安土・桃山時代の天正7年(1579)、創建されている。檀越は寺西織部であった。
もと即心院と称し、現在、経蔵(重文)に納められている
一切経を写経した時の写経所となっていた。
写経は、建仁寺の高麗版蔵経を借用し、12人の僧が8年の歳月を費やしている。
写経の願主は、塔頭水月庵の無門和尚であった。
この水月庵は明治11年(1878)通玄院に合併されて
今日に至っている。
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