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石碑八幡0203 後村上天皇行宮 趾

2019年07月26日 11時26分27秒 | 石碑

 

八幡合戦

1352年3月から5月にかけて八幡を戦場に、足利義詮(よしあきら)を大将とする幕府軍と後村上天皇をいただく南朝軍との間で戦いが繰り広げられます。地名をとって「八幡合戦」または、当時の南朝側が使っていた年号をとって「正平(しょうへい)の役」といわれます。

南朝側は、幕府軍に対し、夜襲をかけるなどしましたが、食料もつき、武将が男山から逃げ出すなどしたため、ついに後村上天皇は八幡から吉野めざして逃げのびていきます。『太平記』では木津川にそって落ち延びて行ったと記されていますが、その中でのリーダーである四条隆資(たかすけ)をはじめ、300人が討死したとのことです。

八幡市内には、「正平役古戦場跡」や

後村上天皇が行宮をかまえた場所に行宮跡碑があります。

 

 

 

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