準語を喋ってるのに、京都を連想させるなぁ。

映画版は、事前から狙っていたわけではないのだけど。クーラーのリモコン提示で、1000円に割引との情報があり。持参の上、鑑賞することに。関西では、9/17(土)に舞台挨拶が。しぶとく居座る残暑のなかで。酷暑の映画に嵌まるのも一興かと。

容疑者 室井慎次

2005-08-27 23:27:56 | 映画
「踊る」レジェンド・ムービー第二弾 『容疑者 室井慎次』 
監督/脚本:君塚良一
出演:柳葉敏郎,田中麗奈,哀川翔,八嶋智人,真矢みき,筧利夫 他


この夏。渋い男たちの映画が2本。佐藤,中井,真田の奇跡の競演(←友、主張)による『亡国のイージス』。もう1本がコレ。哀川,柳葉の泣いちゃうほどの競演(←やはり友、主張)による『容疑者 室井慎次』。

実は。『踊る大捜査線』を、ほとんど知らない。一般常識だぜ、と責められて。『歳末スペシャル』をレンタルで観たので、かろうじて話についていけるという程度。本編を知らなくても大丈夫、とお墨付きをいただいて鑑賞。筧くんと升さんの、大スクリーン映えを観賞したかったしね。←すっげー、良かったよぉ、特にカケイくん。行った甲斐あったよ!

単純な感想として。大丈夫だったけど、警察庁と警視庁の人物分布くらいは把握できてるほうが楽だよね。室井さんが警察上層の人だから、取り囲む人物もそうなるわけで。政治的なやりとりだとか、辣腕弁護士の法律解釈だとかを軸にストーリーは進む。これは、本編をずっと楽しんできた視聴者には、間逆からみる興味深い世界観なんだろうな。

様々に「静」な男たち。そこで「動」を担っていた女優、田中麗奈氏。綺麗なんだけど、綺麗だけですまない凄みも垣間見せてくれて。彼女から得た満足感は大きい。
哀川,柳葉の両氏。渋さ全開の男優陣のなか、独特な空気感がふたり揃うと生まれてた。
空気感といえば、スリーアミーゴズ(笑←笑うとこだよね?)。なんなんだろう。3人揃うと妙に可笑しい。堅い警官の衣装で決め込んでいることすら可笑しい。こいつら。絶対に今までに何かしら、やらかしてきたはずだと確信させる。この作品の中だからこその存在感というか。彼らが居てこその『踊る』らしさというか(←誉めすぎ?)。

それにしても。ここまで寡黙な男を主役に据えた映画制作って。けっこう挑戦的だよね。
たぶん、これが今作のテーマ。作中の台詞のため、反転にて ↓
柄本明氏:「真の権威とは、勇気を忘れないものに与えられる」

海猿

2005-06-26 00:52:14 | 映画
プレミアムステージ 『海猿(ウミザル)』
監督 羽住英一郎
原作:佐藤秀峰,小森陽一
脚本:福田靖
音楽:佐藤直紀
出演:伊藤英明,加藤あい,海東健,伊藤淳史,國村隼,藤竜也 他


公開当時。同行の友がいなかったので、見送った作品。原作ファンからの、酷評が聞こえたりしたけれど。予備知識なしでみると良い出来かと。こういう映画は。達者な演技などより、ストレートに正面から取り組んでいる姿に感動を誘われる。フィクションがドキュメンタリー(正確には違うけど)に勝てないと思うのは、こういうとき。

"海猿"は、陸に上がり酒を飲んで暴れる海上保安訓練生を表す、劇中の愛称。らしいが。狙い的中。観はじめに、「ほんま、お猿・・・」とつぶやいた。『踊る大捜査線 THE MOVIE』のスタッフがかんでいるとのことで。そのためか、「最前線に楽しいことはない!」なんて厳しい台詞にも臨場感があり。訓練の厳しさや、日常の楽しみや。変な言い方だけれど、男らしさも、わかりやすく描かれている。

極限状態で、バディ(相方)を見捨てた過去のある教官。極限状態になったならば、バディを見捨てると断言する訓練生。極限状態に陥ったら、の問いに答えの出せない訓練生。そして、極限状態は起こってしまう。伊藤氏演じる仙崎は。仲間を信じて、バディとともに助かり、無事、潜水士となる。ここまでがストーリー。
視聴していて。遭難事故の場面に、必要以上に息苦しくなってしまうのは。過去にダイビングをかじっていたせいなのだろうけど。CMがあって良かった、と今日も思った(←根性なしと呼んで)。海は綺麗だし。装備をすれば、深い海底にまで辿り着けてしまうけれど。人は、呼吸ができなければ死んでしまう。人は道具がないと無力だということを。人は、よく忘れる。だから。こういう映画は大事。だから。ホンモノの海上保安官の方々には感謝を。すべての、命にかかわる仕事をされている方々へ。ほんとうにありがとうございます。

7月からのフジテレビ系(火曜9時)で連続ドラマ化。映画版のスタッフが名を連ねているから、このテイストで。そのまま映画版(来春)へと続く様子。どおしよぉ。観ようかなっ。

髑髏城の七人~アオドクロ 2/2

2005-06-08 00:13:27 | 映画
6/6の続き>
90年が初演。97年に再演。そして、2004年。古田新太氏主演の『アカドクロ』、市川染五郎氏主演の『アオドクロ』が上演される。舞台で観ていたときには考えもしなかったのだけれど。この2作品をもってして、『髑髏城の七人』は、ひとつの完成形をみたという気がした。

歴史をうまく利用した物語構成は。当時、安土桃山時代が大好きだったこともあり、心底うならされた。筋運びが強引という声を聞かないではないが。小さなギャグにも伏線をはり、あらゆる登場人物に意味を与え。最後の最後までも、どんでん返しを仕掛けつつ。全てをまとめ上げて収束させるなんてこと。これを、作家の力量と呼ばずにどうしよう。劇団☆新感線の良さを問われて、まず中島かずき氏の名前をあげるのは。このとき受けた衝撃が未だに消えないからだと思う。(初新感線は『仮名絵本西遊記』。当然これも大好き)

『アオドクロ』の売り文句は「ファット&ゴージャス」。なんじゃらほい? なのだが。「無駄に、豪華に」と訳されると。た・し・か・に!(笑) 『アカドクロ』が、そういうものを殺ぎ落とした、がっしりとした仕上がりだっただけに。よけいに納得する。もっとも、こちらは舞台観劇で。『アオドクロ』はゲキシネ鑑賞なので、単純に比較してはいけないだろうけど。
それにしても、バラエティに富んだ出演者陣ではあった。ここで、ゲキシネならではの感想も。役者さんにはタイプがある。あきらかに生舞台向きの方(例えば川原和久氏)。あきらかにスクリーン向きの方(例えば池内博之氏)。この二人の差異は不思議なくらいだった。

もちろん。全編をとおして新感線ギャグも冴え渡り。映画館でこんなに笑ったのは初めてで。もう小劇場なんてジャンルにおさまらない劇団ではあるけれど。そういう空気を持ち続けていてくれて。なおかつ大きくなり続けてくれているのが。とても嬉しい。

余談。そうなんだよなぁ。映画『阿修羅城の瞳』には、いっさいの新感線ギャグがなかったんだ。そうかカットした1時間の正体はこれか?(←いまさら) そりゃあね。映画には取り込み辛かろう。アレはアレでよい。(でないとゲキシネと同じになるからね)
ただ。ギャグは、まんざら馬鹿にしたものでもない。笑いの中にも感動はあるし。笑いの中にこそある感動だって当然ある。んー、久しぶりに関西人らしいことを言った?

髑髏城の七人~アオドクロ 1/2

2005-06-06 03:09:21 | 映画
ゲキ×シネ 劇団☆新感線 『髑髏城の七人 "AO-DOKURO" 』
作:中島かずき
演出:いのうえひでのり
出演:市川染五郎,鈴木杏,高田聖子,三宅弘城,粟根まこと,ラサール石井 他


前回は大阪ブルクにて。本日はMOVIX京都にて(←病み上がりでもこういう遠出はする)。休日ということもあり、親子連れもあり。お子様って、お茶の間感覚だよね。始終お菓子の匂いと音の聞こえる鑑賞を体験させていただきました。いいけど。2回目だから。。

2回目を実現することになった一番の要因は。映画ファンと観てみたいと思ったことが大きい。前回は。左隣が、あきらかな染さまファンのおばさま方で。かっこいいわぁ、に終始していた(←とても正しい見方)。右隣が、あきらかな映画ファンで。もれ聞こえる会話からは、なんだか大きなクエスチョンマークが発生しているのが見えるようだった。誘いをかけたのは、話題作ならジャンルを問わずひととおりは観るという人。おもしろい形態の映画があるよ、で乗ってくれた。
結果。受けは良かった。びっくりするくらい。とても気になると思っていた点。大写しになることによる舞台衣装や物品のアラだとか、舞台メイクの派手さだとか。別に気にならなかったという感想には驚いた。もちろん、これは個人の間口の広さによるのかもしれないけれど。

きっと。あらゆる方向から撮っている高性能なカメラ。スピード感のあるスイッチング。そういう映像機材や編集技術が、映画として受け入れ可にしているのだと思う。そして、それらは劇団☆新幹線の良さをしっかりと伝えることにも成功しているのだと思う。
でも、総括感想の。「2000円で舞台が見れるのはお得やなぁ」には。ほんの少し引っかかったけどね。でも。「今度、新感線へ行くときは誘ってや」には。「おっけー」と答えながら、心の中で「よっしゃ!」とガッツポーズを決めたんだけどね。

この記事、ゆるーく 5/29:ゲキ×シネ考と、うっすーく 5/25:ゲキ×シネ鑑賞とつながっています。そして。内容の感想を一切書いていないので(汗)、たぶん明日に続けます。

阿修羅城の瞳(2/2)

2005-05-20 00:05:09 | 映画
<5/19のつづき>
賛否両論な映画だと思う。説明のないままに見るには、相当な想像力を要するという点。スクリーンで舞台芝居が展開されることに、どこまでなじめるかという点。
たとえば。目の前で歌舞伎が展開されたとき、意味もなく照れて直視できなかった。素晴らしくても、相当肯定的に見ていても。なんとなく受け入れづらいことはあったりする。

注文をつけるとすれば。邪空。時間的に厳しかったのだろうけど、あと少し内面まで描いて欲しかったな。出門との友情だとか、だからこその嫉妬だとか。それと笑死は。見た目は子どもだと思っているので、子役さんで観たかった気がする。舞台はエイジレスだけど、ね。あと、四代目鶴屋南北先生。小日向文世氏への配役のまま、この出来事に狂喜する演出をもっと強めていただけたら、すごく不気味で楽しかったかな、と。

注文が多くなったが。映画に期待をかけて、報われたことは多々あって。たとえば魔界にかかる橋。天空に燃えさかる、さかしま(さかさま)の江戸の町。CG万歳。
そして。何をおいても、宮沢りえちゃん。発表段階から相当盛り上がったが。市川染五郎さんとのバランスも良くて、とても素敵だった。あとは出門(いずも)の過去。現役の鬼御門(おにみかど)の副長として、生き生きと動く姿がみられたこと。
クライマックスシーンでは。この二人の凄絶な斬り合いが展開される。映画ならではのカットの中で、血濡れで交わされる台詞に改めて絶句する。
「よもや、その程度の手傷で、命果てるわけではありますまいな」
「首が飛んでも、動いてみせらあ」
激しい恋情。命懸けの愛情。これらに突出した映画だったと思う。

阿修羅城の瞳(1/2)

2005-05-19 18:11:49 | 映画
『阿修羅城の瞳』
原作:中島かずき(劇団☆新感線)
監督:滝田洋二郎
出演:市川染五郎,宮沢りえ,樋口可南子,小日向文世,渡部篤郎,内藤剛志 他


舞台初演が1987年。熱望する声が絶えなかったのに、2000年まで再演されることのなかった伝説の舞台。初演を終えて退団された女優さんの存在が大きく。いのうえひでのり氏が、封印してしまったのだと聞いていた。そんな為か、古い(失礼)新感線ファンのこの作品に対する思い入れには格別なものがある。

「阿修羅目覚める時、逆しまの天空に不落の城浮かび、現し世は魔界に還る」
阿修羅は少女の姿で人間界に現れる。自身を斬る者を得て、その瞬間の恐怖や憎しみを素に若い娘に成る。娘として、この世でもっとも強い男に恋をしたとき。その衝動を素に阿修羅王として転生する。
舞台は3時間半。市井に生息する鬼ども。その鬼を狩るもの。あらゆる登場人物が生き生きと動き、壮大なストーリーを完成させる。そこに貫かれる「鬼殺しの出門」と「闇のつばき」の悲恋。映画では。この二人の恋愛に焦点があてられ、2時間にまとめられている。

出門役には。再演、再々演を務めた市川氏。この役は、彼でなければ納得できなかったと思う。彼の生成する歌舞伎の空間は、伝統芸能に育った者にしか出しえないものだ。演出が、見得をきるなどの舞台芝居を意識し、そのままの雰囲気を伝えようとしているので。なおそう感じるのだと思う。

つばき役には、宮沢氏。つばきから阿修羅への転生の解釈は、女優さんによって大きく変わる部分。可憐な若い娘が非情な鬼になる。または。闇の頭目が鬼を治める貫禄の王になる。彼女のつばきは、恋を物語る映画にふさわしかったと思う。人の心をもたない阿修羅となり、狂おしく愛した出門に刃を向ける。そのときに浮かべる表情が。本気で闘えることが、愛しくてならないと微笑んでいて。無邪気すぎる笑みが、邪気の塊に感じられて。美しいだけに、観ているのが苦しくなるほどだった。

賛否両論な映画だと思う。続けるかどうか迷ったけど、続けます。

解夏

2005-05-01 00:35:58 | 映画
プレミアムステージ 『解夏』
原作:さだまさし
脚本/監督:磯村一路
出演:大沢たかお,石田ゆり子,富司順子,松村達雄 他


苦しみを描く映画をみるのは少し辛い。息がつけなくなって。こういうとき、流れを断ち切るCMが、ありがたく思えたりするから勝手だ。

日々くもりの増える視界に、焦燥の時を過ごす隆之。恋人の陽子と、故郷の長崎を記憶に焼き付けようと歩き始める。
寺に縁の老人が静かに語る。失明することへの恐怖の期間が「行」で、その「行」の終わりが失明だと。修行僧は、結夏(けつげ)の日に集まり、行を終えた解夏(げげ)の日に再び発つのだという。

愛する人が苦しむとき。果たしてそばに寄り添っていられるかと考える。「なんでも話して」と哀願したい気持ちはあっても。話されたその言葉を、どの気持ちで受け止めて、どの心で返せばいいのだろう。
逆に。苦しむ側だったとき。大切に思う人にどこまで頼ることができるかとも考える。一緒に苦しませたくはない。好きな人には笑っていて欲しい。でも独りでいるのは寂しすぎる。

思いの方向が。ふたり同じだというだけで。もうこれは奇跡だ。お互いの心を抱きしめ合えるのは幸せだ。こんな不幸の中でさえ。
解夏のとき。隆之が言う。乳白色に染まる視界に、薄く残る陽子に。とても穏やかに言う。その、「泣くな」が胸にしみる。