Konemyのベル

『毎日を特別なものにする為』
その日の総括、思う事、省察……
ここは「のべる」場です。

ワルプルギスの夜

2020年04月30日 18時38分21秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

本日は4月30日(木)

四月の終わり。

最近、曜日感覚どころか日付感覚すら怪しいので

こうして定期的に確認するようにしています。

まぁ、今の時代、携帯見れば日時なんてすぐ分かりますから。

本当の意味で曜日・日付感覚を失っている人なんて数少ないのでしょうね。

大半の人がただ放棄しているだけの自業自得集団。

興味がないのなら、鼻から「曜日感覚狂ったぁ~」なんてほざかないで欲しい。

それはさて置き。

今夜は”Walpurgisnacht”ですね。

またの名を”Walpurgis Night”です。

和名で言えば「ヴァ(ワ)ルプルギスの夜」

そこで今回は「ワルプルギスの夜」についてお話ししようかと。

「ヴァ」と「ワ」違いは何かって?

今回は

前者を「お祭り」、後者を「魔女」と定義して区別しています。

理由は、まぁ現地読みか否かで。

つまり、後者について語ります。

先日。Twitter上のトレンドに「ワルプルギスの夜」が登場しました。

日本国内においては

大半が、かの有名なアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』ネタであり

本家(魔女祭)の方で盛り上がっていた訳ではありませんが

恐らく根本は本家で、連想されて魔女に話題が移ったのでしょう。

拡散の力、恐るべし。

と言っても、当日にあまり盛り上がっていないのは少し悲しいですね。

本家が話題になった理由は昨今の流行病の影響でしょう。

気になる方は是非自ら詳細をお調べ下さい。

今日の話はアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』ネタに関連したものです。

我ながら、前談が長い。ようやく本題です。

あまた流れるツイートの中にこんな言葉を見かけました。

「ワルプルギスの夜って何?」

この方はプロフィールに「アニメ垢」との記載があり、私は少々驚きましたね。

遂にかの魔女を知らぬアニメ好きが存在する時代になったか、と。

別にアニメ好きなら「まどマギ」を知っていろなんていう気はありませんけど

そうは言っても「まどマギ」ですからね……。

驚きました。

ここで少しだけ本家の話を。

いま現在の「ヴァルプルギスの夜」は魔女の仮装をするパーティーだそうで。

日本人がイメージするならハロウィンが適当なんですかね、分かりませんが。

「ヴァルプルギスの夜」の元は春を迎える神聖な儀式だったようです。

日本でいう春は「始まり」。

ちょうど一年前の「ヴァ(ワ)ルプルギスの夜」に日本では何が起きたか。

歴史的な事が起こりましたね。

新たな時代の幕開け。

今上天皇の御代が続く限り

高笑いと共に自然災害をもたらす舞台装置の魔女と

時をかける眼鏡少女と共に毎年祝っていきましょう!(話の飛躍)

              それでは bye! Konemy



退屈は私から何かを奪っていく

2020年04月29日 23時54分00秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

私はここ最近、非生産的・退屈な日々を送っております。

同様な人も多いかと思います。

そして、更に共通する人も。

やらなければならない事がたくさんあっても

やる気は起きない。

そういうことってありますよね。

やらなければならないことがたくさんあるという事は

やる事はたくさんある。

やる事がたくさんある人は

「退屈」などと口にする事は決してないだろう。

だが、ここに一人やる事がたくさんあるにも関わらず

「退屈」と口にするものがいる。

無力感と言いましょうか。

無気力ですね。

娯楽も労働も

何もかもです。

最近は行くところまで行って

食事すら厭うようになりました。

かつての私が言っていた。

「食事の否定は生存の否定である」

退屈な日々は遂に生存を否定しようとしているのです。

それでも、アンケート等に私は答えます。

自粛生活に限界を感じていない

と。

何故なら、やる事・やらなければならない事がたくさんあるから。

退屈は確かに何もかも奪っていくのかも知れない。

だが、同時に尽きることの無い忙しさがそこにある。

そして、何も生まず起こさず

今日も眠れぬ床につく。

日中の影響で眼精疲労を起こし

まともに目が見えていないにも関わらず

真っ暗闇に浮かぶものはよく見える。

暗闇の天井のシミを眺めていると

何か意味があるかのように感じる。

末期ではない、希望である。

              それでは bye! Konemy

151

2020年04月26日 22時43分51秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

開設からの日数ばかり気にしていて

すっかり忘れておりましたが

投稿記事数が150突破しました!

タイトルの通り、これが151。

奇しくも素数ですね。

私、文系筋の人間なので

素数はあまり好みませんが。

さて。少し振り返ってみましょう。

ブログ開設は2016年。

諸事情により2017年は投稿しておりませんでしたが

2018年から投稿加速。

先ほども申したように、今や150記事。

今まで数多くの記事を書いてきました。

まぁ、多いと言えるのか分かりませんがね。

平均すれば、だいたい週一ペースで投稿していると考えれば

割と多いのではないでしょうかね。

その時の気分で書かれた記事がほとんどで

何を書いたのかあまり記憶に無く

後から読み返してもなかなか微笑ましい記事ばかりですが

これといってお気に入りの記事はありません。

ただ、投稿をしばらく休止した後の記事

2018年以降の記事の方が読み返していて面白いですね。

一年の間を経て、何か変わったのでしょう。

常に「私」を主観で見ている私に

その変化を認識するのは困難なものです。

ただ、毎回恒例の冒頭挨拶は

ブログ開始当初、五日目から跫音を響かせ

休止前、開設から二週間弱で確立していたんですね。

これは読み返してみて、なかなか驚きました。

変わっていないんだなぁ

と。

締めの挨拶も同様の事が言えますが

こちらは休止前と後で明確に違います。

どちらも私の愛称を用いている事に変わりありませんが

表記が違いますね。

「こねこね/コネ厶」と"Konemy"

後者を「コネミー」と読む方もいらっしゃいますが

実はこれで「コネ厶」と読みます……。

読ませております。

なので、本ブログの名称は「コネ厶ノベル」なんですね。

どうでも良い初出し話ですかね。

思い出話はこの辺に。

改めまして。150もの記事を書かせて頂けたのは読み手あっての事。

有難い事に本ブログは毎日5〜6件

投稿すると1日に20〜30件ほどの閲覧があり

多い時には3桁に届く閲覧数の日もあります。

乱文、駄文ではございますが

お忙しい日々の、ほんのひと時に私のブログがあれば

嬉しく思います。

今後ともよろしくお願い致します。

              それでは bye! Konemy

彼の物語は”歴史”となる〜His story becomes "History"〜

2020年04月24日 21時30分03秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

平時ですら繰り返しの日々を送っているなんて感じるのに

連日同じ場所に居続けなければならないなんて苦行です。

しかしながら、3ヶ月弱も同じような生活をしていれば慣れます。

「慣れ」を覚える事の重要さを感じます。

もちろん、得ばかりでもないですがね。

そんな私の過ごし方は「他者の世界で過ごす事」

分かりやすく言ってしまえば現実逃避です。

二次元の世界・活字の世界へと逃げ込みます。

やぶさかではない日々。

先に現実逃避と述べましたが

あくまでも私の現実からの逃避であって

他者の現実を映像・文章によって追体験する事はあります。

そして、ふと思ったわけですよ。

皆さん

「歴史」といって浮かぶものは。

人それぞれだと思うので大きな括りをしようかと。

大抵浮かんだのは日本史や世界史の事

しかも、1945年以前の事と思われます。

別に構いません。

我が愛読辞書『新明解国語辞典』初版に拠りますと

【歴史】
現在残されている物から知ることの出来る、人間社会の移り変わりの過程や、そこに見られる個個の出来事。

だそうで。

これから考えると

日記に昨晩の食事に関して記されているならば

昨晩の食事すら『現在残されている物から知ることの出来る』『個個の出来事』ですので

歴史と言えます。

流石に極論のようにも思えますが、確かですよね。

こんな事を考えるに至った因は親との年の差かも知れませんね。

かつてこんな事が言われていました。

「時代は三十年で移り変わる」

親との年の差は優に三十年を超えています。

ただ、これは持論ですが

現在は十年と経る事なく時代は移り変わります。

恐ろしい時代です。

そんな時代を生きる我々の昨日は歴史なのかも知れません。

"History"

ある英語教師から言われた言葉です。

His story becomes "History".
「彼の物語は”歴史”となる。」

つまらない日々だって、繰り返しの日々だって、辛い日々だって。

我々の生きる日々

紡ぐ物語は歴史となるのです。

(追:カッコ良く終わろうとしている所に余談ですが、"history"の語源は諸説ありますが、ギリシャ語・ラテン語の"historia"から来てるとされます。専門外の事なので詳細は不明ですが。)

              それでは bye! Konemy


13:00

2020年04月19日 13時00分00秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

本日、ブログ開設から1300日という事で。

年としては3年半ほどですね。

途中、全く更新しない期間などもありながら

平均的投稿頻度は週一くらいでしょうか。

駄文にお付き合いして下さっている方々には感謝しかありません。

ただ、一方通行の押し付けだけが気がかりです。

さて、区切りの時には毎回記念記事のようなものを書いておりますが

どうしても"13"という数は好きになれないんです。

合理的な理由はありません。

感情的です。

生理的に受け付けない

なんてひどい言葉を使っても良いほど"13"に対して嫌悪感を抱いています。

数字に罪はないのに。

なので、今回は飛躍して時間に関するお話でも。

13時。午後1時。に

どんな印象をお持ちですか?

私は「とても微妙な時間」という印象です。

昼食を摂るには少し遅い。

暑いわけでも寒いわけでもない、一日のちょうど良い感じ。

あくまでも私の生活環境では、新たな事を始めるきっかけの時間としては使いにくい。

「とても微妙な時間」なんです。

などと"1300"から感じた"13"を強引に時間に置き換え、13:00について所感を述べた訳ですが

何故"13"を嫌うのか。

数学者・数学好きの人は素数を非常に好むと聞きます。

あぁ。私はどちらかといえば文学者。

素数のあの奇妙な感じが好きになれないのかも知れない。

一仮説として頭の片隅にでも。

改めて。

1300日ありがとうございます。

今後とも宜しくお願い致します。

              それでは bye! Konemy

えがお・エガオ・笑顔・咲顔

2020年04月17日 22時01分58秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

ここ最近、たくさんの時間を保有している毎日。

一体、何をしているのか。

一つに「えがおの練習」というものがあります。

通常時の日常生活の中では、笑う機会がたくさんありますが

今は、はっきり言ってそうそうありません。

しかし、えがおをしばらく失うと、顔が硬直してうまく笑えなくなってしまうんです。

一度経験した事です。

さて、ここで問いますが

「”えがお”をどう思いますか」

私は昔からこう主張してきました。

「笑顔は醜い」と。

理由を説明しましょう。

一つに、単純に私自身の笑顔が歪んでいるからです。

何年も作り笑いを繰り返してきた代償に、左右の頰の筋肉が異常な形となり

左右非対称の笑顔になるのです。

これは作り笑いの典型例です。

心からの咲顔は左右対称

シンメトリーで美しいものです。

しかし、最も身近な笑顔たる自らの笑顔が歪んでいては「醜い」と言いたくものなります。

私の話はさておき。

えがおは決して幸せの象徴・幸福の結果ではないのです。

これが理由の一つ。

人間が絶望の極みに辿り着いた時。

どうなると思いますか。

「泣く」なんかじゃ済みません。

まだまだ甘い、絶望のうちに入らない。

経験はないと思いますが

絶望の果て、人は

笑うんですよ。

笑うんです。

そう、その表情はまさにエガオ。

耐えられないほどの絶望に人間は笑うことしか出来なくなる。

エガオが素敵なはずがない。

それでも人は笑顔を好み、咲顔を求めているのです。

誰かの笑顔の裏には、誰かが流す涙があるというのに。

哀愁を好む日本人らしい発想。

結構。

              それでは bye! Konemy



一番好きだった物語のタイトルは産まれた時に付けられる

2020年04月16日 18時45分34秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

私、立場上なのか肩書き的になのか

好きな本や物語

オススメの本などを尋ねられます。

迷惑だなんて思ってませんが

難しい質問だとは感じます。

ただの娯楽に過ぎない本や物語は

人によって人生を左右する物に成り得る。

私自身、小説に影響されている嫌いがありますから

好きな本、物語を語る事は少し恥ずかしいものです。

そして、他人の人生に責任なんて持ちたくないですから

むやみやたらにオススメ出来ない

と私は感じています。

それでも、嘘とまでは言わない無難な回答で日々乗り越えています。

しかし、もし仮に私と同様の考えをお持ちでも

同じ方法はオススメしません。

と、言うより絶対に止めてください。

無難な回答を繰り返していると

そのうち、本当に好きだった本や物語が分からなくなってしまいます。

「一番好きだった小説のタイトルを思い出せない」現象ですね。

そんな話はさておき。

今回は好きな物語についてのお話を。

たくさんありますが、一つ例を出して。

『高瀬舟』森鴎外著作。

あらすじは説明しません。

常識といっても過言ではないほどの有名作だと思っていますので。

分からなければ先生に聞いてください。

私なんかよりずっと分かりやすく教えてくれます。

兄と弟の絆。

役人の葛藤。

素敵な物語です。

しかし、どれほど物語が好きでも

冒頭の「高」を好きになる事はないでしょう。

あくまで一例です。

なので、「喜」を好きになることもありません。

何が言いたいのか。

好きな物語といえども、物語を構成する一言一句が好きなわけではないということです。

これが一番好きな物語となると話が変わってきます。

一秒一秒。

小説で言うところの一字一字。

全て好きだからこそある生です。

何せ、何十年と紡ごうが一秒で終われる生ですから。

その一秒が嫌いになった刹那。

物語は終わりを告げるのです。

誰に付けられたのかは存じ上げませんが

皆さんの一番好きだった物語のタイトルは産まれた時に付けられるのです。

相も変わらず。

              それでは bye! Konemy

輝きをみつめた者

2020年04月12日 20時05分00秒 | 日記
おはようございます。


Konemy述べる時間です。


皆さんいかがお過ごしでしょうか。


私はここ最近、非生産的・退屈な日々を送っております。


同様な人も多いかと思います。


そして、更に共通する人も。


やらなければならない事がたくさんあっても


やる気は起きない。


そういうことってありますよね。


やらなければならないことがたくさんあるという事は


やる事はたくさんある。


やる事がたくさんある人は


「退屈」などと口にする事は決してないだろう。


だが、ここに一人やる事がたくさんあるにも関わらず


「退屈」と口にするものがいる。


無力感と言いましょうか。


無気力ですね。


娯楽も労働も


何もかもです。


最近は行くところまで行って


食事すら厭うようになりました。


かつての私が言っていた。


「食事の否定は生存の否定である。」


退屈な日々は遂に生存を否定しようとしているのです。


それでも、アンケート等に私は答えます。


自粛生活に限界を感じていない


と。


何故なら、やる事・やらなければならない事がたくさんあるから。


退屈は確かに何もかも奪っていくのかも知れない。


だが、同時に尽きることの無い忙しさがそこにある。


そして、何も生まず起こさず


今日も眠れぬ床につく。


日中の影響で眼精疲労を起こし


まともに目が見えていないにも関わらず


真っ暗闇に浮かぶものはよく見える。


暗闇の天井のシミを眺めていると


何か意味があるかのように感じる。


末期ではない、希望である。


              それでは bye! Konemy


先輩論

2020年04月09日 18時50分29秒 | 日記
おはようございます。

Konemy述べる時間です。

波乱の幕開けではありますが

新年度が始まって一週間経過しております。

新たな世界へ一歩踏み出した人や

今までの世界に誰かが踏み出してきた人。

様々かと思います。

今回は対象年齢低めで話します。

学生時代

関係が浅いか深いか置いておいて

嫌でも存在したもの。

年齢差を根拠とした上下関係。

小学校ではあまり感じませんかね。

小1は小6を

お兄さん、お姉さん程度にしか思っていないでしょう。

そういう教育の仕方ですからね。

しかし

中学以降、変わっていきます。

中学校は義務教育であり

通う権利と通わせる義務があります。

そんな中学校には明確な上下格差を生む仕組みが二つほど。

一つはテスト。

小学校までの満点以外論外の

オモチャのようなテストとは訳違い

そうそう満点なんて取れない難易度に変わります。

それでも出来るやつは平然と九割取ってくる。

そして、今まで温室で隠されてきた残念な人は三割程度の点数。

明確な点数差。

明確な順位差。

今回はテストに関する諸々は省略します。

中学生当時の私が身を置いていた環境はマイノリティーなので。

余談ですが

私は小学生の頃

落ちこぼれてはいませんでした。

現実を知ったのは小5。

世界を知った。

あぁ。自分はこんなにも存在価値のないバカだったのか、と。

それから挽回なんていくらでも可能だったでしょう。

しかし、私はその道を

歩まなかった、歩めなかった。

それだけです。

話が逸れましたね。

もう一つ。

それが先に挙げた

年齢差を根拠とした上下関係。

先輩後輩なんて言い方が分かりやすいかな。

尊敬もしていないだろうに敬語で話しかける事を強制される後輩。

尊敬もされていないのに敬語で敬われる先輩。

どちらも私は嫌いだった。

それでも私は尊敬していない先輩に対しても敬語を用いていましたよ。

故に善良者のように思われていたのでしょうが

素直な人よりもよほどタチが悪い。

だから私は尊敬もしていないのに敬語で話しかけて欲しいとは思わない。

いま、私はある組織で長を務めている。

その肩書きだけで敬われる、そんな先輩にはなりたくない。

              それでは bye! Konemy

確かに生きていたんだ。

2020年04月09日 06時07分00秒 | 日記
おはようございます。


Konemy述べる時間です。


前々から何度か申し上げた事があったかと思いますが


私、就寝中の夢が非常に現実的なんです。


今回お話するものは、少しばかり現実と乖離したものであれど


現実世界を描いており


まるで青春ドラマの世界に入り込んだかのようなものでした。


概要としては


様々な人たちと地域の文化イベントで演劇(舞台)をやるお話です。


そのメンバーが興味深い。


学生時代の同級生・後輩や全く見知らぬおばさん


そして、今をときめく芸能人なんかも一緒にやっていました。


学生時代の同級生・後輩は本人役の仲間、舞台出演者として


全く見知らぬおばさんは主演女優として


今をときめく芸能人は後輩役として


そして、私は脚本・演出・助演俳優役として登場しました。


夢なのに割と鮮明に覚えていて


辻褄の合わぬ部分ばかりで


いま思えば夢だと分かりますが


世界に浸っていたその頃は


現実と信じて疑いませんでした。


いま現在、現実を生きている時に


滅多に「ここは虚構の世界である」などと考えない様に。


とても楽しい世界でした。


故に。


目を覚ますとまるで殺された様な感覚に陥るのです。


とても、とても辛いものです。


理解し難い感情かと思われますが


私は確かに存在したあの夢・理想の世界を"生きていた"んです。


そんな世界の崩壊=起床は死も同義。


朝から憂鬱です。


              それでは bye! Konemy


四月になれば彼は。

2020年04月07日 16時16分17秒 | 日記
おはようございます。


Konemy述べる時間です。


今日で4月も一週間。


誰がこんな波乱の幕開けを予想していただろうか。


正直のところ


2月末の頃には


全くと言わずとも影響少なく新年度を迎えるのだろうと思ってました。


四月になれば彼は。


もう姿を見せないと。


私には先見の明がない。


当たり前のことを言ってますね。


そんな事を言いながらも、今後の予想はしておきます。


場所は東京(首都圏)


あくまで一切の根拠のない予想ですが


415日まで首都圏は二桁後半から三桁前半の感染者が出続けるでしょう。


以降、落ち着きを取り戻し


429日からはポツポツと一桁台で出現する程度か、感染者が確認されない日が続き


56日には収束の兆しが見られるのではないでしょうか。


ゴールデンウィーク頃には外出自体に罪悪感を抱く事はなくなってるのではないでしょうか。


希望論です。


繰り返しますが


一切の根拠のない予想。


時世の話はこのくらいに。


私個人の話に移りましょう。


2月は平均歩数5,300


3月は平均歩数2,500


対して


今月、4月は(まだ一週間ですが)


平均歩数490


起きている時間は約18時間。


1時間あたり約10歩。


せいぜい12分の出来事です。


では、残りの17時間50分何をしているのか。


答えは簡単。


ずっと座っております。


平時も座っている事が多い立場ではありますが


こんなに長時間座っている事は稀ですね。


そんな私に事件が発生しました。


簡潔に述べると


尾骶骨をケガしました。


絶望ですよ。


希望的観測たる予想でも


あとひと月は現状が続くというのに。


これから数日、私はどうしたら良いのやら。


こんなエピソードしか出てこないほど固定された日常です。


お察し下さい。


             それでは bye! Konemy

我々の意思とは関係なく

2020年04月02日 18時38分46秒 | 日記
おはようございます。

Konemyのブログ更新のお時間です。

連日のように同じような事を聞かされて

変わるのは数字のみ

新たな情報はほとんどない。

当たり前のことを当たり前のように

退屈にもなりますね。

そんな日々で思うことがあります。

「無力さ」です。

いつの間にか僕たち(人間)は

この星を無きものにする力を得ています。

破壊は想像よりも容易です。

機械にしても、生物にしても、自然にしても。

破壊神は決して最強ではございません。

本当の最強は創造神なのです。

なんて話は置いておいて。

人間は力を持ちすぎてしまったんです。

我々は屈強な肉体も、頑丈な牙も持ち得ないというのに

人間なんて

握力は約30〜50kg

腕は二本

脚も二本。

手が届く範囲は半径50cmほど。

(平均的な話です)

無力です。

なのに、中途半端な頭脳を持ち

中途半端な万能性を得てしまった

世界最強最弱生物なのです。

分かっている

理解している

それでも人間は無意識のうちに無力さを忘れ

まるで全能かのように物事が当然のように解決できると思っている。

忘れてはならない。

我々の意思とは関係のないところで選別されている事がある事

という事を。

              それでは bye! Konemy

今、求められている

2020年04月01日 23時34分13秒 | 日記
おはようございます。

波乱の幕開けとなった2020年度。

「にーまるにーまる」などと語呂が良い感じで多用されていた2019年度では

想像すらしていなかった現状でしょう。

一つ言っておきたい事は

現状は誰かが悪くて悪化した訳ではない。

という事である。

何か悪い物事があると犯人探ししてしまうのが常。

誰も悪くない!

そんなことを言えるほど人間は「出来て」いません。

あくまでも個人的見解ですが。

まぁ、少なくとも誰かに当たって解消されるものほど

虚しいものはないですよ。

一時の解放を得られても根本的解決にならないどころか

負の感情の拡散でしかない。

欝屈した現在

今、求められているものは。

単純に「金」と答える人もいるでしょう。

しかし、「本当に『金』と答える人」ならば

その声は一般人に届くほど大きいはずがないと考えます。

青い鳥に乗せて世界に言葉を飛ばす人々は

「本当に『金』と答える人」だとはとても思えません。

窮地に人は何をするか。

「極限状態の下」ではなく

あくまで「危機的状況」の時です。

神頼みです。

かつてのアメノウズメのように

例えば、舞って神に祈るのです。

その舞は、姿形を変えて確かに現在に生きている。

あくまでもここで挙げるのは一例です。

求められている事を

抽象的に言ってみれば

笑いであり、喜びであり、正の感情なんです。

確かに正確な情報として負の情報も必要です。

隠蔽して正の感情で塗り固めろというつもりは全く。

ただ、負の情報で埋め尽くす必要は一切無い。

特に電脳世界ではね。

私は、正の感情を届ける人になりたかった。

今からでもなれるのかも知れないが

少なくとも

今、求められてはいない。

              それでは bye! Konemy

救われる事

2020年04月01日 00時00分00秒 | 日記
おはようございます。

早速

善悪の話でもしましょうか。

と、言いましても

価値観なんて人によって違いますし

同じ屋根の下で生きる人々ですら一致しないなら

隣に座る貴方を理解するなんて到底不可能な訳でして

善悪の話なんてする方が間違えてます。

それすら私の価値観に基づいた判断。

絶対悪・絶対善を信じる者には理解し難い考えなのでしょう。

せっかく今日は今日なので

話題は嘘と定めましょうか。

嘘をついたことがない。

そんな純粋無垢な人

私の汚れた文章を読む人にいないでしょう。

別に私の文章を読む人が汚れてるなんて一言も言ってませんよ

勘違いだけは勘弁。

円滑に生きていく為に嘘は必要なんです。

それでも嘘は嫌われる。

当然と言われれば当然なんですが

嘘がいけない理由を説明するのはなかなか難しい。

何故なら

円滑に生きていく為に嘘は必要なんです。

前述の通りです。

「やさしい嘘」なんて言葉を聞いたことあるでしょうか。

真実が常にやさしいとは限らないんですね。

現実とは不条理です。

まるで合理的に構成されているかのように見えて

理不尽な事など山ほど。

合理的に見えるから嘘が一般的に悪と語られる。

不条理で理不尽な世界と認識しているなら

決して嘘を悪とは言わない。

言えない。

嘘に救われているから。

どうですか。

あなたは嘘をどう捉えていますか。

              それでは bye! Konemy