我国に於ける 電気鉄道事業発祥の地
明治28年2月1日京都電気鉄道株式会社は京都市下京区東洞院通東塩小路踏切(旧東海道線)南側から伏見町油掛通まで電気鉄道を我国において初めて開業した
油掛通
通称「油懸地蔵(西岸寺)」の前の東西の通りをさす。町名としては、上・中・下の3ケ町からなる。江戸時代、伏見港(京橋付近を中心)に近く、京・大坂へ行き交う旅人で大いに賑わった。明治時代、第一銀行が京都支店に続いてここ中油掛町に伏見支店を開設した。明治28年には、下油掛にり京都駅まで、我が国最初の電気鉄道(後の市電)が営業を開始した。大正時代に明治天皇の桃山御陵築栄に伴い、北一筋目の大手筋にその賑わいが移っていった。ひの付近が物質集散地であったので、車町・塩屋町・本材木町・納屋町といった当時の繁栄ぶりを示す町名が散在する。
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川柳
失恋と誰も思わぬ寝てる爺 /赤猫
ことわざ
飛鳥川の淵瀬(あすかがわのふちせ)
飛鳥川(奈良盆地南部を流れる川)は、水流の変化が甚だしく、淵(深い所)と瀬(浅い所)が変わりやすい。世の中のことや人の境遇の移り変わりが激しいことのたとえ。
類・明日の淵瀬
・桑田変じて滄海となる
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