お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

なかなかアリ地獄から抜け出せない(似顔絵雑記)

2012-08-24 04:42:51 | 雑記
自分なりに似顔絵の描き方を見直したり、論じてみたりして、このアリ地獄のような抜け出せない状態を打開したいのですが、難しいです。

「似ている」似顔絵で一番楽なのは、「写実・リアリズムをくずすこと」です。
下手をすれば、崩さなくても、「似ている」と言ってくれる人もいるでしょう。

けれど、もう一つの違った似顔絵、「イメージを描くこと」で表現する似顔絵があると思うのです。
ここで言うイメージは、誰でも共通の客観的なイメージではなく、個人的な主観的な想像をさします。
もちろん、主観的ですから、「似ていない」と思う人も出てきます。
しかし、その分オリジナリティーのある似顔絵になっていると思います。

それをどうやって描くのかが、分かりません。
私の見立て違いで、写実をくずしたり、誇張したりして描いているのでしょうか?

私が見て思ったのは、そのようなイメージのある似顔絵は、アウトサイダーアート・アールブリュットに近いのではないか。
そう思い、危険なオートマチズム(自動記述)に手を出したり、ユングの無意識を勉強して、その状態から、絵を生み出そうとしてみたりしました。

でも、その似顔絵のほとんどは、山藤章二先生だけではなく、誰にも受け入れられないものでした。

分析すれば、「似ている」ということが、主観ではなく客観でなければならないからだと思います。
ところが、似顔絵塾の似顔絵でさえ、「似ていない」と思う人もいるでしょうし、万人が「似ている」と思う絵は、リアリズムに飲み込まれてしまう気がするのです。

「シゴトカン/中谷よしふみ」に記載されている、なかのヒデアキ氏の言葉を借りれば、

不気味の谷現象」(実像に近すぎて、気持ちが悪くなる現象(私の勝手な解釈です))

に陥ってしまうと思うのです。

でも、逆にアウトサイダーな実像に遠すぎても、「不気味」であり、見る人を選んでしまいます。

正直なことを言うと、色々な描き方を学んできましたが、どれも飽和状態で行き詰まっています。
詳しく言うと、脳みその使う部分がバラバラで、連動性が悪い。繋がっていかないのです。

「描いた似顔絵を公開する」というのも、問題があるのかもしれません。
客観性は得られるのですが、主観的な似顔絵が描きにくい。

自分なりにまとめると、どんな描き方だろうと、「似せられない時期、似ていない時期」というのがあると思うのです。
それを怖がっては、今のまま、何も変わっていかないのかもしれません。

万人が「似ている」と思う描き方を知ってしまったとき、それに頼ってはいけないのかもしれません。
それは、先人の似せ方であって、私の似せ方ではない。
オリジナリティー、独創性がない。

なんとか、打開しなければと思っています。



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