Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

真実とは 〜主観と主観の交点〜

2020年06月30日 15時18分27秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

趣味として

読書・執筆を挙げる私のフリータイムは

読書であることも多いです。

最近、読書時間が少なめになっている気もしますが。

さて、今日は先日読んだ本の話です。

その本の内容としては

第二次世界大戦末期。

集団疎開した感化院の少年たちが

疫病の流行する山村に閉じ込められるが

そんな監禁状況下において愛と連帯の自由の王国の建設を目指し

脆く挫折する話です。

文庫で222ページほどの作品を5行で説明すれば分かりにくくなります。

でも、どんな話かはこれから語る上であまり重要でないので

この程度で。

読み終わって感じたのは

真実とは、一体何なのか

と言う事です。

ねぇ

話の内容と全く関係がないでしょう。

これが(自称と若干他称)稀代の「話の飛ばし屋」でございます。

感じた、なんて言ってますが

もちろん私の中でずっと以前から

この疑問に対する結論は出ています。

でも、即語らず、下らん話をします。

作中にこんな台詞があります。

『警察へ訴え出ても誰一人お前のために証言する奴はいない事を覚えておけよ。』

これは感化院の少年の一人の疎開先である山村の村長が言った言葉です。

分かりやすい構図で説明すると

素行不良の問題児に教師が言ったような感じです。

どっちが嘘を言って、どっちがほんとを言いますか。

皮肉れず答えれば自明。

でも、絶対ではない。

実際、感化院の少年と村長のやり取りは

誰が見ても明らかに

前者が正義で、後者が欺瞞なんです。

これは一般的見解ではなく普遍的見解です。

さて、本題に戻って

「真実とは何か」語りましょう。

確かに真実は存在します。

しかし、それはいるかも分からない神の世界においてです。

我々人間は真実を知りうる事は絶対に無い。

我々の持つ「真実」は

「主観と主観の交点」である。

結果、偶然「真実」が真実になり得ることもあるでしょう。

でも、人間の世界に真実なんて存在しないんです。

真実が存在しない

あるのは「真実」だけである

と受け入れられない人の末路が

「神はいない」

なのですかね。

              それでは bye! Konemy絵は


恐ろしき共感性

2020年06月29日 21時11分44秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

喜劇や悲劇

世の中には物語が溢れています。

人生に劇的な瞬間なんて少ないと思っているだろうか。

それは生きていく上での気持ち次第だと思ってます。

家から一歩も出ていなくても語る事を持ち合わせている私です。

日常は

舞台!

ドラマ!

ミュージカル!

……流石にそれは言い過ぎですが

単調な日常の中にも物語は溢れているものですよ。

是非、気にしながら生きてみてください。

これは他者に対するだけのものではなく

未来の自分へのメッセージのような気もしますね。

さて、本題です。

満たされているからなのか何なのか

悲劇より喜劇の方が最近辛い日々です。

バットエンドよりハッピーエンドの方が気持ちがイヤになるというか

モヤモヤするというか。

他人の不幸は蜜の味って言葉が良く分かります。

ところで

皆さん「もらい泣き」ってしますか。

なかなか泣けない私ですが

涙脆い私であります。

数年前まではどんな感動的なものでも泣けなかったんですが

涙脆くなりましたね。

実写『君の膵臓をたべたい』が公開されたくらいからでしょうか。

歳を取ったのでしょうね。

さらに、ここ最近は感動以外の感情等も伝わってきます。

例えば

今日、芸能人が富士登山している映像を観たのですが

息苦しくなりましたね。

他、水中を泳ぐ映像だったり

殺陣のシーンだったり

戦さ場のシーンだったり。

他人の感情は到底理解・共感なんて出来ませんが

状況になら共感してしまいます。

それは現実の私の意思に反するほどの

恐ろしき共感性。

観るモノによっては大変危険です。

              それでは bye! Konemy



ダチはネットの向こう

2020年06月28日 18時15分42秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

「目は口ほどに物を言う」

人間の調子・感情・思考などは全身から読み取れるものです。

私はその手のプロではありませんが

一般の方よりかは多く

そういった言語化されない情報を頼りに会話を交わします。

現在のように他人と距離が離れると

人間の情報量の多さを忘れるので

長期休み明けは大抵苦労していました。

今でこそ他人と通話したりする訳ですが

過去の長期休み中に誰かと会話を交わす事なんて

滅多にありませんでしたからね。

いま適度に行なっている通話もテレビ電話による通話をしたいものです。

現実で、対面が当たり前だった時代において

実際に会える人間関係は重要とされていました。

言い直せば

ネット上の友達

通称「ネ友」の地位は低いものがありました。

ネットが普及し

時代的にここ数年は変わってきてるような気もしますが。

でも、良く考えて下さい。

大人は知りませんが、児童・生徒・学生さん。

友達って、強制的に作らされるものではありませんか。

大人の事情で箱に詰め込まれ

共通点なんて歳が近く、同じ霊長類ヒト科であることくらいだろう。

一般的に友達は出来るものなんですよ。

対して。

ネ友は強制されることが限りなくゼロに近い。

どっちの方が作るのが難しいのは明確なような気がします。

推し量れるかと思われますが

私、こんな人ですので

趣味が合う人って皆無なんですよ。

多くの人の趣味のカケラと繋がる事が出来るんですが

同じ考え・感覚の人って今まで会ったことがありません。

現実の友達がいない。

ダチはネットの向こうという方よ。

それは、ただ現実を見ていないだけだと思うぞ。

ネットの向こうにダチがいるなら

現実にだっているんだよ。気づかないだけ。

本当の絶望は

ネットの向こうにすらダチがいない者。

私は一体、どうしたら良いのであろうか。

何もしない。

現状維持こそ我が生きがい。

美しくも儚い過去に想いを馳せ

追い求めるのが楽しい生というもの。

さて、同意する方はいるか。

              それでは bye! Konemy

ようこそ、電脳世界という名の現実へ

2020年06月27日 17時45分16秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

ここ最近。

二日間くらいですかね

何やら「世界」を語っているようなので

今回は意識的に縛りを受けてみようかと。

最近は現実で見かける・話す人間の数より

画面越しに見る人間の数の方が多くなっていますね。

まぁ、当たり前のことを言っている気もしますが。

私は意外とオンラインの会話が苦手です。

別に面と面向かって話すのが得意な訳ではありません。

ただ、以前まで何百人の前で話すのも苦ではなかったので

意外と人と話す・人前で話すのは得意なのかも知れません。

では、オンライン会話と面と面向かっての会話。

違いはどこか。

分かりやすい違いは多くあるでしょう。

挙げずとも浮かぶと思いますので挙げません。

私が思う、両者の明確な違いは

「情報量」です。

VRやARが進化すればするほど

私は虚しさを抱くのです。

現実に存在しているのに、仮想に存在しない「情報の圧」

何とも言葉にするのが難しい感覚的な話な訳ですが

頑張って言葉にするならば

人と話すときに私が感じているのは相手の発する言葉だけではないんです。

顔の動き・体の動き・匂い・声音

もっと言えば、相手から感じる温もり。

オンラインだと全て無機質。

写っていても感じられない。

頑張りましたが、やはり分かりにくいですね。

何を話したいかと問われれば

私は理想を話したいのです。

いつか、私が生きている間に

現実と全く区別のつかぬ「情報量」・「情報の圧」がある世界が生まれ

そこで言われたい。

「ようこそ、電脳世界という名の現実へ」と。

恐らく、遠い目の前の未来です。

              それでは bye! Konemy

私がこの世界の神になったら

2020年06月26日 20時04分20秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

皆さん、好きな食べ物ってありますかね。

私はあります。

豚丼・サラダ・寿司・ラーメン・唐揚げなどなど。

特に好きなのは

メロンパンです。

中でも、しっとり系ではなくサクサク系。

自分では「メロンパン同盟サクサク派閥」なんて名乗っています。

因みに、同盟のメンバーは私一人ですので

絶賛募集中です!

対して

嫌いな食べ物ってありますかね。

私にはあります。

魚です。

アレルギーではありませんし

ある程度、礼儀は弁えているつもりですので

出されたものは食べる努力をします。

全く食べられない訳ではありませんので。

好きな食べ物の中に寿司を堂々と挙げるくらいですから。

鮭・鮪・鯛など寿司ネタは苦なく食べます。

しかし、どうも食べられないものもあります。

鯵・鯖・鰯などですね。

魚には詳しくないので

どんな種類のものなら食べられて、どんな種類なら無理なのか

お話し出来ないので具体例で失礼しました。

先日、テレビ番組で缶詰を特集していました。

そこで登場したのがサバ缶。

魚は触れますし

鰯くらいなら三枚におろせるので

見ただけでは何ともない普段なんですが

この日は何故か過剰に反応してしまいました。

「オエェ……」(リバースではなく呟きです)

それを見た魚好きの者が即座に反応してきました。

好き嫌いを否定する指摘ではなく

好きな自分には理解出来ないという旨のものでした。

私がどれほどサバ缶が嫌いなのか

その時私が言い放った言葉が最も分かりやすいでしょう。

「緊急時、飢餓だとしても決して口にしない物。それがサバ缶だ」

「私がこの世界の神になったら、真っ先に消し去る者の一つ」

サバ缶一つに随分と壮大。

にしても、良くもまぁ……。

              それでは bye! Konemy



時に私を置いていく世界

2020年06月24日 10時11分03秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

本日は午前中からお送りいたします。

午後、少々忙しいのでね。

別にそれが午前中に書く理由ではありませんが。

忙しいなら書きませんし。

さて、どうでも良い前置きはほどほどに。

最近、外出しない代わりといっては何ですが

自宅で軽い運動をしています。

主にランニングマシンによるランニング

自己流自己満の筋トレ。

尋常、往復100kmを超える距離移動し

毎日少なくとも4km(坂の登り降り込み)歩いていた私が

半年近くグータラ引きこもっていれば

いくら太り難いといえども太るのは必至。

まぁ、多少太った方が健康的に見えるらしいのですが。

そこで、脂肪による増量ではなく

筋肉による増量を計画した訳です。

現時点での結果を言えば成功です。

体重的には約2kg増えましたが

毎日の腕立ての影響で

腕まくりが困難なほど腕が盛り上がりました。

前述した軽い運動はだいたい午前中

朝8時ごろから始めます。

つまり、これを書いている今現在

今日の分は既に終えています。

昔、一応運動部に所属していたので

その影響か新陳代謝が異常に良く

軽い運動でもバケツの水を被ったかの如く汗をかきます。

そこで、軽い運動の後には決まってシャワーを浴びるのですが。

今日のシャワータイムに事案が発生したのです。

さぁ、ようやく本題ですよ。

長かった。

そして、本題はどうせすぐ終わるのでしょう。

39℃に温められたお湯を堪能しながら私はどこへ行っていたのか。

それは、二つの国が利権を争う一つの島でした。

両国の国民が住まい、共存といっても良い生活をしている。

それなのに本国はその島を巡って争っている、敵対国同士なんです。

何となく日韓関係が過りますが、深くは語りません。

(一言、「政治と文化の乖離」とだけ言っておきます)

結果、両国ともその島の利権を主張しないとの結論・合意に至るのですが

国民に対して親和的な国と思われる一国が

利権を争っていた敵国に対して

島の国民の安全の保障を要求してきたんです。

敵国は国民に対して厳格だったのでしょうね。

合意は親和的国が有利に行われたようで

要求がしやすい状況ではありました。

しかし、厳格な国は要求を却下します。

私は、湿度がやや高めの26℃の空気に包まれていました。

さて、私は一体どこへ行っていたのでしょうが。

何の話をしているのか全く理解されないと思いますので

と、いうか私も何を語っているのか分かっておらず

自らに起こった事実を述べているに過ぎないのです。

だた、何を言わんとしているのかだけは分かりますよ。

この文における神たる"語り手"ですから。

私が「妄想」する幻想世界は

時に神たる私をも置いていく世界なんです。

そして、現実世界とはたった一枚の薄い壁でしか遮られておらず

何度も何度も、その姿を現すのです。

恐ろしや。

一般人は私のような人を時々

「狂人」「変人」「厨二病」と呼びます。

              それでは bye! Konemy

三時間の日中

2020年06月22日 20時15分00秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

自宅で過ごす時間が多くなると

自然と生活習慣は乱れてくるものだそうで。

特に

人生の夏休み謳歌中×自粛期間

は、最強コンボだったらしく。

残念ながら、私は生活習慣が大きくは乱れなかったんですが。

睡眠時間は遅くなりましたね。

以前まで

基本的に当日のうちに寝るようにしていましたが

ここ最近は午前を迎えてから眠る事が多々。

それでも起きる時間が変わらない

朝6時前後で変動なしなのだからおかしな話。

昨日から今日にかけては特出していました。

昨晩。23時頃の話。

数少ない友人達と構成するLINEグループで

通話が開かれました。

同然、出ます。

そこから当たり障りのない会話を3時間強繰り広げました。

三人で、です。

思い出せる話は「会話について」ですね。

難しい話なんで、ここでは語りません。

午前2時手前。

床に就きました。

目覚めたのは6時10分。

うち睡眠時間は約3時間。

これでも寝た気になるんです。

だがしかし。

そんな日の昼は決まって幻覚を見ます。

正確に言うと

突然気絶し、夢の世界へ誘われます。

一人でいるのに誰かと会話しています。

傍から見ると怖い光景ですが

当事者は意外と楽しんです。

微睡みの中……。

              それでは bye! Konemy


恨みこそすれ

2020年06月21日 22時56分16秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

最初に述べておきますが

今回は「人」としてなかなかな考え方を取り上げます。

一意見として存在の認知だけでもよろしくお願いします。

2020年6月21日 日曜日

あと一時間ほどで終わりを迎える本日ですが

久々に元クイズ研究同好会らしく

(今までこの経歴を公開した事があったか不明なので、高校二年生の頃、かの有名な高校生クイズで県6位になった事があるなんて過去の栄光を語ってみたりしますが)

「今日は何の日」をやっていこうかと。

真っ先にあげるべきは「夏至」でしょうね。

最近、日が長くなってきたと感じておりましたが

本日、遂に一年で最も昼が長い日を迎えました。

次は「冷蔵庫の日」です。

本日の読売新聞朝刊の編集後記(私、意外と好きなんです)で挙げられていましたが

吉本ばなな先生の著作

『キッチン』の冷蔵庫の描写を思い出しましたね。

『孤独な思考から守っ』てくれる冷蔵庫の音。

そして、これは今年特別な天体現象。

部分日食です。

残念ながら梅雨空で雲が広がり、私は太陽を拝(み)ませんでしたが。

何も怪奇現象が起こってないと良いですけど(時代錯誤)

最後は「父の日」です。

6月の第3日曜日。

端的に言えば父に感謝を伝える日です。

母の日含め、世間では子供が親に贈り物を送るらしいのですが

私は一切、そういった事は行いません。

感謝に物は不要。

物を買わせる為の経済界の策略としか思っていません。

親に感謝を伝える。

ごく当たり前のようにすべき事だと思われるかも知れませんが

そういった常識は疑う性な私。

子供とはエゴで購入された人形のような物。

乱暴に扱われて恨みこそすれ

丁重に扱われて感謝する事はおかしいのでは。

結論から述べますと

感謝はいつでも出来ます。

話の飛躍ですね。

核心に迫るのを恐れてしまった感じで。

              それでは bye! Konemy

一種の"プロ"としての誇り

2020年06月19日 08時08分42秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

本日、政府は都道府県境をまたぐ移動の自粛要請を全面的に解除しました。

イベントの上限人数も緩和され

このまま行けばいずれLIVEなども再開出来る様になるかも知れません。

最近

日本のエンターテインメント界を牽引する団体である

ジャニーズグループが有料配信LIVEを行なっているニュースを耳にしました。

他にも自粛期間中にはYouTubeなどで過去のLIVE配信を行なうアーティストがいましたね。

私事ですが

学生時代、バンドを組んでいた事がありまして。

約三年という短い期間ですが

三つほどのバンドのベース・サブボーカルを担当していました。

初等教育時代やここ二、三年くらいの私しか知らない人からしてみると

「血迷っていた」「道を踏み外した」時期らしいです。

学生のいわゆる部活動の一環ですが

何度かLIVEを行なった事があります。

これは招待LIVEなどではなく

きっちりお金を取って行なったLIVEです。

勿論、収益はありませんよ。

それでも、駅前で無料で美声を聞かせてくれる

かの者たちとは違います。

ここで考えたいのが

「プロ」とは。

「プロ」のミュージシャンとして思い浮かぶ人は沢山いますよね。

その人たちは何故ゆえ「プロ」なのか。

良く考えれば深いのかも知れませんが

ここでは単純に考えてみます。

「プロ」と言えるのは

「生計を立てている人」

なかなか一般的な定義ではないでしょうか。

生計を立てる=お金を払ってもらう

お金の対価として音楽を提供する。

でも、お金を払ってサービスを提供する人全員が「プロ」なのか。

否。

皆の認識として、アルバイトやパートの類は「プロ」と扱われない。

一部を除いて

生計を立てているとは言えないからだ。

この認識に疑問を呈したい。

例え、学生集団だろうが

お金を取って、来てもらっている相手に対して

学生気分のテキトーなものを提供しない。

絶対にしてはならない。

またまた私事だが

私は現在、茶道を嗜んでいる。

僭越ながら、年に三回ほど大衆茶会も催させて頂いている。

今年度は色々あって出来そうもないのが残念だが。

このお茶会の参加料(便宜上そう呼ぶ)は決して安くない。

通常の価格で「プロ」の歌手が発売するCDほど。

場合によっては「プロ」の歌手のLIVEビューイングに参加出来るほど。

私が点てる一服は相対的に見てそれほどの価値がある。

確かに、相手は若者の拙い点前覚悟で来てくださっているのかも知れないが

そんなのはこちらが勝手に都合よく考えているだけだ。

相手がどう思っていようが

こちらは対価に値するものを提供しなければならない。

義務がある。

生計を立てていないとしても

相手から見れば同じ有料。

例え、趣味であったとしても

「プロ」でなくとも

一種の"プロ"としての誇りを持つべきだ。

そして、趣味だと一蹴して手を抜く輩を私は許せない。

現在のような状況だったとしてもね。

              それでは bye! Konemy

沈黙する事の美しさ

2020年06月17日 07時55分27秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

午前中にブログを書くのは何となく珍しいのですが

自由気ままに書いていると

大体、午後になっている事が多いだけで

実は書き始めは午前の記事も多いんです。

一本書くのに掛かる時間はマチマチです。

一気に書く場合は5〜10分程度で書けます。

もっと速いかもしれません。

考えながら書くものだと、下手したら数日かけて書いてます。

もちろん、ずっと書いている訳ではないですよ。

ふと思った時に書いて、止めて、また書いて。

両者に閲覧数の差があるかと言われればありません。

強いて違いを挙げるならば

読み直した時の感じ方ですかね。

前者はその時の気分で書いているものが多いので

後に同意しかねる事もあります。

後者は考えて書いているので

結構、私の考え方の根本を書いていたりします。

読み直して同感する事が殆どです。

ここ最近、週5本程度のペースで記事を書いていますが

ほぼ全て一気書きのものです。

読み直してみたんですが

なんて下らない事を……

と、思いますね。

どうでも良い事ならいくらでも語れます。

毎日投稿する事だって可能でしょう。

しかし、時には黙る事も重要だと感じます。

口を開いて墓穴を掘る。

言わないほうがいい事・語らないほうがいい事

沢山あります。

沈黙する事の美しさ。

別に何かを語る意図で書き始めた訳ではありませんが

行き着く結論はこれが適当なんですかね。

「発言は考えてから行うように」

特に形ある言の葉ならばね。

結構長くかかりましたね、12分です。

              それでは bye! Konemy

何もしないで唯、閉じ込められている事ほど疲れに毒させる事はない。

2020年06月15日 13時43分25秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

たまに外出する機会はありますが

未だ引きこもり中です。

尋常、連日往復100kmを超える距離移動していました。

もちろん、公共交通機関を用いてです。

歩く距離で言えば平均10km前後

歩数で言えば1万歩程度。

「とりあえず動いている」程度は言えました。

それが、今や

移動距離・歩く距離は数メートル。

歩数で言えば数十歩。

自宅の中のみの移動。

24時間中

23時間は座っているか、寝転がっているか。

言葉にするとなんて絶望的な状況なんでしょうね。

ただいま「人生の夏休み」を謳歌している私なので

あえて「春休み」という言葉を使いますが

ただいま春休み5ヶ月目突入であります。

皆さん、5ヶ月あったら何します?

新たな事を始めるも良し

苦手を克服するも良し

特技を伸ばすも良し。

選択肢数多ある中で私がした選択は

「何もしない」でした。

以前から「何もしない」なんてあり得ないと主張してきた私ですが

その通りだと今も思っています。

ここで言う「何もしない」は私の中での定義ではなく

一般的な定義でいうところの「何もしない」です。

規則正しい生活をしていました。

朝6時頃起きて

三食しっかり摂り

夜11時頃寝る。

起きていた17時間、ずっとボーッとしていた訳でもなく

本を読んだり、動画を観たり、執筆したり

何かしていた訳です。

しかし、これらを"何かしていた"として良いのか。

私は何もしないで唯、閉じ込められていたのです。

「五億年ボタン」って知ってますか。

思考実験と説明しておきます。

あるボタンを押すだけで大金がもらえる。
その代わり、ボタンを押すと何もない空間で五億年の間、意識を失う事も死ぬ事も出来ず
ただ存在し続けなければならない。
五億年経過後、間の記憶が消去されてボタンを押した直後の世界に戻ってくる。
ただボタンを押しただけで大金を得た感覚を得られる訳だが
人間はこのボタンを押せるか。

私は押せない。

私が閉じ込められていたのは知識と教養、そして娯楽に溢れた六畳間である。

一生を過ごす事すら出来るこの空間に軟禁されていた程度で音を上げるのだ。

何もない空間で五億年なんて不可能な話。

何もしないで唯、閉じ込められている事ほど疲れに毒させる事はない。

私はもう、疲れました。

まるで遺書みたいな結びですが

ただ日々を嘆くだけの駄文。

              それでは bye! Konemy


雨空は悪くない

2020年06月14日 23時26分45秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

数日前から梅雨入りの波が日本列島を襲っていますね。

各地で大雨・洪水警報等が発令したり。

この週末は両日とも雨でしたね。

私事ではありますが

この週末は久々に外出しました。

一人ではなく、同行者がいました。

その方に

「久々の外出で雨って残念だね」

なんて言われました。

実際のところ

全くそんな事はありません。

その方は私が太陽を苦手としているのはご存知。

だから、その方に対して私は

「雨空は悪くない」

と答えた訳です。

相手方はなんと受け止めたのか。

「そうだね、太陽嫌いだもんね」

嫌いじゃないんだ、苦手なんだ。

残念ながら真意は伝わらなかったようだ。

真意ってなんだか分かりませんが。

中身の無いハナシ。

              それでは bye! Konemy

私の背後に広がる真っ白

2020年06月10日 20時28分20秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

現状を考える上で「違い」を考える事は重要だと思います。

我が社の商品は売れていないのに、ライバル会社の商品は売れている。

何が「違う」のか

みたいに。

この「違い」の改善で大きく変わる事があるかも知れない。

例として詳細に話せる事

このブログを例に挙げて語ろう。

本ブログの1日あたりの閲覧数は平均30あたりだと認識している。

100見て頂ける時もあれば

一桁の時もある。

この変動はどうも偶然としか思えない。

ノリとテンションで書いた文章が多くの方に読まれたり

深く考えて、何かを訴えようと書いた文章はほとんど読まれなかったり。

私程度が書くブログにおいて

文の質なんて殆ど読まれる要因になり得ない。

誰かの目に偶然留まるか留まらないか。

運なんて言葉は使いたくないが

状況を表すには適当だろう。

何万と存在するブログの中で

ある人は何万人にも読まれるのに

私のようなある人は少数にしか読まれない。

違いは何か。

書く人の背景である。

例えばこのブログに村上春樹が日記でも書いたとしよう。

あり得ない話だがね。

多分、読む人の数は普段と大差ない。

筆者を公開しなければね。

逆のことも言えるのではないだろうか。

末恐ろしいので言葉にはしませんが。

つまりは

私の背後にあるものは

私の文章を読ませるに値しないもの

言ってみれば

私の背後に広がっているものは真っ白なのだ。

著名人の太鼓判でも良い。

何か経歴でも良い。

成し遂げた事でも良い。

色をつける何か

その何かが全て欠けている。

真っ白なのだ。

故に染まる。

これは諦めとか投げやりではない。

そもそも、私の言葉を全世界に訴えかけようなんて魂胆はない。

一普通人のしがない趣味だ。

共感者は一人でもいてくれたら嬉しいがね。

              それでは bye! Konemy

語りたがり

2020年06月09日 18時17分50秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

ここ最近は外出解禁ムードが流れているようですが

未だ誰かとお出掛けなどはありません。

ここ3、4ヶ月で改めて実感したのは

私は環境に強制されて人と話していたという事です。

故に、誰か話をしようとするならば

話をする事を許される環境を作るんです。

私の理想の世界(二次元だけの話)だけなのかも知れませんが

本来、仲の良い人や友人と電話をするのに

大義名分なんて不要でしょう。

事前に「いつ電話するわ、空いてる?」

程度のアポを取っておけば充分。

もっと言えば、アポなんて取らずに掛けたって問題ないのでしょう。

本当の意味で仲の良い人や友人ならば。

しかしながら、私は何かと理由を求めるのです。

いまこの瞬間。

他人に電話を掛けなければならないとなった時

掛ける相手を私は持ちません。

生命の危機なら別です。

おそらく連絡先帳の先頭の人(ゼミナールの先輩ですね)にでも掛けるのでしょうね。

大して関わりもないですけど。

なんせ、緊急事態という大義名分がありますから。

あぁ、私の人間関係

「ビジネス交友」なんですね。

さて、そうなった時。

語りたがりの私は誰に語るか。

そう!不特定多数。

しかし、残念なことに私の話なんて大半の人が興味ありません。

生配信で雑談したところで、文字通り誰も来やしませんし

ブログで語れば数十人閲覧してくださいますが

一方通行反応無し。

今の時代でも不特定多数と繋がれないんですよ

努力が足りないだけかも知れませんが。

と、なると。

残された相手が親族しかいません。

これは結構、二極化すると思います。

心置きなく語れるか

凄まじい緊張感の中で語るか。

私はどちらかというと後者に分類されます。

なので退屈は少ない方なのではないでしょうか。

スマートフォンが小学生にまで普及した現在。

子供のスマートフォン利用が

親子の会話の妨げになっているなんて話を聞く。

違和感のない、当たり前の話だ。

しかし、私の周りは真逆なのだ。

子供のスマートフォン利用で会話が成り立たない。

私は成人はしているものの、子供だ。

だが、いわゆる「子供」ではない。

聞かないのなら聴かせれば良い。

考え方が謎の方向に向かっていくわけです。

結果、出来上がるのは凄まじい緊張感。

勘弁しろし。

              それでは bye! Konemy

『俺にとってたった一人の大事な友達でも』

2020年06月08日 20時43分37秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

冒頭に慣例なんでコメントを。

本日、当ブログ「Konemyのベル」

開設から1350日です、ありがとうございます。

今後ともよろしくお願い致します、といったところです。

さて、本題ですが。

数年前の今日について少しお話ししようかと。

数年前と言われて、何をお思い浮かべますか。

一般的に「数年前」とは

2〜3年、または5〜6年前を指します。

最長でも9年前までです。

以前は十数年前だったり、数十年前だったり。

なので、私は「間違った日本語」を使いました。

が、ここでちゃんと明言したので悪しからず。

実際に過ぎた年の長さではなく、感覚的長さとして言葉にしたので

私の中では……なんて屁理屈を。

さぁさぁ、本題に入りましょう。

19年前の今日。

大阪教育大学附属池田小学校で児童8人死亡、15人がケガを負う事件が発生しました。

正直、私は覚えていません。

リアルタイムで認識したわけではなく

後にテレビや新聞等で学んだだけなので

この件に関しては紹介に留めます。

12年前の今日。

東京、秋葉原で7人が死亡、10人が重軽傷を負った通り魔事件が発生しました。

こちらはよく覚えています。

加藤智大死刑囚が警察に捕らえられる映像がテレビで流され

事件直後の現場の写真なども目にしました。

率直な感想は

あぁ、理性の箍が外れたんだな、でした。

加藤死刑囚の言葉・手記の一部を目にしました。

理解出来るものばかりです。

共感すら出来る。

おっしゃっていた事を私は肯定します。

似ているという言葉は使いたくありませんので避けます。

変わらないんです。

認めなくないものですが

我々は善にも悪にもなります。

なれます。

私の背後には常に善良と認識される私に刃を向ける

邪悪と認識される私が立っています。

いつ突き刺され入れ替わるのか、分かったものではありません。

まぁ、入れ替わる事なんて

まず、あり得ない事であると断言しておきますが。

それでも、度し難い事件を起こした人の言葉に

理解・共感・肯定なんて

度し難い。

一つ、私が最も共感した言葉を。

『俺にとってたった一人の大事な友達でも、
相手にとっては100番目のどうでもいい友達なんだろうね。
その意識のズレは不幸な結末になるだけ。』

なんて現実を言い当てた言葉なんだって思いましたよ、不覚ながら。

              それでは bye! Konemy