高瀬川沿いにあります 道の対岸で 碑には 近づけません
右側は 佐久間象山
1864年2月 幕命を受けて長野から京に入っていた
同年7月11日 午後5時ごろ 木屋町三条にさしかかったところで
2人の刺客に襲われ足を切られた。
馬に乗っていた象山は宿舎を通り越し御池へ
ここで待ち伏せしていた7・8人に捕らえられ
前身に13ヶ所の刀傷を受け死亡した
象山52歳
その日の夕方、三条大橋には゛会津・彦根の2藩にくみした国賊につき、
天誅を加わえた・・・゛と書かれていたという
これより8日後に蛤御門の変が起こり
「京のどんどん焼け」の大火事になった
焼失家屋 民家 27000余り
土蔵 1207
寺社 253
と言われています
墓は 大法院・妙心寺
左側は 大村益次郎
1869年9月4日夜
数名の刺客に襲われる
重傷を負い11月5日大阪の病院で亡くなった
享年 46歳
遭難碑の前を 高瀬川が流れています
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