光厳天皇(こうごんてんのう)(1313年~1364年)は、
南北朝時代の北朝初代天皇とされている。諱を量仁(かずひと)という
元弘元年(1331年)、後醍醐天皇の倒幕のもくろみが発覚し(元弘の乱)、
8月に天皇が笠置山へ脱出すると、9月20日に量仁親王が即位し(光厳天皇)、
後伏見上皇が院政を行った。
皇太子には邦良親王の嫡男康仁親王が立てられて、両統迭立原則は維持されることとなった。
10月6日後醍醐天皇は廃され、翌年隠岐に流される。
なお、この時に光厳天皇が利用した里内裏が現在の京都御所になっていく。