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史跡右003 淳和院跡

2015年03月21日 09時07分10秒 | まち歩き

淳和院跡

淳和院は西院ともよばれ、現在の地名のもとになっている。

淳和院の位置は、四条大路(現在の四条通)の北、道祖大路(現在の佐井通)の東で、大正時代までこの北方にあった通称「飯の山」が、淳和院にあった池の中島であったとする説に従えば、南北516m・東西252mの広大な敷地を占めていたことになる。

淳和天皇は、833(天長10)年に位を仁明天皇に譲り、上皇となって840(承和7)年に亡くなるまでこの院で過ごされた。

淳和天皇が亡くなった後、皇后正子がこの院を寺とし、以後は仏教道場として使用された。

「日本三代実録」によると、874(貞観16)年4月19日夜半、淳和院から出火、火の勢いは激しく、内裏(現在の千本丸太町の北方)にまで火の粉が飛んだと記されている。その後、淳和院は再建されたが、規模や廃絶した時期については明らかではない。

当ビル建設前の平成4~5年にかけて発掘調査が行われ、南北17m・東西10mもある大規模な建物跡をはじめとする掘立柱建物跡群、四条大路や道祖大路の側溝、門跡などがみつかっている。

遺物としては平安時代の瓦が大量に出土したほか、土師器・須恵器・緑釉陶器・灰釉陶器などの日常品や、中国から輸入された時の貴重品である壺の破片などがある。また銅の鋳物の滓、鋳型の破片、未製品の釘、家具などに使用する金具などが多数出土しており、付近には金物を製作する工房が存在した可能性がある。

今回の発掘調査によって淳和院の西南の一角が明らかになり、平安時代前期の天皇家の後院を知る上で重要な成果を得ることができた

 

 

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