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平安宮011  豊楽院 

2019年01月25日 10時53分26秒 | 平安宮

 

 

 

 

 

 

史跡 平安宮跡 豊楽院跡

(清暑堂跡 及び 豊楽殿北廊跡)

豊楽院(ぶらくいん)は、正月元日の節会、七日白馬の節会、16日踏歌の節会、11月の新嘗祭と天皇即位後の大嘗会などが行われた国家の饗宴の施設です。豊楽院の完成ははっきりとしませんが、文献から9世紀初頭には完成していることが分かっています。

この場所は、豊楽院の正殿である豊楽殿の真北に位置し、天皇控えの建物である清暑堂と、豊楽殿と清暑堂を繋ぐ豊楽殿北廊(以下北廊)にあたります。平成19年度に発掘調査が行われ、清暑堂と北廊の一部を確認することができました。

清暑堂では、基壇の盛土と、基壇の外装である凝灰岩を抜き取った痕跡が認められることから、清暑堂の基壇幅は東西約35m、南北約11mで、清暑堂と豊楽殿が約30m離れていることが判明しました。さらに、豊楽殿の階段幅(5.2)と同じ幅をもつ階段(西階段)が基壇に取り付いていたことが分かり、凝灰岩が組み合わさった状態で残っていました。

北廊では、版築による基壇の盛土と、屋根から落ちる雨水を受ける塼敷(せんしき)が残っていました。北廊は2度にわたって拡幅されており、北廊創建当初は、基壇幅6.4(1期)であったものが幅12.0(2期)に、さらに幅13.4(3期)に広げられていることが分かりました。

 

先の豊楽殿跡の発掘調査で、北廊は豊楽殿創建時には存在していなかったことが明らかになっており、今回の調査では、清暑堂と北廊の取り付き部分が注目されていましたが、清暑堂の中央には階段は存在せず、清暑堂と北廊は同時に造営されたことが判明しました。

清暑堂の規模を明らかにできたことは、豊楽院の解明を進めるための定点となり、北廊の変遷は、調査面積の狭い平安宮跡において重要な成果であることから、平成2年2月22日に「史跡平安宮豊楽殿跡」として指定を受けた豊楽殿跡を含めて、平成20年7月28日の「史跡平安宮豊楽院跡」と名称変更、追加指定されました。

 

 

 

 

 

 

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