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寺院向日0606  石塔寺 日蓮宗

2019年07月29日 17時39分48秒 | 寺院

 

法性山と号する本化日蓮宗の本山で、日蓮上人の孫弟子の日像上人を開山としている。日像上人は他宗の迫害を冒して教化につとめ、朝廷から洛外追放の法難にあい、京都七口に法華題目の石塔婆を建てようとして、まず向日神社の社頭に建立した 「鶏冠井(かいで)法華」の始まりとされる、その後、文明年間(146987)日成上人がその近くに一宇を建てて石塔寺と名づけたのが、当寺のおこり。のちに勧修寺宮の殿舎を賜わって本堂を再建するなど栄えたが、日蓮宗以外の人からは布施を受けない不受不施の禁制にあって幕府の方針に合わないとして、弾圧を受け衰退した。明治維新後、付近にあった興隆寺の建物を移し、現在の地に再興された。境内には寺名の起こりとなった日像上人筆の題目石塔婆を安置した塔堂があり、草花が多い。

今も周辺に「御塔屋敷」「御塔下」「御塔道」などの地名が残っていて、往時の伽藍の壮大さをしのばせている。

日像菩薩御石像

本堂

 

 

 

 

 

 

 

本堂は1969年に建て替えられたが、毎年5月3日には花祭りのあと、この本堂で「鶏冠井題目踊り」が披露されている。日像上人に差し出したご飯の湯気が「南無妙法蓮華経」の文字を描いたのを見た村人が歓喜して踊りだしたのが始まりとされている。庶民的な法華信仰の発露といえる貴重なもので、府の無形文化財に指定されている。

鶏冠井題目踊りは、京都洛北の松ヶ崎や修学院の題目踊りと並び全国に3ケ所のみに残る特異な民俗芸能です。この中でも、鶏冠井題目踊りは本尊に向かい位置を変えず、音頭の切れ目ごとに「南無妙法蓮華経」の題目が唱えられるもので、輪になって踊る盆踊り形式の念仏踊りが松ヶ崎などに伝わるのに対し、より古い形式を残していると考えられています。鶏冠井町は、西日本ではじめて日蓮宗が広く普及した地としても知られ、住民のすべてが法華の信徒という地域でもありました。鶏冠井町の伝承によると、この踊りの起源は鎌倉時代の末頃といわれています。

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