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本家は大分県宇佐八幡宮があった、平安初期に宇佐より勧請したのに始まる。「石清水」というのは、男山山中から湧き出る清水を神として祀ったのがもともとの起源という。
八幡宮は古来源氏の氏神であり、武家の守護神として信仰され、全国的に八幡信仰の名でも知られている。
八幡太郎と称されている源義家は、この石清水で元服した。頼朝もたびだび参詣し「源頼朝手植松」が二の鳥居の手前にあり、そこに三宅さんの道標があります。
蒙古襲来(文永・弘安の役)の文永の役の時朝廷は八幡宮に異国調伏を祈る勅使をたてたり、後嵯峨法皇自ら八幡宮に御幸している。暴風雨が起こり、蒙古軍は退散した。
2度目の来襲では、西大寺の僧叡尊が八幡宮で祈願したその日の夜に暴風雨が荒れ狂い、蒙古軍はまたも退散した。(弘安の役) この神風で八幡宮は権威を高めた。
「石清水八幡宮のできた最大の理由は山城平野の西の関門に、外寇を退ける権威を持つ神を祀ろうとしたことに始まる」 (松本清張・樋口清之)ともいわれている。
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