四条烏丸 付近 東を見る
京都駅構内
山陰線 七条通踏切・昭和45年6月撮影 山陰線の高架化以前、七条通では線路をアンダーロスしていた市電と異なり、路面の道路部には踏切があった
東山線(叡電前) 昭和53年9月撮影 通称「叡電交差」の東南角には戦後の一時期、市電の乗り入れ用の渡り線があった。なお叡電の駅名は「元田中」
今出川線(加茂大橋~河原町今出川) 昭和45年1月撮影 雪化粧の大文字山を背に加茂大橋を渡る電車。朝ラッシュ時とあって、赤く書かれた「急行」の円板をつけている。
トロリーバス(四条大宮)昭和44年9月撮影 四条大宮~松尾橋間のトロリーバスも昭和44年9月末限りで廃止された。写真は四条大宮での方向転換風景。
四条線(四条京阪前) 昭和46年9月撮影 四条大橋東詰めで平面交差する京阪の通過を待つ市電。「ガタガタッ、ガタガタッ」の独特のレール音がしていた。
白川線(ストライキ中の錦林車庫)昭和50年11月撮影。 ストライキ中で車両が一杯の錦林車庫。
九条線(東福寺) 昭和53年9月撮影 市電全廃直前の撮影で、車両にはお別れの飾り付けが施されている。電停の後ろに見えるのは第一日赤病院。
千本・大宮線(七条大宮~東寺前) 昭和46年9月撮影 東寺に向かって大宮通りを南行する⑦号系統。東海道線を跨ぐ大宮跨線橋には今も当時の架線柱が残っている。
西大路線・九条線 (西大路九条) 昭和52年12月撮影 京都市の外周を囲む市電路線の西南角の急カーブを持電車は九条通から西大路通りに向きを変えて北行する。
烏丸車庫前(市電全廃の日) 昭和53年9月30日撮影 この日を限りとして京都市電は83年余に亘る歴史に終止符を打ち、車庫前では終日多くの市民が名残を惜しんだ。
花電車(北大路線・北大路堀川付近)昭和33年10月撮影 京都市自治60周年を記念して運転された「花電車」小型4輪単車の外部に装飾を施している。
烏丸線(烏丸今出川~烏丸中立売) 昭和49年3月撮影 御所の内から西側の中立売御門を望む。烏丸線の市電が無くなったいまも、その落ち着いた風情は変わらない。
烏丸線・北大路線 (烏丸車庫前) 昭和44年3月撮影 北大路線から烏丸線へ交差点を右折する21号系統。後方の烏丸車庫事務所の半円形の窓口が見える。
市電のあるところ ➡ まち歩き伏0365 小学校 校庭に市電がありました
まち歩き 前回の記事 ➡ まち歩き上0498 古風な2階建ての家 屋根が大きい
五七五
バス来る方みんなで見てる停留所 /長尾
ことわざ
任重くして道遠し