Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

食肉衝動

2019年09月29日 22時57分53秒 | 日記
おはようございます。

今日は何だか筆が止まる気がしません。

適当に終わらせる気ですが、多分長くなりますね。

さて、早速本題へ。

先週から一週間かけて

ある考えさせられる事というものがありました。

時事ニュース・創作物・芸能ニュースで取り上げられた

それぞれの情報単体では

決してこの疑問を私に抱かせる事はなかったでしょう。

まずは、先にそれぞれの情報について語りましょう。

①豚コレラ感染拡大

そもそも豚コレラとは

豚コレラウイルスにより起こる豚、いのししの熱性伝染病で

排泄物などによる強い伝染力と

感染豚の高い致死率が特徴と言われている。

ただ、現時点では

あくまでも豚やいのししの病気であり

人に感染する事はない。

つまり、感染豚を食しても人体に影響はないと考えて問題ないし

そもそも感染豚が市場に出回るとは考えにくいので

一般市民にとってに影響は

豚が食べられなくなる程度なのだろう。

一般市民にとっては。

畜産農家にとっては話が変わってくる。

端的にいうと

事務職員にとってのインク切れ。

商売道具の欠損・損失。

文字通りの死活問題。

大量死した豚の映像をどうか無関係だと思いながら見ないで欲しい。

②『仮面ライダーアマゾンズ』

個人的話なので簡潔に。

『仮面ライダーアマゾン』をモチーフとした

ネット配信限定の仮面ライダーシリーズ。

ただそれを最近視たというだけの話だ。

あらすじなど気になるか方は是非ご自分で。

ここで述べておくべきは

作中で登場する敵キャラ(?)の「アマゾン」は

人を食すという事だ。

ここで重要なのは

人だけを食す訳ではないという事だ。

どこぞの喰種みたいに

コーヒーと人で生きている訳ではない。

③『約束のネバーランド』実写化

観ないだけだから結構だが

個人的見解は完全否定派だ。

肯定出来る点が何一つない。

悲しいほどに。

実写化について語ると長くなるので

また追い追い。

ここで述べておく事は

人を食べる鬼がいて

主人公たちはその鬼に”飼われている”という事だ。

ここまで三つの情報を挙げてきた。

三者三様。

三つを聞いたところでこんな疑問を抱くのは私ぐらいではないかと

勝手に自負しておこう。

さて、何を思ったのか。

ようやく本題だ。

何故、食人者は生きた人間を美味そうな目で見るのか。

何の話だ?

と思われるだろうか。

それもそうだろう。

実際に食人者・人肉嗜食者なんて会った事がないだろうから。

逆に会った事がある方が珍しいと思う。

これはあくまで

次元を一つ欠いた世界での話になる。

次元を取り戻そう。

我々は雑食であり

もちろん肉も食べる。

牛・豚・鶏をはじめ

所によっては

鹿・猪・馬なんてものも。

我が国からしてみれば考えられないが

犬も人間は食べる。

それでも同族を日常的に食べる事はない。

だからもちろん人のことを見て

真面目に「美味しそう」

なんて思う人はいないと願いたい。

ならば、食べる肉の生前を

人間は「美味しそう」と思うのか。

一人、鳩を見た時に「美味しそう。」

と言った人を私は知っているが

個人的には精肉ですら美味しそうに感じるか怪しい。

調理されていなければ「美味しそう」なんて思わないのだ。

牧場にいる牛・ニュースで取り上げられる豚・撒き餌さに群がる鶏

それらは牛であり、豚であり、鳥なのだ。

これが普遍的な考えなどではなく

もしかしたら一般的な考えですらないのかもしれないが。

闊歩するそれらを見て美味しそうなんて思わない。

前記した三つの情報は繋がっただろうか。

私独特の飛躍した理解し難い発想だったりするから

理解出来ないのが普通なのではないかと思う。

まぁ、理解は出来るが同意しない程度が理想だ。

              それでは bye! Konemy

影。影法師・影踏・影縫

2019年09月27日 09時08分27秒 | 日記
おはようございます。

広がる青空。

散らばる白雲。

照らす太陽。

私が最も好み

同時に嫌う天気が広がります。

そんな日に広々とした道を歩いていると

何者かがついてくる。

決してこれ以上近づいてくる事なく

また、離れる事もなく。

時折障害物で折れ曲がり

一定間隔を保ちながら

ただついてくる。

その名は「影法師」

「法師」とは

単に「人」を指す場合もあれば

「男の子」を指す場合なんかもある。

はたまた

仏法に通じた人

例えば僧などを指す場合もある。

私が思うに

「影法師」の「法師」は最後者に当たる。

一体、私はこの影が敵でない事を

いつ、どこで、どのように認識したというのか。

別の解釈で考えよう。

「影法師」=「影人」

黒ずくめどころか、真っ黒な人にストーカーされる気分は如何に。

それが晴れた日には毎日、常に。

背後から殴られ、謎の薬を飲まされた後

児童として生きるほうがまだマシだろう。

「影法師」=「影男」

視認は出来てもつかめない。

そんな真っ黒な男に追われる気分。

想像もしたくないだろう。

私が思うに捉え方なら。

「影法師」=「影の僧」

無宗教といえども

仏教が知らず識らずのうちに

刻み込まれていた日本人にとって

僧に"見守られている"気分は

決して悪いものではない。

と、勝手に思っている。

話を問題提起まで戻して。

私が「影法師」を敵ではないと

いつ、どこで、どのように認識したか。

いつ:不明だ。「影」の概念を知った時か。

どこで:まぁ、「影」の見えるところ。

どのように:共に生活する、実体験に基づいて。

当初は恐れていたのかも知れない。

それを親が「恐ろしいものではない」

と教え、覚え

何年も共にすることにより

敵かも知れないという疑念を拭った。

結局は

「影法師」という名は親の言葉他から学んだ事で

私自身が名付けたものではないので

どう捉えようが敵味方判断に影響はない。

辞書によっては

「影法師」の「法師」は「人を指す」

としているものもある。

辞書にそう書いてあるから。

そんな短絡的な考えは嫌いだが

辞書は一般的に正しいから

私の見解が少数派なのだろう。

さて

敵ではないという結論が出たところで

「影法師」は一体何なのか

軽く考えよう。

まぁ

「光が物にさえぎられて出来る人の形をした暗い部分」

なんですが。

それではつまらない。

そもそも「影」って

光遮られた暗い部分と同時に

遮られているもの自体も指します。

つまり

「影」=光なのです。

面白いですよね。

これが

「光あるところに闇が生まれる」

RPG・ヒーローモノの

典型ストーリーの所以です。

ここから考えられる「影法師」の正体は

影法師の主の「分身」である。

「影踏」という遊びをご存知か。

最近の子供は蛍光灯やLEDに育てられて

嘆かわしい訳ですが

その話は置いておいて。

影踏は鬼ごっこの一種で

影を鬼に踏まれたら鬼になる

鬼ごっこですね。

「分身」要素感じるでしょう?

その他

「影縫」

様々な被造物に登場しますが

何故、影に針を刺されたら動けなくなるのか。

「分身」だからでしょう。

前述で

影法師を何故敵だと認識しないのか

などとほざいておりましたが

敵など論外!

影法師はいわば自らの分身。

守護霊に近いところがあるのでしょう。

それでも私は考えてしまうのです。

この「影法師」はいつか私を襲ってくると。

「分身」である暗い部分だから。

バカバカしい話ですね。

それでは bye! Konemy

美しくも穢らわしく、穢らわしくも美しい

2019年09月26日 21時23分26秒 | 日記
おはようございます。

珍しく時間が出来たので

映画を鑑賞して参りました。

ここ最近

倫理を気にした

商業映画ばかり観てたのでね。

少しは私好みのものを……。

と思いまして

『見えない目撃者』を。

主演は吉岡里帆。

R15指定の大変危険な映画となっております。

ネタバレは出来るだけしないように……。

感想を一言で述べるなら

「日本映画のくせに頑張った。」

ってところですかね。

残酷的描写に耐性がない人は

五分も劇場にいられません。

R15指定でも良く公開できたな

という感じです。

骨を断つ際、刃と奏でる協和音。

切断されて露わになる穴。

大きなスクリーンで映し出された数々の残酷なシーン。

変に隠さず、スッキリするものがありましたね。

原作は韓国の映画『블라인드』(『ブラインド』)

日本版リメイクにあたり

・主人公の失明前の肩書き

・事件への巻き込まれ方

・事件の被害者たちの年齢層

・犯人の職業

・重要人物他の結末

・犯人vs主人公の結末

などなど、変更になっているそうですが

大枠はあまり変わらないかと。

まぁ、お隣だと通用する事情が

こちらでは通用しない・不自然ゆえの改変かなと。

私が思うに

・若者とその親が抱える闇

・権力組織に対する不信感

・日本国民の他者への無関心

の要素が原作からの変更で加えられているかと。

要は現代日本が抱える闇ってやつですね。

皆さんが自覚している事です。

作品の話はこの辺にして。

文学・フィクションの世界から脱すると

常に喪失感に襲われる。

非現実的な世界はもちろん

現実味を帯びたものだったとしても。

今回で言えば

私の隣に死者はいない。

身近な山に死体は転がっていない。

血の池なんぞ見た事がない。

しかし

要素となる人は

私が生きる世界に恐ろしく多くある。

誰かを殺せばそこに死体が出来上がる。

それを捨てれば死体ある山の完成だ。

殺し方によっては辺り一面、血の海と化す。

隣にはなくとも

その隣にあるかも知れない。

現実には確かに存在する。

そして思うのだ。

私は運が良い。

汚れた部分を知らない

一部の烏合でいられているのだから。

私の生きている世界の本来の姿は

美しくも穢らわしく、穢らわしくも美しい。

              それでは bye! Konemy

月を仰いでいた、それはまるでかぐやのように。

2019年09月25日 21時29分39秒 | 日記
おはようございます。

夏を経て

体感温度が狂いまして

本日、非常に薄ら寒いです。

熱帯夜だというのに。

今夜の月は26歳。

何故そんな中途半端な月を語るのか。

端的に言ってしまえば

消滅の美学ですかね。

いつの間にか

日本で花といえば桜になってしまった。

私は未だ梅派なんだがね。

平安は好かん。

京都学をかじる身なのにね、皮肉だよ。

そんな事はさておき

日本人の心は桜だ。

なんて言われるほど

日本で桜は好かれている。

理由は如何に。

一節に「散るから」だと。

「お上万歳」「天皇万歳」

そんな事を本気で思いながら

腹を切る・自害する

そんな時代がありました。

散ることは美しいのです。

話を戻して。

月は見ますか?観ますか?視ますか?

それとも掬いますか?

「海底撈月」「ムーンレイカー」

月は古来より遠く離れた事柄

「無駄事」に例えられていたように思います。

その他、美の象徴などにもされてますね。

それほど月は尊いものだったのです。

そんなものを

見る・観る・視るなどおこがましい!

私は仰ぎます。

科学の発展により

人類の足跡が残されていたとしても

闇夜を照らす光です。

鏡を神格化する国なんだから

太陽の光を反射しているだけだろう

などと野暮な事はおっしゃらないで下さい。

月は……美しいですね。

因みに本日は薄雲に閉ざされ

空に広がるのは闇です。

それでは bye! Konemy

”1080”

2019年09月12日 09時12分43秒 | 日記
おはようございます。

最近、外出どころか

報道すらまともに見てないので

世の中から隔絶された気分です。

これでも1日何度か届く

ネットニュースには目を通してますし

新聞にも毎日目を通しています。

なのに

私は昨日、静かさしか感じなかった。

18年前のことである。

日本が成し得なかった事。

史上初めて本土攻撃を成功させた

ある集団があった。

残念ながら私の記憶に事件のものはない。

それでも毎年のように話は聞いていた。

今年は聞かなかっただけの話である。

九月も半ば。

今週末には半分が終わる。

8%の時代が終わりを告げるのだ。

未だに”1050”に馴染みがある悲しい人はいるだろうか。

私が私の財布からお金を出して支払うようになった頃は

既に”1080”の時代だった。

だが、”105”には馴染みがあり、未だ抜けない事を否定しない。

何が言いたいって。

今日、本ブログ開設1,080日なんです。

ただそれだけです。

              それでは bye! Konemy

空の青さを知る者よ

2019年09月10日 22時04分16秒 | 日記
おはようございます。

長月に入ってからほとんど外出せず

自らの城に籠城する日々を送っております。

狭く限られた空間ですら動く事なく

ただ座っているだけ。

足が既に退化していると思われる。

私の眼に映るのは白い蛍光灯の光のみ。

外界に広がる

華やかな色など

とうに忘れてしまった。

報道を見る限り、今日は晴れたらしい。

思えば

一昨日から昨日にかけて

妙に風が騒いでいた。

荒れていたんだね。

田舎住まいでも

私の城の”太陽”は健全だった。

一瞬の揺らぎもなく

私を白く照らしてくれた。

あんなもの、無くなってしまえば良いのに。

そんなことを言っていた時期があった事は否定しない。

数日後、久々に拝まざるを得ない状況になったら

私はまた思うのだろう。

「あんなもの、無くなってしまえば良いのに。」

決して音にはならないだろう呟き。

言霊信仰主義なもので。

えぇ、言葉の力は偉大で、強力です。

逸れましたね。

実際には無くなってしまっては困るものの消失を

度々人間は祈る。

反抗期の両親なんかが対象ではないだろうか。

もしかしたら既に「祈られているもの」がこれを読んでいる可能性もある。

一方通行なんでね

どのくらいの年齢の

誰が

何の目的で

私の駄文を読むというのか。

全く分からない。

貴重な時間を割いてくれる事に心から感謝する。

繰り返すが、対象がはっきりしない以上

私以上の年代を対象として述べる。

過ぎ去った過去の日々を思い返してもらいたい。

私に反抗期はなかったが(本当である)

一般的には親の存在が邪魔になる時期があるらしい。

まだ健在だろうか。

それとももう既に……。

人間は失って初めて気づくことが多いです。

しかし、度し難いほど愚かでもない限り

”絶対に”失ってはならないものの消失を

本気で祈るものはいない。

誰しもが酸素や水の存在の消失は願わんだろう。

太陽の消失も同様だ。

私は太陽に拒絶されているように感じているが

いざ関心を向けられなくなるのも悲しいものだ。

空の青さを知る者よ。

今日の空は綺麗だったかい。

---以下、念の為---

10月11日(金)公開。

「あの花」「ここさけ」の長井龍雪監督最新作『空の青さを知る人よ』

 脚本:岡田麿里 キャラクターデザイン・総作画監督:#田中将賀 音楽:#横山克

 原作:超平和バスターズ 

出演:吉沢亮・吉岡里帆・若山詩音・落合福嗣・大地葉・種﨑敦美・松平健 

主題歌:あいみょん

公開までおよそ一ヶ月。

既出作品が好きな方にはとっても良い作品だと思います。

あくまで予告を観る限りでは。

オチが行方不明です。

              それでは bye! Konemy

白い壁押す左手の感触

2019年09月08日 21時30分39秒 | 日記
おはようございます。

先日

世界の安全な都市ランキングといったものが

発表されました。

ソースは英国・エコノミスト誌

一位が東京でした。

実感あります?

確かに

令和始まって以来

呪われの県・神奈川よりかは安全なのでしょう。

登戸児童連続殺傷事件

シーサイドライン逆走

そして、東急脱線事故は記憶に新しいでしょう。

まぁ、この程度の事件・事故

以前から記憶に残らないだけで記録には多く残っているのでしょうが

呪われていると人々に感じさせる程重なっている事実は変わりません。

話を戻して

世界から見ると東京は安全な都市でしょう。

他人を警戒しながら東京を歩く人の方が少ないのではないでしょうか。

そして、実際に警戒せずとも問題ない。

別に私は世界から見ると東京は安全な都市なんかではない

と主張する気はありません。

ただ一つ、気になる点が。

安全な根拠として挙げられている一つに

災害に対する防災が優秀

とあった。

確かに、東京で災害による甚大な被害の話はあまり聞かない。

私が無知なだけであろうが

東京で災害による甚大な被害が出たのは

関東大震災が最後なのではないか。

しかし、それは東京の災害に対する防災が優秀

なんて事はなく

ただただ災害が訪れないだけだ。

神が……もとい……

大権現さまが守る首都・東京は

備えずともどうにかなってしまったのだ。

今までは。

明日はどうだか分からない。

今この瞬間以降、安全だなんて保証は一切無い。

現在進行形で迫り来る脅威。

楽しみですね!(皮肉です、笑うとこですよぉ〜)

今日の主題はこれからです。

ファクサイさんが来ようが

私の思考回路には何ら影響がないようです。

夢ならば冷めてくれ。

主に絶望的な状況に陥った際に

稀に度を超えた幸せな出来事に遭遇した際に

人間が思う事である。

覚ます方法として有名なのが

ほっぺたをつねる事である。

ただし、これは効果がない。

私個人の体験がソース故に

個人差があるのかも知れないが

現実味を帯びた夢はそんな甘いものじゃない。

根本として

夢と現実の区別がつかない場合

夢と疑うことすらしない。

だから、覚まそうともしない。

仮に違和感を持ち、覚ます努力をしたとしても

現実味を帯びた夢は

現実以上に現実を構築する。

日々の生活で想像以上の痛みを感じる事はないだろうか。

扉の角に小指をぶつけた。

大した痛みじゃない想定だったが

倒れこみ、立ち上がれぬ程の痛みだったり。

少し当てはまりにくい例だったかも知れないが

人間の想像は現実において完璧じゃない。

だがしかし

夢の中の痛み・感覚をはじめとする五感は

全て想像と完全に一致する。

それは私の脳内で構築される世界が夢であるからして

全くもって不思議ではないが

想像通りの痛み・感覚。

夢だと気づかないのだ。

多少の違和感が感覚の一致により吹き飛んでいく。

ならば

現実と夢

それぞれの感覚を覚えれば良いのだ。

どこの世界でも私が実践する事がある。

壁に左手をかざし、触れるのだ。

白い壁押す左手の感触。

それが私をこの世界に繋ぎ止めてくれる。

それが私をこの世界へ帰還させてくれる。

何もかも低気圧のせいにしよう。

              それでは bye! Konemy

階段協奏曲

2019年09月04日 21時09分59秒 | 日記
おはようございます。

日常生活で利用しない日の方が少ないであろう

人の知恵「階段」

人が歩けば音が立つ。

平地を歩くより

段差を越えていく階段の方が

その足音は大きくなる事が多いです。

私は普段

階段から比較的遠くで生活してますが

(あくまで同環境他者比)

階段の昇降音で目を覚ます事が多い。

と、いうかここ数年毎朝と言っても過言ではなかろう。

ドン・ドン・ドンドンドン・ドン・ドン・ドンドン……

私の目覚ましはこんな所。

そんな階段の足音を気にしながら生きている人なんて

数少ないでしょうね。

しかし、歩き方は

指紋・静脈と並ぶ

立派な個人識別ツールの一つです。

数多繰り返すといえバカにしてはなりません。

むしろ日々数多繰り返す事だからこそ大切にすべきなのです。

完全なる被害妄想と自意識過剰ですが

私は歩き方を切り替えています。

何故なら

歩調を替えると尾行が一気にしにくくなります。

尾行されたことは……そんなにありませんけど何度かは。

といった感じなんで

足音は日々変わる。

前述した通り

私は珍しい分類で

歩き方・足音なんて

気にしないが故に変わらないのが普通です。

そういった気にされないものに

私は何故か惹かれてしまったのです。

連立する音は音楽のよう。

芸術的かどうかは判断しかねるが

少なくとも私は魅力に思う。

突然に思われるかも知れないが

雑草に魅力はあるのか。

ある意味、神の御言葉としても伝わるものに

『雑草という名の草はないんですよ。どの草にも名前はあるんです。』

と、いうものがある。

近年では小説で登場したかな?

岩ちゃんに言われて、何人の女子が落とされた事か。

いかん、いかん。

本筋に戻ろう。

雑草は日陰モノの総称とされるが、そんな草は存在しない。

それぞれに名前があり

それぞれに魅力がある。

名付けられるという事は

確かに、縛られる事である。

だが、同時に

存在を認められる事でもある。

雑音だ。

確かに、それは雑音だ。

しかし、「足音」という名で

雑音から区別され

しっかりと存在を認められている。

魅力の見つけにくい「雑」モノの一種であろうが

日陰を愛してみても良いのではないだろうか。

さて、また誰かが奏でる階段協奏曲が聞こえてきた。

              それでは bye! Konemy

味方って何? じゃあ誰だよ敵は。

2019年09月02日 22時45分37秒 | 日記
おはようございます。

今回はある文豪の残した言葉を借用しようかと。

『こんな夢を見た』。

前談として

私が普段見る夢は現実味を帯びている。

普段の生活の中で

夢か現実か区別のつかないほどの再現度。

たまに夢の中での出来事を口にしてしまい

好奇な目を向けられる。

さて、夢の話をしよう。

私は誰かと誰かと一緒に旅をしていた。

何かを求める旅では無い。

何かから逃げる為の旅。

各地には味方がいて

逃げる場所も充分ある。

追っ手と戦う術もある。

何故逃げているのかは分からない。

追っ手が何者なのかも当初は分からない。

私たち三人組は

飛行機でも電車でも車でもなく

徒歩で移動していた。

しかし

地点と別地点を一歩で跨ぐように移動している。

俗に分かりやすく言ってしまえば「瞬間移動」である。

厳密に言えば違うから「跨ぎ」という言葉を使う。

「跨ぎ」で見渡す限りの平野、枯れた山岳、雪山の森を転々とした。

最後に辿り着いたのは

生態を公衆に見せ

かたわら保護を加えると称し

捕らえてきた多くのモノに対し

狭い空間での生活を余儀なくし、

飼い殺しにする人間中心の娯楽施設

に、とても似た場所であった。

人工的醜い自然と共存する檻。

何故そこへ逃げ込んだのか分からない。

そして

どこからか「跨ぎ」で移動してきた我々に

後ろから迫ってきたのは

小さな鳥だった。

その見た目は雀のようで

とても逃げるほど恐ろしいもののように思えなかった。

刹那、姿を変える。

襲いかかるように飛んできた鳥は

体表の色を維持したまま人の形をとった。

どういった感情だったか覚えていない。

下等な表現を使うならば

「殺される」と思ったのだろう。

しかし、この世界に"死"の概念は存在しなかった。

何故なら

私は"死"に対して特別な感情を抱かないからだ。

むしろ、"痛み"に対しての方が特別な感情を抱く。

この世の極刑は"死"ではなく"痛み"である。

だから、分からないなりに推測すると

私はこの時、こう思ったのだ。

「傷つけられる」と。

追っ手と戦う術はいつの間にか失われ

私の手には部屋掃きほうきが握られていた。

相手の背丈、体格、表情の詳細は捉えられず。

ただし、それは人間と形容するが最も相応しいかたち。

獣でも化け物でもない、人間であった。

相手の動作を部屋掃きほうきで受けようとして

私は目覚めた。

壁に腕を強打したのだ。

壁が凹むほどの勢いで。

夢は夢でした。

ホッと一息。

そして、私は感じた。

「味方って何?じゃあ誰だよ、敵は。」

他人は誰しも敵である。

敵は誰か。それは人間である。

人の敵は人。

ミシシッピ号の船長が言っていた。

「恐ろしいのは文明です。」

獣や化け物は恐怖の対象であれ、敵でない。

人間が本当に恐れるべきは人間なのだ。

「味方って何?じゃあ誰だよ、敵は。」

味方は己自身。敵は他の人間である。

それでは bye! Konemy