おはようございます。
Konemy述べる時間です。
六年ほど前にある自己啓発本が発売されました。
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』
岸見一郎と古賀史健の共著による、「アドラー心理学」を解説した本だそうで。
残念ながら私、拝読したことがないので
この本の内容に関しましてはこれ以上語りません。
ここからは「嫌われる勇気」に関して話していこうかと。
誰からも嫌われる事なく生きるなんて不可能でしょう。
全てにおいて全く同じ考えを持つ他人なんて
人類77億人いても存在しないでしょう。
せいぜい、ある一部分のみ似ている程度。
違いがあれば反対する気持ちが生まれます。
「嫌う」という漠然とした感情をここでは差異で表します。
自分の考えと違うから嫌う。
自分は良かれと思っているのに批判されれば嫌いになりますよね。
的を射ている・的確な指摘をされる
納得出来るのに何故か嫌い。
そういった例は、理解していないと思う指摘側と
言われずとも理解出来ていると思う受け手側。
この認識の差異でしょうか。
自分嫌いも差異でしょう。
理想の自分と現実の自分の差異。
もちろん、「嫌う」=差異ではありませんのでお気をつけて。
違うから無くせない「嫌い」を人間は恐ろしいと思うのか。
おそらく、人は嫌われることを恐れています。
「嫌われる勇気」なんて言葉が流行るくらいですから。
誰も進んで嫌われたいなんて思わないでしょう。
まぁ、あらゆる事において一部を除いて。
しかし、己の道を信じ
言動に後悔がないのなら
嫌われることを恐れてはならないように思いました。
はっきり言って私は嫌われ者でしょう。
逆恨みだと思いますがね。
自覚しているからった嫌われない為に
嫌われない努力するのは辞めたいですね。
言うは易し。
それでは bye! Konemy
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