持続する夢

つれづれにふと気づいたことなど書き留めてみようかと
・観劇生活はえきさいてぃんぐに・日常生活はゆるゆると

ラスト・ファイブ・イアーズ 1/5

2005-08-08 01:41:57 | 演劇:2005年観劇感想編
結論だけを言う。
成熟した、とてもとても良い作品にめぐり合えた。今後、長く自分の中に残り続けると思う。



<8/9追記>
タイトル変更しました。
観劇感想を楽しみにしていると。言ってくださった皆様、ありがとう。それが嬉しくて、頑張ってみることに。たった2行になるまでに。実は。いろいろ書き殴り(←そんな内容)、丸ごと没にしています(←削除済)。

ラスト・ファイブ・イアーズ

2005-08-07 00:48:38 | 演劇:2005年観劇感想編
『THE LAST FIVE YEARS』、この演目を。白紙の状態で観たいと、前に書いたが。いまだかつて。こんなにネタバレに神経質になったことはない。基本的には。知らないでも良いけれど、知ってもそれはそれで良し。で、楽しんでいるというのに。。
ブログをはじめてからは、感想を書き終えるまで観劇記を読まずにいることはあるな。

5年という歳月をふたりで演じる。男は時間に沿い、女はその時間軸を逆行する。あるのは一瞬の交差のみ。
たぶん。観劇を楽しむコツが、あるとするならば。この不親切さを面白がれるかどうかということ。演目の良し悪しを図りつつ観ることは不可能。なぜなら、それは。たとえば。二つに引き裂いた絵を、逆向きに合わせ、小出しに見て。さぁどうか、と。問うようなものだから。全てが終わって、初めて全貌が見える。記憶を追って、ゆっくり繋ぎ合わせて漸くわかる。

なんて、挑発的な作品。に。とりあえず、真っ向から勝負がしたくて仕方がない。
こうなると。先にいろいろ情報を得ることは、武器を仕込むことのような感じがし。なんだか卑怯な気さえしてくる(←いろいろ間違えてる気もするよ:笑)。
ここまで長かったけど。いよいよ明日が決戦日。どんどん、わくわくしてきてる。
コレ、ほんとは「予告編」だよね。でも。明日に続くので、この際「感想編」で(←あばうと)。

サマータイムマシン・ブルース2005

2005-08-06 23:50:45 | 演劇:2005年観劇感想編
ヨーロッパ企画・第18回公演 夏の陣(サマーフォーメーション)
『サマータイムマシン・ブルース2005』
劇場:アートコンプレックス1928
期日:2005/8/6
作/演出:上田誠
出演:石田剛太,酒井善史,清水智子,角田孝,諏訪雅(フライヤー前より5名列記) 他


意思疎通が図れているのか、いないのか。そんな、イマドキな若者の会話によって話は進む。大学の、SF研究会の部室では。頼りのクーラーのリモコンが壊れ、クーラーが発動できないらしい。客席にても、しばらく汗の止まらない今日この頃。深く同情いたします(笑)。

ただの日常かと思いきや。しょっぱなから巧妙な時間軸に捕われていたことを知る。タイトルどおり、タイムマシンによる、騒動の数々。どれも素朴に馬鹿馬鹿しく(←誉め言葉)。再演を繰り返しているだけあって、よく練られていて。役者陣の好演もあって、とても楽しい。
時間移動による混乱を。軽く揶揄されて笑いがおきる。ここまでで止めてくれても一向に構わないのに。とりあえずの解答を与えてくれる。なんて律儀な脚本家さん。過去と現在と未来を、上手くつなぐ手法(演出込み)が好き。多少の力技もあったけれど。安易なパラレルワールドを作り出さないことが、殊更好ましく。納得してあげようと思うのだ(←ナニ様ってくらい偉そうやな、ごめん)。
聞くところによると。今公演の直前に上演された『囲むインフォメーションZ』も秀作だったらしく。見逃したのが残念。しばらくは。作家兼演出家に惹かれて通ってみようと思う。そうこうするうちに、お気に入りの役者さんも出てきそうだし。

真夏の酷暑の京都にて観劇。劇団は、98年に同志社大学にてユニット結成されたとのことで。京都が拠点。この後、東京公演を経て9月に大阪に戻ってくるという。
それにしても。今日は暑かったぁ。天然でホットヨガができるかと思ったよ、本気で。気温高く設定された舞台の終演後。ひと雨すぎて、こころなし涼しくなっていたのが、また一興。
本作は。瑛太氏と上野樹里氏主演にて映画化され、今夏公開とのこと。ありゃりゃ、佐々木蔵之介さんが出てはるやん。

紅天女

2005-08-05 01:07:37 | 演劇:予告編
国立能楽堂主催特別企画公演 新作能 『紅天女』
原作/監修:美内すずえ
脚本:植田紳爾
劇場:国立能楽堂
期間:2006/2/24,25
出演:梅若六郎(シテ・紅天女),福王和幸(一真)


美内すずえ氏の漫画 『ガラスの仮面』は、とても有名だと思う。長く続く漫画だし、テレビドラマ化もされている。オンエアはちゃんと見られなかったけど、野際陽子氏の月影先生には驚いたぁ(←懐しい・・・)。だから、いまさら内容を語る必要はないかもしれないけれど。。
長く続く作中で、最初から語られる幻の名作。演技のしのぎを削る、主役の北島マヤと姫川亜弓。このふたりが、究極の舞台として目指す演目が『紅(くれない)天女』。

あらすじ。時代は南北朝。戦乱を憂える京の帝は、夢枕に現われた天女にお告げをもらう。平安を望むらなら、彼女を模造する仏像を彫るようにと。彫師は、千年の梅の木を探すために奈良の吉野へ向かい。梅の谷に迷い込み。美しい一人の乙女と出会うこととなる。その乙女は、千年の梅の木の精の化身で・・・。

劇中劇が単独で。能で舞台化されると聞いたときは、さすがな選択だと唸(うな)った。おそらく、商業演劇では観ることのできない幽玄を描いてもらえるに違いない(←お能に詳しいわけではないが、好きは好き)。このたび配役決定。そして。。いつまで待っても、関西公演の予定は聞くことができない。ねぇ、ほんとに来ない? 見たいってばぁ!

BAKE ショコラ

2005-08-04 23:19:07 | チョコレート
準チョコレート 『BAKE(ベイク) ショコラ』
森永製菓より


準チョコレートというのは、ふつうのチョコレートよりも、カカオ(カカオバター)が少ないものをさすらしい。なので、たいてい原材料名の最初には、植物油脂が記載されている。

ほろ苦い濃厚なチョコ感が、パリッと、しっとり、かる~く手軽に味わえます。「焼きチョコ」だから、気温が高くても溶けません。
とのことで。最近、冷やして食べる夏仕様の新製品ばかりに目が向いていたけれど。こういう攻め方もいいね(←冷蔵庫いらずなところが手軽)。

食感は不思議。表面が焼いてあることと、準チョコということからだろうけど。ほんとにチョコ? なんて一瞬疑う。でも、口の中でとけるにしたがってチョコらしくなっていって。最後には、いい苦味が残って。次に手が伸びる。

姉妹版で、『BAKE クッキー』というのもあった。チョコにクッキー生地をのせて焼いてあるらしい。それはチョコクッキーなのでは? と考え込んで、未購入。

ラストショウ 2/2

2005-08-03 00:09:17 | 演劇:2005年観劇感想編
8/2のつづき> 一部反転表示あります。
父親役の風間杜夫氏が。女優に言わせる、いくつもの「好き」。繰り返すうちに、きっと本当に好きになるからと強要し続けた「好き」は。永作博美氏の、表現の豊かさによって、いろいろな感情を掻き立てられる。

好きが昂じて喰らってしまいたい、と無邪気に主張する古田新太氏は。こういう役こそ嬉々として演じるから。さっさと憎んでしまいたいのに、愛嬌いっぱいに誠実に「だって愛してるんだもん」だなんて、熱っぽく言い放つから。説得されてしまいそうで、混乱する。

風間氏と古田氏のふたりが、似ていると思ったことはない。今回の、狂気をはらんだ芝居に共通点を見つけたわけでもない。なのに、このふたりの噛み合わせは絶妙で。これが、演出家の長塚圭史氏の思惑どおりなのだとしたら。少し、悔しい。たぶん。気持ちを、とても丁寧に差し出す過程が似ているのだと思う。それが、血濡れの歪んだ感情であったとしても。

風間さんは。子役さんから、ずうっとお芝居をしてきた方で。当時を知る由はなく、知ったときは既にカリスマになっていらした方なのだけど。。いつまでも無垢で直球で演じることができる。この底力がすごいと思う。個人的には、ちょっと拗ねた可愛い演技が大好きなんだけど。今回はフルタが全部担当で、おあずけだったのが残念。
古田くんも。擦れた感じも持ち合わせているくせに。舞台の上では、やっぱり無垢で。すごく透明なものを、気さくに投げてよこす。まぁ、女の子対象限定で、色気が仕込んであったりするみたいで。これをキャッチしてしまったが最後、確実にオチるんだけど(笑)。

憎み続けることで、繋がりを求めた心は孤独に過ぎる。喰らう行為で、それを求めた心も孤独に過ぎる。外では高速増殖炉が事故を起こし、放射能が漏れ出すようだ。臨界・終末。だとはいえ。ずっとこちら側だった夫婦が、狂気に捉えられるラストシーンは。後味が悪い。

音楽に、劇団☆新感線でおなじみの岡崎司氏の名前を発見。作品に良く合っていたなぁ。

ラストショウ 1/2

2005-08-02 00:01:19 | 演劇:2005年観劇感想編
7/30:LAST SHOW のつづき> 一部反転表示にしています。
苦手で仕方のない題材(カニバリズム)。舞台では、必ずお目にかかる題材。と言うよりも。舞台のような空間でなら、描きやすいのだろうか。自己責任で選択して観ているのだから、文句を言うつもりはない。ひとことで片付けるなら、あぶない思想のあぶない話。そういうものを、嗜好とする人間が生息することは、たまにほころんでメディアに出るので知っている。インターネットの世界でも、少し深みに入れば触れられるものらしい。

最初に登場するカメラマンは、不快なくらいのワイドショウ的暴露根性を発揮する。同行の、善良なディレクターは迷っている。取材目的は動物愛護家。これはうさんくさい。
ディレクターの自宅には、長年音信不通だった父親が訪ねてくる。ここには妻で、元・人気子役の女優がいて。ふとしたきっかけで父親は狂気を見せる。それが。気のせいであって、芯からの狂気ではないと思い込みたいのだれど。どこまでも本物なのだ。それがわかるころ、背筋が冷えてくる。カメラマンの態度に、臍を曲げてしまった動物愛護家を。女優で釣って、自宅を取材場所にしたことで。役者は揃う。

プラモデルキットのような舞台装置の上に、普通の部屋がセットされていて。場面が、より見やすいようにと、時折、土台ごと角度を変える。
剥き出しの舞台の上で展開される、剥き出しの芝居。
父親(風間杜夫)の妄執。動物愛護家(古田新太)の偏愛。テープを回し続け、現実を映しこもうとするカメラマン(中山祐一朗)は、瀕死だ。どこまでも常識的な発言をする、夫婦(永作博美と北村有起哉)の振る舞いは。逆に、その狂気を際立たせる。

どうにもならない物語を収束させるのは。女優が宿していた胎児(市川しんぺー)。祖父に、母の腹ごしに殴られて水子となる。そういう運命を受け入れて。それでも母の危機に、強く思うことでこの世に生まれたのだという。この、とんでもないファンタジーを受け入れて、救いだとさえ感じてしまったのは。たぶん。それまでに展開されていた、異常な光景よりは受け入れたいものだったからだ。
彼が責める。「お前は誰かを幸せにしたことがあるのか」と。「誰かに必要とされたことがあるのか」と。あまつさえ、言い放つ。「生まれてこなければよかった」と。だが、この父親がいなければ、それに続く命はひとつもないのだ。母がなによりそれを理解している。親子の。密接な関係だからこそ生まれる、ざらついた感情に撫でられて。涙がでる。

風間氏の独白。どれだけ毎日を苦しもうとも。雨の後の植物は匂い立ち、遠くに子どもの笑い声が響くのだと。死にたくなるけれど。それが死んでも続くと思うと、次には哀しくなるのだと。彼が、劇場に描き出す日常の光景は。穏やかで、寂しくて。涙が止まらない。

速達区域外

2005-08-01 19:24:51 | だいじなこと
タイトルの「速達区域外」とは。過去に、郵便局で採用されていた制度。早くに廃止されているから、ご存知の方は本当に少ないと思う。それは。差出人から速達で送られてきた郵便物が、途中から速達でなくなる。最寄の郵便局によって赤いスタンプが押され、普通郵便と同じ扱いとなって自宅に届く。そんな制度。

子どもの頃、一時住まった田舎は。徒歩圏内に小売店すら無く。なにをするにも車を必要とする。逆に言えば、車がなければ住まうことのできないようなところだった。新聞でさえ、朝刊しか配達されなくて。夕刊を申し込むと、翌朝に朝刊と共に届いた(もちろんこれも早い時期に解消)。要するに。人を動かすには、ワリに合わない地域だということだ。

ちまたを賑わす『郵政民営化法案』。現在の使途不明金が明確になり、ドブに捨てているも同然の血税が。上手く運営されるのだと聞かされると、賛成したくなる。

しかし、民営化には採算というものがつきまとう。国鉄の民営化によって、田舎で廃線が相次いだのと同じこと。現在、郵便業務は負であって。貯金業務で補うからこそ成立しているのだという(どうりで民間の宅配代金は、田舎になるほど高額になる)。ならば、切り離される郵便業務が縮小されるのは明らかなこと。
今時、メールで事足りると人は言う。だが。高齢者のみで住まう過疎地で、そういう技術取得は難しく。やはり、通信手段は電話と郵便で。あいかわらず、年末には張り切って年賀状を購入する人々は多く。それを思うと反対したくなる。

企業が過疎地から撤退しないように、政府は助成金を出すという。それはそれで、どうなのだろう。現状ならば成立し得るものに、税金を投入するのはどうだろうと思ってしまうのだ。

そして、国会の論争はおかしい。当初、考え出された利益は何だったのか。この部分に対する、真っ当な反対意見を聞きたいのに。賛成派からは、すでに意地しか聞こえてこない。反対派からは、生活の不安をあおる言葉しか聞こえてこない。片方で、国会の混乱を質にとられ。もう片方で、田舎の両親を質にとられ。そんな審議は、おかしい。