Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

失恋がしたい。

2020年05月31日 18時36分19秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最近、ある人物のエッセイを読んでいる。

昨年、年の離れた彼女と結婚された方だ。

別にそのエッセイは恋愛を語るものでは無い。

ただ、部分的に恋愛の話もあるだけ。

例えば、恋愛相談とか。

私も匿名で恋愛相談をされる事がある。

ある人物は私同様、青春時代を放棄した(とも言える)学生生活を送っている。

お互い、思う事は同じらしい。

「相談なんてされたくない」

律儀に答えておいてこんなこと言うのもどうなのか分からないが

ハッキリ言うと、私なんかに相談するより

自分の頭で考えた方がよっぽど良い案が浮かぶ。

私の考え方が面白いと言われた。

面識のあるこのブログの読者に。

私の考え方を私は面白いと思わないし

面白い事を書いている覚えもない。

それでも、誰かが面白いと言うならば

恋愛相談は「されたくない」と公言しても集まるならば

面白いのだろう。

役に立つのだろう。

恋がしたいなんて言わない。

私は、失恋がしたい。

              それでは bye! Konemy

忘れてしまうくらい大した事のない

2020年05月29日 18時48分48秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

暇な時間の過ごし方

こんな時期ですから聞かれることもあるでしょう。

私は芸人でもありませんから

大抵、大喜利感覚ではなく

真面目に答えます。

いちいち考えるのが面倒なので

十中八九、読書と答えますがね。

実際のところ

読書なんてしてしまったら

やらねばならない事がたくさんあるにも関わらず

不要なことに感けた気分で

あまり読書はしません。

せいぜい120分/日くらいです。

そもそも

やらねばならない事がたくさんある時を

暇な時間と考えている

前提自体に問題がありますね。

なので、言い直しして。

これと言ってやっている事がない時の過ごし方。

24時間、分単位で何をやっていたか言語化出来る人は

そうそういないでしょう。

私も流石に無理です。

ただ、一般人よりかは出来ると自負しております。

皆、口々に「何もしていなかった」というなか

三日に一度はこちらに記事を載せますからね。

語るに値するかは置いておいて

語る=言語化は出来る日々な訳ですから。

と、ゆうてますけども

大抵が持論の展開ですね。

そうです

私はこれと言ってやっている事がない時

考え事をしています。

時にメモに残し、時に思いつきだと忘却し、時に記事としてここに載せる。

スマートフォンを持ち歩く現在においても

持論に関しては手書きメモです。

どこぞのメモの達人さんみたいに天才じゃありませんがね、私。

手書きだとメモに残さない・残せないものがあります。

のちに語ろうと覚えておく努力はするんですけど。

忘れますね。

今日も何か語ろうと思って書き始めたこの記事は

いつの間にか

「何書こうとしたか忘れた」というものになってました。

まぁ、忘れてしまうくらい大した事のないのでしょうが。

              それでは bye! Konemy

夢にみる事

2020年05月27日 20時35分24秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

二日間は偶然ですが、三日目は被せました。

ごちゃ混ぜにならないように先に定義付け。

これって物事を語る上で結構重要だったりします。

定義

夢…睡夢

「夢」…願い

夢を見たんです。

叶わぬと知っている「夢」を。

諦めてはいけないと励ましてくださる方もいるかも知れませんが。

しかし、叶わぬものは叶わぬものです。

夢の中だから実現する事って多々あるんです。

現実世界にいる筈もない人との邂逅。

同じ世界にいる筈もない人との遭遇。

あまりにも非現実的な現象。

しかし

本来「夢」とは現実味を帯びているものでしょう。

そりゃ、抱く年齢によって若干変わりますが

別にプリキュアや仮面ライダーにだってなれる訳ですから。

私は「湯婆婆になりたい」と言って

ディズニープリンセスになった人を知っています。

叶わぬ「夢」は「夢」と呼ばないのかも知れません。

それでも

叶わぬと知っても尚

叶えたいという強い願いから夢として現れたのならば

私は夢に出てきたそれを「夢」と呼びたい。

夢にみるほどの事ならば

叶わぬものでも追う努力をすべきなんでしょうね。

『努力する事』昨日の語った言葉が

胸に刺さったナイフとなり抜く事が出来ません。

抜いたその瞬間、飛沫となって吹き出すでしょうから。

              それでは bye! Konemy

努力する事

2020年05月26日 23時17分25秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

今日、ふと思ったんです。

「努力」って良いな。

って。

そんなに長生きしていない私ですが

人生、少なくとも15年生きれば

そのうちの何処かで人間は努力するものだと思っています。

その程度なら生きてますね、流石に。

しかし、私は今まで生きてきた中で「努力」した覚えがない。

これは謙遜などではなく

一般的に「努力」とされる事を「努力」と称していない訳でもなく

本当に「努力」なんてした事がない。

流れる水の如く、その場をやり過ごし

ノリとテンション、そしてポテンシャルで15歳から待ち受ける壁を乗り越えてきた訳です。

まぁ、ちょっと特殊な事情で三年ほど早くその壁とやらにぶち当たりましたが。

そんな人間が

「努力」って良いな。

なんて言っても説得力がないと言うか

実が入っていないように思われるかもしれない。

それでも思ったんです。

叶うか分からない夢に向かって精一杯尽くす。

目標に向かってひた走る「努力」

私には決して出来ない事だと感じます。

私は既に諦めを覚え、今は惰性ですから。

現状維持。

「努力」出来る人を私は尊敬してます。

「努力」は総じて輝きを放つように思えます。

12・15・18の壁に挑む人々を

何故か神聖に思ってしまうのは

「努力の輝き」のせいなのでしょう。

当事者たちは全く感じないのでしょうがね。

果たして太陽は自らの光を目にしているのでしょうか。

どうせ諦めたなら

ただ無心になって輝きを目指す事こそ正解なのかも知れませんが

出来ないのが私です。

いつか。変われると良いですね。

              それでは bye! Konemy

嫌われる事

2020年05月26日 18時40分26秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

六年ほど前にある自己啓発本が発売されました。

『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』

岸見一郎と古賀史健の共著による、「アドラー心理学」を解説した本だそうで。

残念ながら私、拝読したことがないので

この本の内容に関しましてはこれ以上語りません。

ここからは「嫌われる勇気」に関して話していこうかと。

誰からも嫌われる事なく生きるなんて不可能でしょう。

全てにおいて全く同じ考えを持つ他人なんて

人類77億人いても存在しないでしょう。

せいぜい、ある一部分のみ似ている程度。

違いがあれば反対する気持ちが生まれます。

「嫌う」という漠然とした感情をここでは差異で表します。

自分の考えと違うから嫌う。

自分は良かれと思っているのに批判されれば嫌いになりますよね。

的を射ている・的確な指摘をされる

納得出来るのに何故か嫌い。

そういった例は、理解していないと思う指摘側と

言われずとも理解出来ていると思う受け手側。

この認識の差異でしょうか。

自分嫌いも差異でしょう。

理想の自分と現実の自分の差異。

もちろん、「嫌う」=差異ではありませんのでお気をつけて。

違うから無くせない「嫌い」を人間は恐ろしいと思うのか。

おそらく、人は嫌われることを恐れています。

「嫌われる勇気」なんて言葉が流行るくらいですから。

誰も進んで嫌われたいなんて思わないでしょう。

まぁ、あらゆる事において一部を除いて。

しかし、己の道を信じ

言動に後悔がないのなら

嫌われることを恐れてはならないように思いました。

はっきり言って私は嫌われ者でしょう。

逆恨みだと思いますがね。

自覚しているからった嫌われない為に

嫌われない努力するのは辞めたいですね。

言うは易し。

              それでは bye! Konemy



神聖視される手水

2020年05月25日 20時43分10秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

約10年ほど前の話です。

『トイレの神様』という植村花菜さんによる曲が流行しました。

植村さんの実体験をベースにしているそうで。

ラジオ発のこの曲は

音楽のみに止まらず

小説・絵本・テレビドラマ化までされましたね。

この曲中で語られている「トイレの神様」は女神様でした。

昔の話なので曲に関して

私なりながら簡単に説明しますと

トイレにはきれいな女神様がいるから、トイレを綺麗に掃除すれば

いつかべっぴんさんになれるよ。

と、いう話を歌っている曲です。

省略しすぎたんで、気になる方は是非歌詞を。

そんなに難しい歌じゃありませんので。

話を戻しまして。

トイレに神様がいるという話です。

古来、日本人は八百万の神を想像し

あらゆるところに神が在るとしました。

当然、トイレにも神様はいるのでしょう。

例えば烏枢沙摩明王(ウスサマ)とか。

これ、明王ですが元は火の神アグニですから。

まぁ、あとは神仏習合なり言っておきます。

人間は不思議と水のあるところを神聖視するような感じがします。

水=浄化するもの・清らかなもの

あくまでもイメージですが。

しかし

事、「トイレ」に関しましては

どちらかというと神聖と対極なイメージを持っている方が多いのかと。

少し前に話題になりましたが

便器って舐められませんよね。

抵抗、ありますよね。

そこらの一見透明な水は飲めても。

先ほども述べたように、トイレにだって神様はいます。

神聖な場所の一つなんです。

これは完全なる私事ですが

私宅の御手洗は北側と東側にあります。

お分かりだろうか。

方角が完璧過ぎるのです。

朝起きて、東側の御手洗の扉を開けます。

差し込む御光。

ここを神聖なる手水と言わず何と言う。

私は「トイレ」に対して決して神聖なイメージを持っているわけではない。

だが、確かに存在する。

「神聖視される手水」が。

              それでは bye! Konemy

蚊の叫びと飛行機の呟き

2020年05月24日 22時30分42秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

私の声は小さい。

ここで何を書いても(とまでは言わないが)

仮に画期的な事を書いたとしても

届くのはせいぜい数十人。

嘆いているのではない。

そんな小さな世界でも私は構わない。

特に世界を変えようなんて思っていないからね。

だが、それはあくまでも私が地声で叫んだ時に届く人々の数。

人間は便利なキカイを作った。

世に言うところの「アンプ」である。

最も分かりやすい例はマスメディアだろうか。

まずあり得ないが

私がここに書いた主張をNHK・大手民放が取り上げて放送したり

著名人が引用なんかすれば

万単位の人々に届く。

私を含め、多くの人に自覚はないが

記するものは

意識の上では無限の読者を想定するべきだ。

自粛期間のストレス解消か暇つぶしなのか

SNS(ここではTwitterを挙げるが)は意見で溢れている。

こんな意見を目にした。

「バカは黙っていろ」

この言葉に対して二つの意見があった。

「表現の自由」と「無知の危険性」だ。

前者は「バカだろうが発言する自由がある」

後者は「バカが発言すれば大変危険なものになる」

両者とも頷ける意見だと思う。

私はどちらかと言うと後者派のように思う。

「無知の発信」は「デマ」となり得る。

「デマ」と言い換えれば危険性を少しは感じるか。

朝鮮人は決して井戸に毒など撒いていなかっただろうに。

ストレス解消か暇つぶししている人の大抵は恐らく無知だ。

博識ならばストレス解消か暇つぶしで意見なんて述べないように思う。

読めばなんとなく分かる。

ただ不平不満・現状の嘆きをする人と

理路整然と根拠を示した上で意見を述べる人と。

確かにお上に問題があるのは否定出来ない。

なんせ、お上は「神」なんかでなく「人間の集合体」なのだから。

神の所業を求めるのは間違っている。

多くの人が分かっていない。

「政治にスーパースターなんていない」

近況で思うのは

「お上に問題がある」なんて事ではない。

人々が無知である事

そして、「無知の発信」という「デマ」となり得る言葉が集まり

蚊の叫びから飛行機の呟きへと変わってしまう事が恐ろしい。

無知の自覚こそ意見表明の始点だろう。

              それでは bye! Konemy

時ト光、閉ざされた部屋で。

2020年05月23日 18時22分59秒 | 日記


おはようございます。

Konemy述べる時間です。

ちょうど一週間前に。

久々に住まう街から出て

自室のカーテンを買いに行きました。

十年近く同じカーテンを使っていましたが

流石に劣化が進み、洗うと裂けてしまったので。

言い訳ではありませんが必要急なお買い物でしたね。

購入したカーテンは三代目となります。

先代と先先代は非遮光カーテンだったので

陽が出ればある程度、光を通しました。

しかし

三代目は遮光カーテン。

遮光カーテンが使われている部屋も自宅にはありますので

どういったものか知っていました。

知っているつもりでした。

「巣籠もり期間」なんて呼ばれたりもするここ最近。

一日の大半、二十時間以上

私は自室で過ごします。

その時間、なんだかずっと部屋が暗いんです。

「カーテンを開ければ良いではないか」

A.ここ数日の天気の関係もあってか、もしくは部屋が北側だからか

中途半端な光しか入ってきません。

「カーテン閉めて、電気をつければ良いではないか」

A.蛍光灯が暗いんです。薄らとでも外の光が入ってくると違うようです。

今まで、蛍光灯と友達だと感じていましたが

それは甘かった。

あの頃は太陽光とも知らずのうちに付き合っていたんですね。

光を感じない閉ざされた部屋は常に夜。

時が動かない。

時と光の中を感じた一週間。

              それでは bye! Konemy

1を3ドウィッチする今日

2020年05月20日 23時27分00秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

特に追加で語る事があって書いているわけではありませんが

今日は本ブログ開設から1331日だそうで。

あぁ、サンドウィッチだ。

そんな事を言ってみたりすると

まるで変わり者のように思われるのですが

そんなにおかしい感性でしょうか。

確かに、大きさで言えば

あまりバランスの良いサンドウィッチとは思いません。

しかし、数字の形としてはとてもキレイなサンドウィッチだと思いませんか。

はい。

この思考回路こそ変わり者と言われる所以なのでしょう。

そもそも

1・3・3・1と並んでいて

サンドウィッチとは思わない。

そこを議論せず、サンドウィッチのクオリティーを議論する。

もっと言えば

サンドウィッチの「サン」を"3"と表記する辺り。

我ながら、こういう所が好きです。

              それでは bye! Konemy

推しへの想いは湯水のごとく

2020年05月20日 22時57分48秒 | 日記
‎おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最近、現実で人に会わない代わりに

画面越しに多くの人と出会います。

私、割と影響されやすいというか

流されやすい部分もあるというか。

単刀直入に述べれば

推しが増えていきます。

この自粛期間に昔から好きだった様々が再燃したのですが。

例を挙げると

アイドル・アニメ・映画・音楽・小説などなど

目にする機会・時間がたくさんありましたからね。

アイドルやアニメの「推し」は界隈の人なら確実に

じゃなくても何となく理解出来るかと思いますが

映画・音楽・小説で「推し」とは?

と思う方もいらっしゃるかと。

こちらは

映画なら監督や俳優

音楽なら作詞作曲、歌い手、演奏者

小説なら作者と登場人物ですね。

先に言った「推しが増える」というのは

見る人によっては「浮気」と言えてしまうかも知れません。

さて、ここで疑問が生まれます。

推しへの想いは愛と比較されるものなのだろうか。

仮に恋人がいたとしましょう。

そんな時に新たな恋人と付き合うなんて一般的には以ての外でしょう。

しかし、恋人がいても

俳優やアイドルが好きというのは許されるのではないでしょうか。

あまり陶酔するのは感心しませんが。

となると

「想い」と「愛」は別物なのでしょう。

推しが増えれば推し一人ひとりに対する「想い」が少なくなるという考え方もあります。

理解は出来ます。

しかし、私は思います。

推しへの想いは無限。

湯水のごとく、無尽蔵なんだと。

これは、自分の行いを肯定する為の言い訳でしょうか。

              それでは bye! Konemy



大団円が悲劇より辛い

2020年05月19日 22時06分58秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

本題の前に。

何気なく目にしたブログ開設からの日数が1330日だったので一言。

ありがとうございます!

さて

緊急時ほど人間の本性が出る、とは能く言ったものです。

実際、ここ最近は家庭内暴力等の事件が増えてるらしいですね。

ソースなき、伝聞情報ですが。

まぁ、準備・身構えが出来ない状況下では本性が出るのは事実でしょう。

それは何か対応に追われる時のみならず

日常のふとした瞬間にも。

「他人の不幸は蜜の味」

世の中には不幸話が溢れています。

悲劇などと言われるものですね。

家に引きこもっていると、多くの映像作品と触れます。

喜劇はもちろん、悲劇、恋愛モノなど。

そんな中、ある作品を観た時

私の心にモヤモヤとした、言葉では表し難い不快感を感じました。

具体的なタイトルは控えますが

どんな話だったか、一言で述べると

それは「大団円」

ハッピーエンドです。

悲しむことなんて何もない。

過去の苦しみを全て乗り越えた先に待つ結末。

モヤモヤどころかスッキリするはずなんです。

たまたまか。

そう思って入られたのは1日程度だったと記憶している。

喜劇、恋愛モノ、大団円。

観た後の私の心にはモヤモヤが溜まっていった。

そして、悲劇を観た時。

晴れ、とまではいきませんが

確かに雲間から光が差したように感じた。

悟りました。

あぁ、私はこの極限化において他人の幸せだったり感動を厭うようになったのだと。

そして、他人の不幸を蜜とするようになったのだと。

どれほど幸せであろうがその気持ちに共感できないこの苦しみ。

大団円は悲劇より辛いんです。

辛い。

喜びが苦痛という悲劇。

              それでは bye! Konemy

文学的な人生なんて歩まないに越した事がない。

2020年05月18日 22時00分54秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

何度言っても変わらない

変わらない日々ですが

そんな中、ある言葉を目にしました。

その言葉を紹介する前に、ちょっと自分語りを。

私は諦めたんです。

手に届かないものを追い求めることを。

夢は語ることに意味がある。

抱く事に意味がある。

どんな不可能も挑戦しない事には叶う事がない。

希望を持って、夢を追いかける人は

叶うと信じて、叶わぬかもしれない事を追いかけているのでしょう。

私には出来ない。

出来なかった。

いつの日か私は

努力する事を止めました。

捨てず、拾わず、ただ在るように。

現状維持。

こんな生活、描くに値しないんですよ。

なんてったって無気力なんですから。

在るが儘、思うがままにと言えば聞こえは良いですね。

実態は全然違いますが。

「聞こえ」と「実態」の差。

これは確かに描くに値するかも知れませんが

とても読めたモノじゃないでしょうね。

まるで遺書だ。

だから、描きません。

でも、描かないという事は。

持論ですが

人生は一人一人が主観で描く物語です。

描かない事は自らの人生の否定。

捨てず、拾わず、ただ在るように。

現状維持に逆らいます。

さぁ、ここで

私の心に久々に響いた言葉の登場です。

『文学的な人生なんて歩まないに越した事がない』

描かれる人生なんて送る必要はない。

点を打ち続ける人生で構わないのです。

点の集合体こそ線なのですから。

言葉一つで楽になる。

そんな事があるから私は言葉に縋るのでしょうかね。

              それでは bye! Konemy



愚話

2020年05月17日 22時28分44秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最近、ここ二ヶ月に比べたら

多くの人と話すようになったのですが。

もちろん、通話でですが。

必ずといって良いほど話題に挙がるものが一つ。

「自粛期間(ここ一ヶ月)何やってた?」

久々の会話がそれか!

なんてツッコミを入れたくなりますが

私とお話ししたい人なんて居ないわけでして。

ひねり出した話がそれって事です。

自分で言っていて悲しくなります。

話を戻して

大抵みなさん「ゲーム」「昼寝」「動画鑑賞」

画一化された答え。

「他には?」

話を続けたい私はそんな地獄の一言を掛けて回します。

そして、返ってくる答えも似たようなものの並列。

「え……特にありません」

以前、ブログで取り上げましたが

一日は24時間あり

それほど長い時間を過ごしているというのに話す事が

「ゲーム」「昼寝」「動画鑑賞」で帰結するはずがありません。

他にもあるでしょ?と思うのはやはり私だけなのでしょうか。

「話が尽きないね」

通話相手に言われた言葉です。

多分、何もか考えず、思うままに言っただけなんでしょうが。

私から言わせて頂けば

「よく話が尽きるね」

これはまぁ、「話」の定義というか

「話す事」の認識違いというのは既に把握しています。

私は卵焼き一つあれば話をしますが

一般的にそんな事はしないのでしょうね。

わざわざ文章・物語として残すに値しない話。

それでも私は話がしたい程、飢えているんです。

どんな愚話でも。

              それでは bye! Konemy

『夜明け前が一番暗い』

2020年05月15日 22時34分44秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

先日、緊急事態宣言が39県で解除されました。

以前、私はこんなことを言っていました。

『あくまで一切の根拠のない予想ですが

4月15日まで首都圏は二桁後半から三桁前半の感染者が出続けるでしょう。

以降、落ち着きを取り戻し

4月29日からはポツポツと一桁台で出現する程度か、感染者が確認されない日が続き

5月6日には収束の兆しが見られるのではないでしょうか。』
(四月になれば彼は。)

4月7日と、今から一ヶ月以上前の話です。

実際のところどうだったのでしょうね。

書いた内容に責任は持ちませんが

書いた事には責任を持とうかと。

NHKがHPで発表しているデータを基に確かめます。

上記は首都圏としているので、一都三県(東京・神奈川・埼玉・千葉)を基準とします。

理由は今日現在の状況からお察し下さい。

まずは4月15日。(単位は「人」)

東京(以下「東」):127
神奈川(以下「神」):40
埼玉(以下「埼」):61
千葉(以下「千」):35
平均:65.75

次は4月29日。

東:47
神:25
埼:15
千:4
平均:22.75

そして、5月6日

東:37
神:7
埼:9
千:2
平均:13.75

最後に、昨日14日。

東:30
神:32
埼:4
千:0
平均:16.5
※神奈川県は定かではありませんがクラスター感染のような事態が起こっていたようです。

結論から言うと、贔屓目に数値だけ見れば予想は当たったとも考えられますね。

大変、微妙ですが。

しかし、言わずもがな。

油断は絶対禁物です。

私が尊敬する田中仙堂先生がこんなことを述べていました。

『夜明け前が一番暗い』

そして『明けない朝は来ないので、今少し、辛抱することが大切』です。

              それでは bye! Konemy

入浴剤の断末魔は手の平の中から。

2020年05月14日 23時16分12秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最近段々と暖かくなってきて

すっかり初夏。

前にも同じような事を言ってますが、今日も感じたので。

これを記す部屋の現在は熱帯夜。

26.5℃

しかし、日中は32〜33℃の中で過ごしているので

皐月にして真夏日環境に順応し始めました。

そうなると、熱帯夜すら薄ら寒くなってくるのです。

故に、季節外れの入浴剤を風呂に入れて浸かってみました。

近年、薄荷成分入りだかなんだか分かりませんが

メントール系の入浴剤も存在しますが

使ったものはガッツリ冬用・ポッカポカです。

因みに、湯の温度は39℃とそれほど高くありません。

冬場も高くて41℃と普段から高くないんですが。

で、ここまで入浴剤の話をしていますが

実は何も入れずに真水を沸かしたままの湯に浸かる方が私は好きだったりするんです。

じゃあ、何故に。

ごもっともな指摘。

私は結構、周囲に合理的だと判断されます。

育ての親に合理的と評価されるくらいなんですから

合理的なんでしょうね、客観的には。

主観的にはあまりそんなん感じがしません。

気分屋です。

行い全てに理由を求めていては、私は動けなくなってしまいますよ。

理由なんてありません。

言うならば

「そこに入浴剤があったから」(ジョージ・マロリー改)

時として、人間は衝動で動きます。

お湯に投げ入れた刹那

悲鳴を上げながら溶けゆく入浴剤。

次第に、その姿は小さくなっていき

水面に浮かびます。

形はドーナツ状。

その姿を見て、思うのです。

握りたい。

私だけでしょうか。

入浴剤の断末魔は私の手の平の中から聞こえてくるのです。

破壊衝動ってやつなんですかね。

可愛いもんだと思いますが。

              それでは bye! Konemy