Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

「無知の余裕」と「未知の恐怖」

2022年01月19日 22時03分37秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

年が明けて1月も中頃。

先日、共通テストとやらが実施されたようで。

両日とも大きな事件が無く……

的な定型を言おうと思いましたが

「大きな事件が」無かっただなんて言えません。

両日とも騒ぎが起きましたから。

まぁ、私は共通テストで何が起こっても

基本、関係ないんですが。

受験生を応援する声を聞くと

年度末を感じてきました。

私も数年前に受けた経験があります。

当時は「センター試験」という名前でしたが。

まだまだ若いつもりではいますが

すでに「昔の人」な訳です。

試験というものは人生の分岐点になり得るものです。

上に挙げた「共通テスト」や「センター試験」は典型的なものでしょう。

志望校を受験出来るか、出来ないか。

個別試験前に保険校を確保出来るか、出来ないか。

大きな分岐です。

約18年の人生の中で有数の大きな分岐でしょう。

しかし、多くの場合

「0か1」の話ではなく

「0から100」の話なのではないでしょうか。

ちょっと詳しく。

共通テストで失敗しても、大学進学の道を断たれる訳ではない。

もちろん、一部例外は認めますが

一般的に、です。

志望校を変えて足切りに遭わない大学を受ける

個別試験で合格すれば大学には行けます。

大学進学不可が"0"だとして

第一志望校進学が"100"

妥協校進学が"1〜99"といったところでしょうか。

まだ、大して生きていないので

これは若輩の持論に過ぎませんが

人生の中で「0か1」といった事態は数少ないと思います。

そんな中、私は先日

「0か1」を経験しました。

たった15分。

成功するか、失敗するか。

0か1で人生が非常に大きく変わる経験を。

初めての事です。

人生が掛かっているというのに、緊張は適度なものでした。

恐らく、二つの感情がぶつかり合っての緊張でしょう。

「無知の余裕」と「未知の恐怖」

知らないから恐れる事はない。

知らないから恐れる。

前者は、幽霊とかですかね。

見えなければいないも同じ。

そこにいると「知らない」から恐れもしない、出来ない。

後者は、他界が挙げられますかね。

人類は何百年も前から

天国だ、地獄だ、黄泉だ、冥土だ

などと「知らない」ものに形を与えて一喜一憂。

命を失うことを恐れてきた。

随分と壮大な話をしてしまった気がしますが

私の心での衝突は

「多くの人が乗り越えられたものなのだから私も大丈夫」

といった感情と

「私が乗り越えられるとは限らない」

といった感情のものであり

大したものではありませんでした。

結果、無事乗り越えられたのか

未だ分かりませんが、一息ついてこの記事を書いている次第なのです。

長くなりました。

              それでは bye! Konemy

それは、ただの日付変更

2022年01月04日 21時06分37秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

まずは。

明けまして。今年も、どうぞよろしくお願い致します。

2022年です。

なんだか、ついこの間まで201X年に生きていたので

"22"の並びに違和感しかありません。

念の為『201X年に生きていたので』を解説しますが

2020年、そして2021年は

確かにその一年を日数的には過ごしましたが

とても17,520時間も過ごした気分じゃないんです。

私の時は2019年末くらい

どれほど譲歩しても2020年2月くらいで止まっている気分なんです。

と、いった意図の発言です。

こちらも念の為に述べますが

私は、タイムスリップをした時空トラベラーなんかではありませんから。

今年も変わらず長い前置きはこれくらいにして。

三ヶ日も終わり、今日から日常が戻りつつある訳ですが

年末年始はいかがお過ごしだったでしょうか。

年末の私は、夢の国へ旅立っていない時には公共放送を観て

民放でイケメン達を眺めながら年を越します。

ケツをシバく某番組は録画勢。

といっても、今年は無くなりましたから

録画予約はCDTVのみ。

今年は現実世界パターン。

異質な紅白を観つつ、年越し待機って感じでした。

そばも食べて、様々な気持ち悪さを抱えつつ音楽を楽しみ

23時45分からはイケメンパラダイス。

あっという間の15分。

今までの人生の中で最も呆気ない年越しでした。

隣にいた人は寝てましたしね。

爆睡ですよ、爆睡。

あ、恋人とかじゃないですよ。知ってるか。

素直ではなくなってしまった私は

いつからか、新年に

「明けましておめでとうございます」と口にする事が無くなりました。

冒頭から察して下さい。

ただ、縁や付き合い、致し方なく、嫌がらせ。

そんな様々な理由で送る年賀状には、印刷でしっかりと

「おめでとうございます」と書いてあります。

そこまでの皮肉れではありません。

別に年を越す事は珍しくないんです。

気付かぬありがたみである事は否定しませんが

果たしてそれが「ありがたい」のか

我が信じる唯一の神のみぞ知るところです。

毎年、口にして

もしくは口にしない事で

その持論を展開してきましたが

今年に関しては、わざわざ言うまでもなく。

それは、ただの日付変更。

31日から1日に変わったに過ぎない話。

そういった感じでした。

そもそも「新年」なんてものは人間が勝手に定義したものに過ぎませんから。

乗るところは乗る、反るところは反る。

それで良い気がします。

改めまして。

明けまして。

2022年も駄文を紡ぐであろう私

そして本ブログ「Konemyのベル」を

どうぞ、よろしくお願い致します。

              それでは bye! Konemy