稲葉神社
稲葉神社の祭神と淀藩について
祭神稲葉正成公は、淀藩稲葉家の祖である。元亀2年(1571)に美濃国(岐阜県)本巣郡十七条の城主、林家に生れ、長じて稲葉重通の女婿となり、以後稲葉を称した。ところが、妻の死去により明智光秀の重臣斎藤利三の娘「福」を重通の養女として迎え再婚したのが有名な「春日局」である。
正成は豊臣秀吉に仕えその命により、小早川秀秋の家老となり五万石を領した。秀吉の没後、慶長五年(1600)関ケ原の合戦の功より徳川家康より感状を受け、のちに松平忠昌に仕えた。その後、下野の国(栃木県)真岡の城主となり、2万石を領したが寛永5年(1628)江戸において没し、現龍院に葬られた。
稲葉家が淀藩主になったのは、初代正成より数えて5代目の正知の時で享保8年(1723)下総国(千葉県)佐倉より10万2千石で入封した。その後明治4年(1871)16代正邦の時に廃藩を迎えるまで、稲葉家が12代148年間にわたり淀藩主であった。
稲葉氏時代の淀城下
昭和7年10月16日
手水舎
手水鉢 御寶
米問屋
元禄8年12月
御祭神
従五位 佐渡守
稲葉正成公
御室 春日局
稲葉神社
神心石
稲荷大明神
日吉大明神
熊野大明神
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