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時代祭行列  江戸時代婦人列  吉野大夫

2020年10月27日 06時19分56秒 | まち歩き

 

吉野大夫

江戸時代初期、吉野大夫本阿弥光悦灰屋紹益(豪商)らと交遊していた。京都市北区鷹峯の常照寺に吉野大夫が寄進した山門の吉野門がある。墓も開山堂の脇にある。二代目吉野大夫は(1606~43本名松田徳子)は慶長11年3月3日洛東方広寺付近で生まれ、7歳で公許の遊里・六条三筋町に預けられた。そこは名だたる文人や学者が集う高級社交場で、容色だけでなく一流の知識と文化芸能を身につけていないとその大夫の座につけない。書・画・和歌連歌・俳諧・立花・茶湯・聞香・太鼓・鼓・琴・三味線・囲碁・双六にまで及ぶ。灰屋紹益(16010~1691、本名 佐野重孝)は、上京の智恵光院上立売の紺灰問屋だったことから通称になっているが、元は本阿弥光益の子で佐野家の養子になった。生涯を通じて多趣味で風雅な生活を楽しんだ人。吉野が身請けされ結婚した時は紹益22歳、吉野26歳だった。その後吉野は38歳で亡くなった。紹益は、土佐光起に吉野大夫像を描かせた。常照寺にはその絵を徳力富吉郎が模写した吉野大夫像がある。4月の第3日曜日に吉野大夫花供養があり、光悦寺から常照寺まで島原の太夫の道中がある。

 

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