画像を共有(シェア)したり、集めたりするのが流行っているようですね。
ビジネスでも、異業種マッチングが重要だったりします。
けれど、私は「マッチングをする=繋ぐ人」のほうではなく、「創る人」でありたい。
もちろん、マッチングする人も創る人なのですが、描く、創るという直接的な行為をしていきたいのです。
それは学生時代、デザインの授業のときに「絵を描くことがデザインではない」と、こっぴどく言われたことにあります。
「情報デザインの課題」で、ギリシア神話のカードゲームを作っているときでした。
「システム(ルール作り)が大事で、ギリシア神話の絵は(全部)描かなくてもいい」と言うのです。
先生には、無駄な労力に思えたのかも知れません。
しかし、私にとってはシステムはサブで、絵を描くことそのものに意味があったのです。
そのとき、「私はデザイナーではないな」と思いました。
「では、何なのか?」と言われると困るのですが(^^;
描くことそのものが楽しいですし、目的がなくても描けます。
否、描きたい。描かないと、苦痛です。
そう言えば
「あなたの○○は、○○ではない」
と、怒りにも似た言葉を言われることがたまにあります。
その人が定義した概念を揺るがし、刺激するからでしょうか。
ところが、それをあきらめずに続けていると、新しい違った何かに到達できる場合もあります。
「あきらめが悪い」のも、たまにはいいほうに作用することもありますね。
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ビジネスでも、異業種マッチングが重要だったりします。
けれど、私は「マッチングをする=繋ぐ人」のほうではなく、「創る人」でありたい。
もちろん、マッチングする人も創る人なのですが、描く、創るという直接的な行為をしていきたいのです。
それは学生時代、デザインの授業のときに「絵を描くことがデザインではない」と、こっぴどく言われたことにあります。
「情報デザインの課題」で、ギリシア神話のカードゲームを作っているときでした。
「システム(ルール作り)が大事で、ギリシア神話の絵は(全部)描かなくてもいい」と言うのです。
先生には、無駄な労力に思えたのかも知れません。
しかし、私にとってはシステムはサブで、絵を描くことそのものに意味があったのです。
そのとき、「私はデザイナーではないな」と思いました。
「では、何なのか?」と言われると困るのですが(^^;
描くことそのものが楽しいですし、目的がなくても描けます。
否、描きたい。描かないと、苦痛です。
そう言えば
「あなたの○○は、○○ではない」
と、怒りにも似た言葉を言われることがたまにあります。
その人が定義した概念を揺るがし、刺激するからでしょうか。
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「あきらめが悪い」のも、たまにはいいほうに作用することもありますね。
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