Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

選択と運命、そして事実。

2022年08月21日 15時46分19秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

仮の話をしましょう。

ありふれた仮定の話です。

もし仮に、人の運命を見ることが出来たら。

そして、その運命を変えることが出来たら。

そもそも

「運命」を信じるか、信じないか

そこから話を始める必要があるかも知れません。

以前、このブログの中で書いていそうな事ですが

私は「運命論者」です。

ただし、厳密な意味でいうところの「運命論者」ではないと考えます。

「運命」とは「人の意志を超越した力」であり

人の幸、不幸を定める力であります。

人の意志を超越したものですから、人間の意志は介在する事が叶わない。

しかしながら、私が信ずる「運命」は違います。

「人の意志を超越した力」でありながら

それは「人間の選択」の上に成り立っている。

選択する意志、ここに運命があるのです。

何だか、書いているうちに私が「運命論者」なのか

怪しくなってきましたが。

ならば、なんと称するのが適切なのだろうか。

それほど考えてはいませんが

私のこれは

「事実信奉」とでもいいましょうか。

「選択」と「運命」

本来、相反するはずの二つによる結果、生じたもの。

「事実」です。

私はこの「事実」を信じているのでしょう。

訳のわからん話になってきましたが

あれ、前提がおかしくないか。

「運命」=「人の意志を超越した力」

これ、見ることも変えることも人間には不可能なのではないか。

仮の話をしているのだから、不可能なことだって仮定できる訳ですが。

さて。

ここまで読んだ人の中で

冒頭の仮定に違和感を覚えた人はどれほどいたでしょうか。

言葉とは難しいものです。

皆さん、「運命」はどういった用法をされていますでしょうか。

              それでは bye! Konemy

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