小さな 五輪石塔がしるし 見えない
女院は平清盛の二女として生まれ、17歳で高倉天皇の女御となり、次いで中宮となつて安徳天皇を生んだ。
崩御や享年は説によって様々で、
建久2年2月・1191年・37歳、
貞応2年3月・1223年・69歳、
建保元年12月・1213年・59歳といろいろある。
崩御の場所も一般には 寂光院となっているが、一説には東山鷲尾といわれ、はっきりしない。
これらの屋根は 寂光院の本堂
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