この頃、我が家は借家でしたが、家賃は覚えていません。
2件目の大家は、同級生の家で建具屋を営んでいました。
2~3人の建具職人が働いて、
彼らの日当は、¥500/1日だと言っていました。
1962年頃、近くに大きな工場が出来、
パートタイマーのおばさん達を大勢募集しました。
パートのおばさん達の時間給は、¥40/1時間でした。
¥40/1hは、すごい値段だと大騒ぎになり、
何百人ものおばさん達が就職しました。
ベテランの建具職人の日当が、500円/1日ですから、
素人のおばさんの時間給40円は、破格だったと思います。
僕が小学2年生の頃、中卒の男の子が浅草のアメ横の店に就職しました。
月給が¥1500円だと家族中が大喜びし、
近所の人達に自慢していました。
1953~1955年頃だったと思います。
新橋亭の料理が1品¥500~¥800円。
鯛茶漬けが1品¥800円、カレーライスが¥150円。
東京の食べ物代金の高さには驚きの連続でした。
この頃、母は旅館の浴衣を縫っていました。
1枚¥80円だと言っていました。
寝る間も惜しんで縫うと、8枚/1日だと言っていましたので、
¥640円/1日です、自慢していました。
秋から冬は、綿入れのドテラを縫っていました。
鯛茶漬け
急須に入っていたのは、お茶ではなく、薄く品の良い出し汁でした。
わさびも、本わさびのすりおろしでした。

鯛のごま茶漬け 作り方・レシピ | クラシル
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