Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

タモリさんが欲しい

2021年04月26日 19時27分39秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

たまには随筆じみたものを書こうと思います。

エッセイ本に憧れてこのブログを開設した……訳ではありませんが。

ブログを書き始めてから結構読むようになりましたね。

主にオードリー若林正恭さんの。

それはさておき。

本題です。(文体変えます)

本日、髪を切りに行った。

前に行ったのが今年の初め。

約三ヶ月ぶりの散髪。

標準的な間隔だと私は思っている。

理髪店が私は好きだ。

首元に突きつけられる鋏でヒヤッとする感覚。

耳元で絶えず聞こえる鋏の駆動音。

理科室以上の水圧で頭頂を刺激するオートシャンプー。

全てがここでしか味わえない。

そして、私は理髪店が嫌いだ。

向かい合う事を強要される巨大な鏡。

耳元で響くバリカンの金切声。

鼻腔を刺す染毛剤の香り。

とても快適とは言えぬ環境。

それでも私は髪を切りに行った。

選択の問題か。

否。

日常だろう。

絶対善なんてないだろうに。

ところで、私って髪を切っても周りに指摘されないんです。

考えられる理由はいくつか。

気づかれるほど切っていない。

同性に囲まれた青春時代でそういった環境にいなかったから。

あるいは

私になんて興味ない。

本日髪を切りに行ったその前。

今年の初めから今日まで。

私は知人とほとんど顔を合わせていません。

ある人が言いました。

『他人の為に身なりを整えるんだよ』

「自分の為に」という話は美容関係でたまに耳にしますが

『他人の為』とはまたまた。

しかし、私が髪を切る理由は「自分の為」ではありません。

興味がないというか

嫌いというか。

それは言い過ぎか。

画像加工アプリの隆盛で自己肯定感を損なう

なんて話がありますが

根本として、自撮りする人は一定以上自己肯定感があるからこそしているのであって

考えるべきは自らの顔写真を「整形」する人ではなく

手軽に手に出来るはずの題材を手にしていない人だと思います。

鏡が嫌いなんです。

メガネを外し、歪んだ世界を揺蕩って時間を過ごします。

「自分の為」ではない。

なら、他人の為なんでしょうね。

散髪の意味を問う。

恐縮ながら

私は友人にタモリさんが欲しい。

「髪切った?」

たった一言は救いになる魔法の言葉なのかも知れない。

              それでは bye! Konemy





責任

2021年04月20日 22時49分41秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

ふと、思いました。

私って何も背負っていないなって。

考えてみればそんな事はないはずなのですが。

こうやって駄文を書いて

自らの考えを記しているのですから

このブログの文責が存在しています。

もし仮にこのブログ内の文章に他者を誹謗中傷するものがあり

どこかしらで取り上げられ

晒され

非難され

(だいぶ偏見ですかね……)

そうなった時にその文章を書いているのは私ですから

謝罪か賠償か

何かしら責任を負う事になりますね。

でも。

取り上げられますでしょうか。

晒されますでしょうか。

非難される事は……まぁ、あるかも知れませんね。

普遍的な考えを述べている覚えはありませんから。

異なった考えの人に批判される事は充分あり得ます。

ここです。

ここにふと思った理由があるんです。

負わされる事がまず無い責任なんて無いも同然です。

さらには。

以前までは何かしら「私が消えてはならない理由」がありました。

それも一種の責任です。

存在することの責任、でしょうか。

世の中では「肩書き」なんて言われ方をするものが

存在する責任というものを分かりやすく表してくれています。

私にも自称・他称の肩書きがあります。

自称の方は……上記理由により責任は無いも同然状態ということで。

他称の肩書き。

実はこれも存在する責任を表していないように思います。

孤独な肩書きですから。

存在している理由は「存在している」から。

いつの日か、私を縛りつける責任を負えますように。

              それでは bye! Konemy

「シン」の意味を問ふ

2021年04月02日 10時48分26秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

先日、ある映画を観に行きまして。

書きたくなったというか

そうですね

「書いておきたくなった」ので。

先に述べますが、別に考察する気はありません。

ただ、私が思うことを綴るのみです。

ネタバレもありません、多分。

まずは、私がどの程度映画好きかという点から。

自己評価としては平均以上といったところでしょうか。

世間・個人的に色々ありまして

ここ最近は行けてませんが

年に12本以上

換算すれば月一ペースで観み行ってました。

実際はハシゴとかするので。

自宅鑑賞を含めれば年100近くになるんですかね。

次に、ある映画のシリーズ履修歴を振り返ります。

アニメ→旧劇→新劇 とありますが

アニメは一部しか見た事がなく、ネタとして使われる終劇を知っている程度。

旧劇は「Air/まごころを、君に」をテレビで鑑賞しました。

公開は出生前でしたからね、致し方なし。

(あらあら。年齢がバレる。別に隠していませんが)

そして、新劇。

始まりの2007年。

劇場で観る年齢ではありませんでした。

えぇ、言い訳です。

この時代は時の神と空間の神、そして悪夢を見せるモンスターの映画とか

観ていましたね。

ゲームは翠玉止まりで金剛石や真珠は守備範囲外です。

続く2009・2012年もまだ。

教育上の……都合ですかね。

でも、魔法界や超能力者と刑事の戦いを劇場で観るくらいまで成長していました。

結論を述べますと

シリーズ通して劇場で観るのは今作が初めてです。

公開前に特別上映やってたのに、なぜ行かなかったのか!

後悔しております。

世間・個人的に色々ありまして。

前置きはこれくらいに。

ようやく本題です。

:序→:破→:Q と来て :|| 

反復か、終止線か。

日本人は言葉遊びが好きですから。

パッと思い浮かんだくだらん文を。

「このはしのはしにあるはし」

普通に私のPCで自動変換すると以下に。

「この橋の端にある橋」

ですが、ひらがな表記なら、一文で結構な意味がありますよね。

・「この橋の箸にある端」 ・「この橋の端にある箸」 
・「この箸の端にある橋」 ・「この箸の橋にある端」 
・「この端の橋にある箸」 ・「この端の箸にある橋」

書いている最中にゲシュタルト崩壊を起こしそうでしたよ。

読んでも同様のことが起こりそうですが

多少の違和感はあれど、全て状況としては有り得ない文ではありません。

記号ですが「:||」も同様に複数の意味を同時に持ち合わせるのでしょう。

それよりも先に述べるべき点がありましたね。

ようやく本題の本題です。

「シン」

前略。

真っ先に思い浮かぶのは「新」ですね。

なんて言ったって「"新劇"の完結」なんですから。

でも、観た身からしてみれば他の意味も持たされてると考えざるを得ません。

長くなるので本題ですが完結にまとめながら。

アニメ→旧劇→新劇と経て「真」実の終劇

少年よ、「神」話となれ。そして迎えた終劇

繰り返される円環から新たな人生を歩むために「進」み始めた、前生の終劇

他にも持たせようと思えばいくらでも。

最後に。

鑑賞後、私は号泣してしまった訳ですが。

『Beautiful World』

畏ろしい名曲です。

『もしも願い一つだけ叶うなら 君のそばで眠らせて』

たった一文です。

けど、この一文なんです。

              それでは bye! Konemy