Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

2020

2020年12月31日 07時08分00秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

毎日書こうと言ってから早。

今年が終わろうとしています。

深夜テンションならぬ

起床テンションで進めていきます。

と、いえども

起きてから数時間経っているので

寝起きすぐではないです。

さて。

今年は〇〇でした。

みたいな事やったりするんですよね、この時期。

でも、一年を一言で表すのって無茶ですよね。

確かに、大部分を示す表し方は可能でしょう。

ただ、一言でまとめてしまう事で

まとめられなかった部分を蔑ろにしてしまうのではないかという思いは捨てきれません。

他愛もない出来事すら、人生の一部ですから。

なんて、訳の分からない事を前置きに。

今年を一言で表すと

「後悔残る一年」

でした。

振り返ってみると、これほど今年一年をまとめるのに適切な言葉はありません。

満足に何かを成し遂げた例が一例としてない。

私が今年一年で成した事は

一週間もあれば全て出来てしまうような事ばかり。

一年を無駄にした。

多くはないとはいえ

決して少なくない人生の中で、これほど無駄を謳歌した事はありません。

日単位の無駄はいくらでも取り戻せるでしょう。

月単位も努力次第といったところでしょうか、手遅れではありません。

しかし、年単位となると変わってきます。

断言出来る。

手遅れです。

後悔があるなら

「来年こそ……」

なんて前向きな事を言うのが無難でしょうが

無理!不可!否!

他人からダメだと言われても救いようがありますが

己がダメだと自覚したなら、それはもう救いようがありません。

と、いう事で

来年の目標は『惰性』です。

それで拒絶されるならそれまで。

認められるなら適度に足掻くまで。

友人は私を面白い言葉で表しました。

『ポジネガティビスト』

造語でしょうね。

私もピッタリだと思います。

私は絶望なんて致しません。

              それでは bye! Konemy

幼少期 〜 被造物と雄大なモノ 〜

2020年12月10日 22時59分42秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

本日、部屋の整理をする気分になったので

クローゼットを少し整理しました。

師走ですしね。

自粛期間を挟んで、自室が随分とスッキリした気がします。

綺麗好きかは置いておいて、整理は好きなんです。

実践はしませんが。

で、クローゼット整理をしていると

幼稚園児時代に

園の先生と保護者がやり取りしていた連絡帳のようなものが出てきました。

読み返してみるとこれが面白い。

全くと言って良いほど記憶にない言動の数々。

幼いが故のぶっ飛んだ出来事。

大人になりたいなんて何故思うんだろう。

そんな考えに至ってしまうほど面白い。

あの頃の好奇心を持ったまま、現在持つなけなしの知識を得たかった。

私、思うんです。

子供って好奇心を抑制する事なく振り回す研究者だなって。

この国は教育が比較的充実している国です。

義務教育なんてものがあるくらいですから。

でも、これって何だか工場みたいですね。

先日も申し上げましたが、小学生くらいまでは

本当に何も努力しなくても

授業の内容について行けないなんて事態は起こり得ないと思います。

ついて行けないなら、何かしら落ち度があるのでしょう。

宿題をやらない・授業を聞かない・不規則すぎる生活をしている等々。

でも、中学校以降って

努力は必要なくとも、縛りはあるんですよ。

ここから先が画一化工場です。

出口は高校三年生。

以降は割と好きな事出来ますから。

約六年の画一化工程を終えた者に好きな事を追い求める

気力や体力があればですが。

私にはありませんでしたね。

幼少期。

変な言い方をしますが、私は間違いなく理系でした。

小学生時代。

将来の夢は生物学の道に進む。

得意科目は理科・社会・算数。

国語は大の苦手でした。

画一化開始。

いつの間にか私は文系になっていました。

今ではすっかり文系の極みの肩書きを背負っていますよ。

別に本が嫌いとか、文章が書けないとか

そう言った事はなく、別に文学は好きですよ。

ただ、かつてキラキラした目で見つめていたものは

人間ごときが生み出した被造物ではなく

それこそ神が生み出した雄大なものだったと感じます。

あぁ、自分で書いてみてなかなか辛いこと言ってるな。

被造物。

刺さる。これは刺さる。

被造物。

              それでは bye! Konemy

なんとなく遡行。

2020年12月09日 23時02分05秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

しばらく間を空けたから

しばらくは連続投稿しようと思っていた矢先です。

現状はご覧の通りですから

皆まで言いません。

暇な訳ではありませんが、暇なんです。

そして、この矛盾が恐ろしく怖い。

暇であってはならないのに暇な気がしてしまうんです。

終日、無駄な時間を過ごしているように感じてしまう。

やる事をやっているのかと言われれば、やっていないかも知れない。

ただ、やらなければいけない事はやっているようなので

側から見れば(残念ながら)健全なのです。

一番タチが悪い立ち位置。

可もなく不可もなく。

怒られはしないが褒められない。

怒る事がないから取り敢えず言葉だけで褒めるが

とても中身は伴っていない。

大した人生経験があっての論ではありませんが

幼い頃って「真面目な者が負ける」んですよ。

持論ですよ。

環境に寄りますが、高校くらいまでは努力なんてカケラもせずに

「普通に」過ごしていれば人生において手遅れになる事はないと思っています。

犯罪行為に走ったりだとか、最低限の出席日数学校に行かないとか

太い直線から外れない限り。

ただ、先に述べた「環境に寄」るというのは結構大きくて。

私の生きてきた環境ではそうでしたが

私の生きてきた環境は一般的からは逸脱しないまでも

決して普遍的なものではありません。

ですから、遡りながら考えていきましょう。

高校時代は大学に結びつく重要な期間と捉え……

中学時代は大学に結びつく高校時代の基礎となる少し重要な期間と捉え……

そうですね。

やはり、小学生時代ですね。

この時代なら軽い犯罪程度までどうにかなってしまうのではないでしょうか(根拠のない個人的な見解です)

私は小学生の頃、周りの大人に事あるごとに

「大人っぽい」と言われてきた記憶があります。

事実、周りと比べればそうだったのかも知れませんが

それは周りが低いのであり、私が高かった訳ではないのではないでしょうか。

それなのに、周りの言葉を真に受けて

大して高くもない位置であぐらをかいていたのでしょう。

当時は真面目とは言えなかった人々が今ではすっかり上空の人。

もちろん、全員ではなく大半が。

必要のなかった「真面目のツケ」が今やってきたようです。

必要なのは今なのに。

だから私はあえて言おう。

誤解を恐れず、ただただ自分勝手な事を。

少年少女よ、真面目であるな。

抑圧せずに、思うがままに。

先はおそらく開けている。

大した人生経験があっての論ではありませんが。

              それでは bye! Konemy

冬来て紡ぐ言の葉の場

2020年12月07日 21時38分27秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

久しぶりです。

12月も今日で一週間。

約2ヶ月ぶりですね。

まぁ、たまに一言宣伝してましたけど。

投稿に関して

一年間空けた事があったので、空ける事自体は珍しくないですが

こんな衰退するように消えたのは珍しいかと思います。

体調不良とか不慮の何かがあった訳ではありません。

無事、少なくとも表面上は何事もなく生きています。

気づけば書いていなかった。

ただそれだけの話です。

ただ、「それだけの話」が新規投稿を妨げていたのも事実です。

一度空けると、久々の投稿は質の良いものを!

などと思ってしまったりするのです。

全く、何を考えているのか。

いくら頑張っての出来るのは駄文ばかりというのに。

さて。

そこで久々の投稿は「モノを書く」って事について述べようかと。

文章を書く人のことを

物書きさん

なんて言ったりしますよね。

もっと格式高く言えば

作家さん

ですかね。

両者の違いは表す広さだと考えます。

例えば、講義中にノートを取る学生さん。

人の話を聞いて、その話をまとめているのですから

紛れもなく「物書きさん」でしょう。

ただし、作家ではないですよね。

例えば本屋に並んでいる小説を手に取って

その本の表紙に名前が書かれている人物。

これは「作家さん」でしょうね。

そして、「物書きさん」です。

回りくどく説明しましたが、そういうことです。

「作家さん」ならば「物書きさん」である。

「物書きさん」でなければ「作家さん」じゃない。

なんとなく対偶を使ってみたくなりました。

「作家さん」は「物書きさん」の狭義なんですね。

ところで

私は自らのことを僭越ながら「数奇作家」と言わせて戴いています。

そんな私は「物書き」であって「作家」ではありません。

では何故。

そもそも「数奇」とは。

この際お話ししましょう、興味云々置いておいて。

前半部分から。

私は趣味で文章を書いている者だ。(某漫画サイ◯さんの台詞っぽく)

つまりは”好き”で文章を書いているんですね。

そこから回り回って「数奇作家」って事になりました。

いきなり説明が雑です。

語っておきながら、説明するような理由なんてないんですよ。

まぁ、響きですかね。

「自称作家」とか「趣味で物書き」とか「作家気取り」とか。

そんな奴たちより洒落た感じでって思ったんですよ。

実際は「自称作家」で「趣味で物書き」の「作家気取り」してます。

ちなみに、「数奇」とは『動詞「すく(好)」の連用形を名詞化』したものです。

意味としては「風流」だったり「風雅」なんて意味があったりしますが

単に「物事を愛好する心持ち」の意で使ってます。

なんだか一人でにスッキリしました。

ありがとうございます。

ところで、何故いきなり

「モノを書く」って事について述べようかと思ったのか。

最近、作家さん同士が対談したものを文章化してまとめた本を読んだんです。

そこで、作家さんって変人であり、常識人であり、何よりも面白い人だと感じました。

「モノを書く」って素晴らしい事なんだなって。

書きたくなりました。

              それでは bye! Konemy