アートプラス京めぐり

京都の探索、記事数6500 いろいろなテーマで京都をめぐります 
京都市外も始めました 先ずは京都南部から

まち歩き中1393 京の通り・富小路通 NO54 間口の広い家屋 

2020年10月10日 17時52分03秒 | まち歩き

約築100年の町屋をリノベーション。 最先端のクラフトビールを生み出す醸造所を併設した、“和クラフト”料理が楽しめる「SPRING VALLEY BREWERY KYOTO

まち歩き 前回の記事 ⇒ まち歩き中1392 京の通り・富小路通 NO52 法衣店 明治8年創業

     次回の記事 ⇒ まち歩き中1394 京の通り・富小路通 NO55 錦小路通

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます

 

 


時代祭行列 明治維新時代 維新志士列 吉村 寅太郎

2020年10月10日 13時17分25秒 | まち歩き

吉村 虎太郎は、幕末の土佐藩出身の志士。諱は重郷。一般には「寅太郎」と記されることが多い。 土佐藩の庄屋であったが尊攘思想に傾倒して土佐勤王党に加盟。平野国臣らが画策する浪士蜂起計画に参加すべく脱藩するが、寺田屋事件で捕縛されて土佐に送還され投獄される。

木屋町三条上る35番路地は、幕末の勤王志士吉村寅太郎が文久3年(1863)に仮住まいをしていた場所である。このあたりは、高瀬川の舟運によってにぎわい、幕末の志士たちの絶好のかくれ家となったところで、付近に武市(たけち)瑞山、佐久間象山、桂小五郎などの寓居跡があり、池田屋もほど近い。  吉村寅太郎は土佐(高知県)の人で、庄屋の生まれ、武市半平太の教えをうけて勤王党に加わり、文久2年には土佐を抜けだして入洛、尊王攘夷運動に加わった。寺田屋事件で一たん帰国したが、文久3年3月再び上洛してここに住み、尊王攘夷運動の中心の一人として活躍し、各藩の志士を集めて討幕軍を組織した。同年8月、中山忠光らと天誅組を起して、大和五条(現・奈良県五条市)の幕府代官所を占領した。しかし、京都政界の変化によって討伐をうけ、9月16日、大和鷲家口で戦死した。時に年27才。

関連記事 ⇒ 史跡中024  古高俊太郎 旧邸跡 池田屋事変につながる

       

時代祭行列 前回の記事 ⇒ 時代祭行列 明治維新時代 維新志士列 七卿落の面々 

      次回の記事 ⇒ 時代祭行列 明治維新時代 維新志士列 頼 三樹三郎 


蔵のある風景中0412  京の通り・富小路通 NO53

2020年10月10日 08時57分33秒 | 蔵のある風景

 

蔵のある風景 前回の記事 ⇒ まち歩き中1385 京の通り・富小路通 NO47  蔵のある風景中0411回 

    次回の記事 ⇒  まち歩き中1393 京の通り・富小路通 NO54 間口の広い家屋 

下の地図のユーザー地図 の囲みをクリックすると 付近の記事が探せます