引窓南邸跡 西二丁 常昌院
南一丁 神應寺
昭和二年九月 京都三宅安兵衛依遺志建之
人形浄瑠璃の演目「双蝶々曲輪日記・ふたつちょうちょうくるわにっき」の有名な場面に、八幡の里が舞台の「引窓」があります。寛延二年(1749)より度々上演されてきました。引窓とは、紐を引いて開閉する天窓のこと。母が後妻に入った南氏の邸宅で、使われる実の息子と、捕縛の役目を負いながら葛藤の末に見逃す義理の息子の人情を描いたストーリーは、放生会(現在の勅祭・石清水祭)が行われた八幡市八幡高坊周辺にあった家をモデルに着想されたと伝わります。石碑は現在より約50m西側に建てられましたが、平成28年現地に移設しました。
寛延2年(1749) 徳川将軍 9代家重5年目 の時代
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