お絵描き日記~イラストレーター照井正邦

職人、照井正邦の似顔絵、意匠など。画力の向上を目的に練習しています。

似顔絵を読まれるリスク(似顔絵雑記)

2021-09-02 06:58:49 | 雑記
東山紀之似顔絵イラスト画像

「似顔絵には文字を入れない方がいい」
文字を入れてしまうと「描く」をしているのに、「読む」が働いてしまって、「見る」をしてくれなくなり、「書く」になりやすい。

けれど、
「自分の名前を入れて下さい」
と言われたり、自分のサインを入れたりするときもある。

個展ではなく、グループ展だと、隣に文字の作品が展示されることだってあり得るので、相手には厳しくないほうがよいのかもしません。

「見る」をしてもらいたいとき、「これは何であるか?」を曖昧に描きたくなる。
似顔絵で、モデル名を尋ねてくる、あるいは「○○さんの似顔絵ですね」とコメントしてくださる方はいる。説明を求められることもある。
それは、「書く」の側であり、「見る」ことをしてくれなくなる可能性が高い。実際、モデル名がコメント欄にあったら、作品を見ることなく、「似顔絵描きが、誰々を描いた。それは似ていなかった」という情報を言語として伝達することができてしまう。

「分かる、書く」ではなく、「感じる、描く」を見てる人に味わってほしい場合、描き手は感じて描こうとしても、「理解できない」と言われ、感じることはおろか、分かることもしてもらえなくなる。それをふせぐために、「書く」と「分かる」を用いて描かなければいけないという、「描きたいこと」と「伝えたいこと」に齟齬が生じることが多い。
それは、描くことを教えるときにも、「描き方というものを文字言語化したい」人に似顔絵を伝えると、「書くの習い事」と勘違いされ、「似顔絵が書けないための説明」になってしまう。
例えると、「スキップを踏む」の説明。スキップというものが成立する定義を懇切丁寧に分かりやすく説明されると、スキップが実際にできなくなってしまうような。

「言っていることは、理解できないが、なんとなく感じるので、実際に描いてみたら描けた」
ということがあると思う。
例えると、「ランラランララーンで軽くピョン」。
で、スキップができてしまうような。

絵の説明が分かる、分かりやすいのであれば、それは文章で、評論家のように書くことは出来るかもしれませんが、「描ける」ことからは遠ざかり、「見る人」でもなく、「絵を読む人」になってしまうのかもしれない。

「この似顔絵は、何を意味するのだろうか?」
と尋ねられれば、意味するものがあったとしても、
「たいした意味はないです」
と答えるしかない場合があるのだぴょーん。

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